私の十大ニュース(2019)
YPJ-XC(ヤマハ)
星自転車屋では客の対応がいい、商売できる
普通他の店で買うと修理はしない
でもここでは引き受ける
原町の自転車屋ではあからさまにお前は来るなと言われたからだ
そういう人は自転車屋の商売には向いていない
一回は買ったのだからそこまで言うのには驚いた
ただやはり自転車は後で世話になるからどうしてもそうなりやすい
ただここではロードを買うのは向いていないかもしれない
相馬市とかで若い人が買っていたからである
ただ鹿島で一軒しかないのだから貴重なのである
ただここだって病気しているからいつなくなるかわからないのである
そうすると相当に困ったことになる
●ヤマハの電動自転車のJPJ-XCを一年間乗り行動範囲が広がった
●自転車で夜にライトがなく側溝に転んで傷
●カードなくして損したと思って赤になったのに自転車で横断して危険
●台風で家の中まで水が入った(近くで台風の被害)
●丸森の台風被害が大きかった
●大熊双葉だけではない浪江とか小高とか飯館村はもう復興できない?
●仙台に一回しか行かなかった
●ゆうちょや地銀や銀行への不安がつのる
●家の中を電動のこぎりを買って改造した
●駅で高校生の見守り役で案内もあまりしなくなった
結局今年は自分にとって何か大きなことはなかった、あったとすれば新しく買ってヤマハのJPJ-XCにまつわることだった
これだけ本当に乗りやすく楽に遠くへ行けるので助かった
そもそも走り自体が軽快になっているから楽なのである
車がないからどうしても遠くに行くには自転車になる
今までの自転車だと体力がなくなっているから苦しい
でもこの電動自転車は楽に走れるから老人向きだったのである
だからマウンテンバイクなのに老人向きだったことが意外だったのである
だからこれは老人にすすめられる自転車なのである
ただこの自転車の最大の問題は荷物がのせられないのである
すると買い物で困るのである、スタンドもないことも困る
この二つでは困ったのである
ともかくみんな車が常に大事なのように車無くして生活できないように自分にとって自転車なくしては暮らせないから自転車がこのように大事になる
何十年前とかに新しい自転車に乗ってブレーキがきかず頭を打ち付けた
その時前歯が二三本折れた、この事故でぱ頭を打ったから死ぬこともあった
だから車もそうだが意外と自転車は危険なのである
側溝で転んだのも頭をうつと危険になっていた
車でもそうだが自転車でも死ぬのである
そして年末に自転車では危険な目にあった、赤信号なのに国道を渡ろうとしてトラックが来て止まったのである、年末はいろいろあると危険にもなる
これだけ車社会なのだから自転車もその中に巻き込まれるのである
ただ一回だけ大けがしたがその後は起きていない
実は自転車では二回死ぬ目にあっている
坂を下る時ブレーキがきかなくなった
その時一瞬足をついて自転車と一緒に転んだからよかった
そのまま坂を下ると急な坂を下り塀にぶつかり死んでいたかもしれない
それから25万のヤマはの電動ロードは何の役にも立たなかった
ほとんど利用せずに終わった
そしてこれも一回ブレーキがきかず転んだ
その時そこも坂でありそのまま下ると死の危険があったとなる
だから自転車だと安全なようで危険なことが結構あった
でも自分の一生は自転車とともにあったともなる
あとはたいしたことはなかったが台風は自分の家でも被害があった
家の中に水がかなり入ってきて水浸しになった
下に置いたものが水にぬれた、膝くらいまで水につかった
私の家は街で一番低い場所にあり水が入ってくる
二回も洪水の被害があった家なのである
水に苦しむ家であり土地なのである
ただ今回はこの辺でも洪水の被害があった
相馬市でも原町区の高倉でもダムの放流で被害があった
相馬市は千軒くらい床上浸水とかあったから意外と広範囲に被害があった
仙台に一回行かなかったということもこれまではなかった
必ず一か月に一回くらいは行っていたのである
だからこんなに仙台に行かないことはなかった
それは何で本でも古本でも通販で買えるということがあった
そこであえて仙台に本を買いに行く必要がなくなったのである
また今年は仙台にも行かない、近間しか行かなかった
これもめずらしいとなる
家に閉じこもってプログを書いたり創作の仕事をしたりするのが主になった
いろいろまとめることがあるが整理できないのである
冊子とか本にしようとしているのだがこれもなかなかうまくいかない
めんどうになるのだ、でもそれが今や仕事である
実際はインタ−ネットだと出版から放送から配布まで全部一人でできるししている
それを紙で印刷したり書店に置いてもらったりしていたら一人ではとてもできない
そもそも出版とか書店に置くことはできない
だから本当は一人でこれだけしていることは今までならありえなかったのである
ともかく家事もあるし全部一人でやっているから忙しいのである
まず忙殺されるのである、家事でもまず料理にこったら何もできなくなる
料理はそれだけ手間だし専門的な技術が必要なのである
家は自分で改造した、自分なりに今は改造できる、ただ簡単な棚を作るくらいである
助かったのはユニットバスを百万で仙台の優創建という会社で作ってもらったことだったこれだけは得だった、風呂はやはり癒しになるし体にもいいのである
ただ私はあまり風呂に入らないのである、一週間に二回くらいになる
あとは金のことで銀行のことが心配になったのである
youtubeを見てもいいことを予測している人はいない
地銀でも半分はつぶれるとか預金封鎖があるとか株は暴落するとかいいことを言っている人はいないのである
だからJ-REITを売った、損はしなかったので良かった
でもその後どうしていいかわからない、備えることもできないのである
まあ、億とかの金はないからそれを心配してもどうしようもないとなる
今金持っている人は戦々恐々としいるだろう
まず預金封鎖になったらもう国に金は没収されるからこれは怖いことである
ただ金のない人は心配しなくていいとなるが日々金に追われているのである
傷浅く危険まねがれ年終わる
まだ年終るというけどまだ一週間とかある、この間にも何かあるかもしれない
つまり人間は一寸先は闇だとなっているのだ
それは津波や原発事故や家族の認知症やら介護やら自分の病気になってからそうなったのである、こんなに災いがつづくものかと苦しんできたからである
駅でぱ高校生の見守り役が常駐するようになって案内はあまりしなかった、仕事もなくなったとなる
来年は常磐線がいわきまで開通するからそれはかなりの復興になる
あとは避難区域なにった所はもう復興しないと見る
若い人は帰ってこないし飯館村でも小高でも浪江はさらに悪い状態でありそうした老人だけいる所に金をつぎこんでも無駄だという意見に同調するようになった
最初は復興してもらいたかったけどそれも今になると無理だとなる
私の場合は飯館村があんなふうになったのがショックだった
そこは何か森に包まれた癒しの場だったからである、双葉とか大熊にあまり何かそうしたものを感じなかった
飯館村はあんなになったのはショックである
そこで失われ精神的なものは余りにも大きかったのである
そこに住んでいなくても一つの貴重なアイディンティティの場が失われたのである