2019年12月17日

理系と文系の謎 (経営者が理系が向いているのか?)


理系と文系の謎

(経営者が理系が向いているのか?)

その人は理系である、電気の一級の資格をもっていた、だから建築関係の会社をたちあげた
でもその人は経営者では失格者であった、まず経営するにしてもその動機が
「自分は優秀だから、会社経営も簡単にできる、自分の頭のいいことをみせてやろう」
そんな動機だったのである
そこからして間違っていたのではないか?
その人は別に会社で雇われて理系の技術者として働いていれば問題なかったのである
給料も良くて田舎では恵まれていたのである
とにかく今の社会は電気社会だというとき電気関係で働く人が多いのである
それで原発では事故が起きたとき1000人も電気関係者が働いていたということでもわかる
エネルギーが石炭の時は常磐炭鉱のようにそこで大勢の人が働いていたのである

最近IT社会とかAI社会になるとどうしても理系が重んじられて社長にもなっているというでも何か理系というと機械マニアとかいたりして社会にうといというか無関心になる
だからこそそういう人はそういう人で貴重だと言う人がいる
それこそ日本の製造業を支えているのだという
つまりそれはそれで容認されていいとなる

でも経営となると何か違ってくる、細部の機械の部品に異常にこだわったりしている人が経営者になれるのか?
その人は何か経営者になって人格までおかしくなったのかもしれない
経営者というと商売人でもある、その人はだから何かもう頭に金のこたとしかなくなっていた、商売人になった結果として常に・・・したらいくらだという頭になっていたのである
これが技術者として会社に働いていればそういうことにはならなかった

ただ人間を考えると経営者であり商売人であり技術者であるとか学者であるというのもむずかしいと思う
その人の性向が向き不向きが必ずあるからだ
その良い例が学者が経済学をいくら学んでも会社経営とかなると成功しない
経済学という理論を学んでも社会で実践すると全然違ったものとなるからである
学者が株を実際に投資とかしても成功していないのである
ただ理論家であり実践者ではないのである
政治家と政治理論は別物なのである

人間は本当に向き不向きがある、なぜ関西には商売人とか商売に向いている人が多いのか大阪だとそもそも江戸時代から商売の都市だからそこでそういうエトス{精神的雰囲気)が培われた、だから言葉まで「もうかりまっせか」とか挨拶になっている
それが別に不純でもない、商売自体が悪いということはない
商売はただ相手からだまして奪うというものでもないのである
そんなことしたら商売がうまくいくはずがない、一時的にはうまくいっても長続きはしないのである

だから土地によっては人間に向き不向きが作られる
まず東北人は商売に向いていない、根っからの商売人になれないのである
そしてそうして不向きなことをすると失敗する
東北人に向いているのは農業であり職人とかである、研究者とかにも向いているかもしれない、何か内にこもる仕事に向いている
ただ伊達政宗は商売人でもあったし政治家であり演技者でもあったし文と武にも優れていた、それは例外的存在だったのである
そんな多様なものを持っている人などいないのである
別に東北人でもいろいろな人がいるからそういう人は例外的にはいるのである
もし現代でもこれだけの資質がある政治家がいたら驚きだとなる
今の政治家は何かそんな素養もなにもない、政治家もまた何かそうして政治家として育まれ土壌がないと育たないとなる
今は何でもその土壌が大衆が主役なのだからそこからまともな政治家でも何でも生まれるだろうか?みんな大衆にこびているから低級化してゆくのである

なぜ今まで経営者が文系だったかわかる、理系者は経営者に向いていないのだ
経営は機械とか物だけではない、社会が人が関係してくる
理系だと機械とか物にこだわる、でも社会的役割とかその仕事が社会にどのように影響するかなどトータルに見ることも必要になる
だから本当に原発ほどそういう神のような万能の人でしか経営者になれない、社長になれない、会長にもなれないものだったのである
それが自然に地域にどう影響するかなどトータルに見る目が必要になった
それは歴史も郷土史も関係していた、津波のことなどもしらねばならなかった
ただ東電の関係者は津波が来ると計算していたから理系であって優秀な人が相当数いたのである
それは理系でも機械の一部を詳しく知る人がいたとなる、それはあくまでも一部に詳しい人だったのである
第一吉田所長が肝心の復水器のことを知らなかったのである
要するに原発とかなるともう全体を知る人などいない
するともう人間では運営できないものとなっていたのである
そして事故になり成すすべもなく解決もできなくなったのである

いづれにしろ人間は向き不向きがありあらゆることに通じる人間などいないのである
だから理系の経営者だから成功するとは限らないのである
経営という時国家を経営するということで政治家とかも経営者なのである
国家をどうするのか?国家をどう経営するのか?
それが一部の機械とか一部の物質とか一部分をいくら詳しい人でもできない
でもそんなふうにして国家でも大会社でも経営できる万能な人はいないのである
だから遂には老子のように自然にまかせろとか何もするなとかなる
人間は政治にかかわり結果的に混乱しただけだとなるからだ
中国何千年の歴史は政争の歴史でありそれで膨大な死者が犠牲者が生まれたからそうにもなった
結局国家など誰も運営できない代物だとなったのである

そのことは聖書でも言っている

わたしはわらべを立てて彼らの君とし、みどりごに彼らを治めさせる。イザヤ

なぜこんなことが記されているのか?
みどりごがなぜ治めることができるのか?
結局人間はみんな欲の塊りであり政治家でも欲で動くからそうなる
金で動くからうそうなる、これも逆説なのである
人間が優秀だと思うことは優秀ではないのである
優秀なものはある一面危険になる、人間が優秀だというときある一面に優秀なのでありそれは肯定できる
でも万能ではありえないのである
だから国家とかなると誰も経営できないのである

それで日本では天皇を王としたとき天皇が優秀とか関係ないのである
生まれた結果そうなっているだけである、何かしらの優秀さはあっても神のような人でもなんでもないのである
皇室など見てもあの人どんな優秀さがあるのと見る
ただ天皇家に生まれただけなのである、でもそういう人でも国家運営するとなると有効だとなる

天皇は命令してはならない

天皇は権力をもってはならない

天皇象徴制とはこういうことなのである、天皇に権力がないからこそ治められる
それはみどりこに治めさせよとにているのである
それは実質権力をもって命令できるものとは違うのである
生殺与奪の権利を持つ王とは違っている

つまり天皇は国の中心であり国が乱れる時天皇も二人になった
それが南北朝の熾烈な争いとなり日本が全国が二つに分断されたからである
つまり無能であれ国でも家族でも治める人は必ずしも関係ないとなる
一人の天皇をたてるということが大事になる、二人いると分断されたからである
結局人間は人間を治めることができないのである
それで人間社会は結局破綻する運命にある、日本国内であれ世界であれ誰が治めるのか?
誰も治めることがてきないのである、経営できないのである
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