2019年12月25日

人を見たら泥棒と思え (国も政府も官僚も銀行も弁護士も・・・みんな泥棒?)


人を見たら泥棒と思え

(国も政府も官僚も銀行も弁護士も・・・みんな泥棒?)


銀行・証券・政府が「低リスク商品だと勧めたから」という理由で投資するなどというのはばかげている。投資先(金融商品)のリスクが高いか低いかを判断することこそ投資家の最大の仕事なのに、それを他人任せにするべきではない。

「銀行・証券等の金融機関は決して責任をとらない」と法律で明記(損失補てんの禁止)されているのだ。

「新NISA」への違和感…結局、儲かるのは「銀行」だけという真実

本当は帰れるのにダラダラと会社に残る「残業泥棒」、決められたことしかできない「マニュアル人間」…。日本企業を見渡せばそこら中にいる「非生産的」なビジネスパーソン。彼らは今後世界から必要とされなくなります

会社内でも会社で働いて有用な人でない人がいる、その人たち有用な有能な人から盗んでいるともなる
なぜなら無駄な残業しているだけだとしている、盗むということは多様なのである


人見たら泥棒と思へという格言も全く今も同じである
ただ泥棒というときそれは個々人のことではない、政府までが泥棒であり国民の金を盗むのである、国家自体が盗賊国家だったということを書いたがこの世の中官僚でも泥棒なのである
外国でも他国の金を盗む、アメリカは強い巨大な国だから日本から金をまきあげているというのも泥棒だということである
国自体が政府が自国国民の金を盗んでいるし外国では他国の富を金を盗む
これが政府と証券会社と銀行がグルになって盗む、盗賊化していたのである
ニーサとか非課税商品だとして政府がすすめた理由は投資の方に国民の金をまわしたいからである
そして利子がつかないのだからただ金を集めても増えない、地銀でも地方は衰退して金を貸してももうけくれる会社がない
すると証券会社のすすめる投資信託を売る
それは確実に手数料が入るものでありリスクをとらないから銀行にとってはいいものなのである

そもそも人間が盗むというとき安藤昌益が侍を批判したのは働かないで農民から税を搾り取って暮らしていくということで批判した
だから盗むとなっていたのである、他人の労働を得たものを何もしないで盗んでいるのが侍だとしていたのである
盗むということは小銭でも何でも金を盗むとかでもない
他人の労働を盗む、他人が工夫して苦労の上に作り上げたものを何の労苦もまた智慧も発明もないのに盗むということがある、著作権などがそうである
この盗む行為は日常的に社会でしている

弁護士でもそうである、相談料として事前に百万とるというのも盗みだった
その金は交通事故で死んだ人の金でありその遺族に入るものだけど盗まれたとなる
遺産で何か正当な理由があれば受け取れる
でもその金で盗むということがある、多分に自分自身にも盗むということを知らずにしていることがある、つまり誰でもなんらか盗むとういことをしているのである  
それが自覚できないことがある、百円から盗むとなぜかひどく自覚しているが大きな金になると自覚できないのである、ここに人間の盲点がある、何かリンゴ一つでも盗むと良心の呵責を覚える
ところが政府でも銀行でも会社でも横領する金が一億となったりする、でもその時リンゴ一つ盗むような良心の呵責も覚えないのである、それは単なる数字のように思えるからかもしれない、金はもう現代では数字だからである
良く一桁のゼロを間違えることがある、1000000を100000と見間違いることもある、その額は大きいのだけど数字では間違いやすいのである、その額を間違えたら大きなことなのだけど自覚できないことがあるのだ
それはすでに物ではないからである

人間は罪を指摘されて自覚されないとわからないことがあるのだ
だからたいがい人間はみんな善人だと思っているのだ
だからこれは悪いことだと自覚することはその人はまだいい方だとなるのである
それで人を見たら泥棒だと思へとなっていたのである
そこに格言に変わらぬ人間の真理があり人間社会が技術が進歩しても常に盗むことが起きる、ただそれが複雑な社会で見えなくなっているだけなのである
第一政府が盗むとなるともう盗むということはどこでもありうる
第一政府がそうなのだからそれに習へとなるからだ
共産党幹部でも中国国民からその労働の成果でも盗んで巨万の富を得ているとなる
共産主義革命は何なのだろうとなる

盗むというとき不思議なのはそもそも火を神からゼウスから盗んだプロメテウスのようにエネルギーはもともと神のものでありその神から人間が盗んだのである
だから科学技術でもそこに呪いが隠されていたのである
そして過酷な罰を受けたのである、それが原発事故として現代に事実として現れたのである
それで風力発電でも水力発電でも太陽光発電でも自然のエネルギーを盗んでいるものだからいいものではないというときなるほどなと思った
そういうふうに盗む行為は何か災いが隠されていたのである
だからこそ過酷な罰をプロメテウスは受けたのである
そして逆説としてシンホシスがただ転がり落ちる石をもちあげる、終わりなく持ち上げる労働を課せられた罰はこれも何か意味あることしない、働かない罰だったともなる
それはもしかしたら他人の労働を盗んだ罰だったかもしれないのである

だから社会を見る時不思議なのはみんな泥棒である

では誰が泥棒ではないのか?これを見れば何か人間を社会をみる糸口が開けるのではないか?
するとまず政府の官僚とか政治家とか士業と言われるもの、弁護士でも銀行員や証券会社はみんな胡散臭い奴らだなともなってしまうのである
それらはうまく操作して市場が公平のように装いグロ−バル経済で金を右から左に流して巨万の富を得ている、それは世界から盗んでいるのである
そのことを知ったゴールドマンサックスの会社員は自らそうした仕組みを頭いいからITとかで作ったから良心にさいなまされてやめたとしている、日本の富を奪うために仕組んだからである
ただその人はましだった、悪いと感じていたからである、もう現代では感じないからである
盗み稼業でも現代ではその人自身が気づかない
盗んでいるとなど思わないしむしろ正規の仕事をしているだけだとなる
なぜなら決してそれをとがめられることもないからである
だからそんなのいかさまのギャンブルだとして民衆がデモを起こしたら怖いことになるでもそういう人達はかエリートとしてのうのうとして公然と人も国も会社もだまして外国の富も奪っているとなる、なんかそうすると悪魔的になっている

いづれにしろ今や銀行そのものが地銀でも社会に害を及ぼすだけであり必要なのか問われている、社会の不思議は人間の不思議は社会の害になっても生きねばならい
日々の糧を得なければならない、だからきれいごとを言っていては生きられないとなる
それでマフィアは麻薬をやめられない、その栽培をアフガニスタンではやめられないとしていたのであく
何かそれがアフガニスタンだけではない、現実世界でも日本でもそういうことが日常的に行われていたのである
原発マフィア村というのもそうだったのである、原発は何兆円とかの金に鳴る木だからそこに利権がありみんな食い物にした、それは政府でも政治家でも官僚でもそうであり検察も官僚であり東電に天下りしていたからグルだったとなる
マスコミもみんな原発村の一員であり巨額の宣伝費が東電や電気連合からもらっていたのである

ではみんなそうして金で汚れてしまったのか?汚れていない人はいない

その対比から見ると貧しく社会の底辺で呻吟している人はそうした金が入らないのだから汚れてないないのかとなる
まず土建業とかになるとそこで下働きなどしている人は金は入らない
でも原発の除染の仕事では会社の幹部には何億の金が入っていた、それで奪われた盗まれたとして逮捕されたりする
でも下の方で現場で働く人にはそうした恩恵がないのである
でもその人たちは心は汚されないとなる、それも何か理解できないのである

もちろん上に立つ人がすべて盗むというのではない、重責をになって仕事している人はいる、ただ社会のためにとか政府でも官僚でもまた銀行員とかでも何か社会の害悪にもなるそれで地銀の頭取が地域のため副業するのがいいとか奨励している
野球の監督とか塾の英語の講師とかして地域に尽くせとしている
それは本業で地域に尽くすことがてきなくなった
ただ貯金を投資信託にまわして金を奪うようなことをしているからそうなる
それもだから銀行員は今何のために地域にあるのかと問われる
ただ地域住民をの金を奪うだけのものなのかとまでなる
それで老人と貸した団塊の世代がねらわれているというのもわかる
月々分配型などは貯金に利子がつくような感覚になっていたからである

でも元本も保証できない危険な商品だったのである
銀行は損しても一切責任はとらないうまみのある商品だったのである
それが政府ぐるみで奨励しているというのはグルで盗賊化していたのかとなる
ただ人間はこのように知らず盗む行為をしている
遺産とかになるとただ親の労働をその子が盗むとなる
それは自分の場合に言えたのである
最後に介護したので遺産を受け取る権利は生まれたとはなる
むしろ親族でも子供で介護が別な他人がすればその人に権利がでるのは当然なのである
それは盗むと同じになっていたのである
自分の場合は一応介護したから権利があったとなる

いづれにしろ人間社会とは何なのだろうとなる
弁護士まで猛勉強してもそれが社会のために尽くすかとなるとただだますために盗むために法律を学んだとまでなる
政府の官僚になっても国民から税金を盗むためだったとまでなる
それは何なのだろうとなる、そのために勉強してきたのか?
実際団塊の世代の受験勉強はそういうものだった
他者を蹴落としても点数をとりそれでいい暮らしをしたい、官僚になれば高い地位につけば実入りが良くなるというたげの教育である
それも私の経験から納得することはある
なぜなら底辺になると悲惨だからである、流れ作業をロボットのようにしていなければならなかったり建築現場でも危険と隣り合わせだからである
そこは汚い場所でもあり誰もそんなところで仕事したくないとなる
そのために勉強しなければならないという動機にもなる
ただそれが盗むという地位に就くということではない
設計とか事務になれば楽だとなるから勉強しないというのはわかるのである

銀行は高度成長時代とかは楽だった、ただ金を集めれば良かった
そして金を貸す会社でもいくらでもあった
だからほとんど審査する必要もなかったという、そしてそこから利子がとれて顧客にも利子が回っていたのである
つまりそれは高度成長時代でありどこでも金回りが良かったからそうなっていたのである金さえ集まれば借りてくれる人や会社はいくらでもいる、それも高度成長時代だから投資も盛んになっている成功している人も会社も多いから不良債権にならなかったのである
審査する能力すら必要なかったのである

銀行がいかに楽な商売だったかわかる
これからの時代は銀行は半分なくなるとか銀行自体必要がなくなってきたのである
ただ訳のわからない投資信託とかうりつけて手数料だけはとるとなったりもう顧客から
いかにだまして金を奪うかとかなればそうである
そのターゲットに団塊の世代がなっているというのもわかる
高度成長時期に貯えた金融資産があるからそれが奪われるとまでなったのである
月々分配型などが何かうまい仕組みである、それが利子がもらえると勘違いするものだったのである、実際は利子がとられる商品だったのである

posted by 老鶯 at 10:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題
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