2019年11月17日

洪水で注目された中小河川 (川を考えるー川とともに人間の生活があった)


洪水で注目された中小河川

(川を考えるー川とともに人間の生活があった)

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地理的一体感をもつ領域

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クリック拡大−南相馬市の河川


今回の台風で注目されたのは中小河川である、田んぼの中を流れている小川でも氾濫して砂がでてきたというのも不思議である
そんなところにも砂があったのかとなる、山からも砂礫となり砂が出て来た
普通は砂をみかけないのである、大きな川には砂州とかあるら砂はあっても小さい河川だと砂が見えないのである

そしてそもそも砂がどうしてできたたきろうかとなる
それは岩がいろいろ作用を経て砂になる、岩が風化して石になりやがて砂になってゆく
でもそれをイメージすると岩がそうして石になり砂になってゆく過程はその時間は億年とかなる、その時間のスケールが長いからイメージできなくなる

その砂から植物などの有機物が苔などが交じり土となる、その過程にも時間がかかる
海岸の砂浜は川が運んできた砂でできている、つまり山にも土にも大量の砂が含んでいるそれが川の水が運んでくる、そうして扇状地ができる
そこは人間にとって暮らし安い場所だから人口が密集するのである

川で今回注目されたのは無数の中小河川だった、それがあふれて被害になったのである
丸森でも阿武隈川は決壊していない、そこに流れている中小河川の堤防が決壊して被害になった、それから大量の土砂が山から流れて来たのである
だから日本の国土には無数の川があり特に中小河川がある
それが山が多いからそこに水が蓄えられて川となり流れてくる

そしてその川にそって田んぼができる、水が川から供給できるからである
つまり川が田んぼを作り村や街を作る、ただ日本の川は大陸の川のようち長大ではないから輸送には使われない、ヨ−ロッパの都市は河によって作られた
川が輸送のためにあり荷物が運ばれるから商業都市ができてその都市と都市が川で結ばれていたのである

日本の特徴は今回の台風の洪水でわかったように無数の中小河川がクローズアップされたことである、だからそんな中小河川が危険だと自覚していなかったのである
真野川は二回大きな洪水になった、堤防が決壊して二回氾濫した
それで私の家は街で一番低い場所にあるので二回を床上浸水の被害になった
その後川幅を広くして堤防を強化したので氾濫しなくなった
でも今回は危険な状態だったのである

洪水はダムでは防げない、高の倉ダムはすぐに満杯になり放流した結果、被害になった
緊急放流して8人死んだ所もあった
また溜池も決壊して被害がでる、つまり溜池でも満杯になり決壊すると被害になる
それはダムと同じだからである
人間は自然の力を制御できない、それは津波でも証明された

原発事故でもそうだった、津波でも東電では十数メートルの津波が来ることを予想していた、でもその対策ができなかったのは人間側の都合だった
コストがかかるとかいろいろ考えてできなかった、そんな人間側の都合など自然は考慮しないのである、そこに人間の力の限界がある

人間は自然を計ることはできない、計られ存在である
いろいろ計ってみてもそれがうまくいかないのである、原発にしても本当にそれを運営するには超人間的なスーパーマンにしか運営できない、そういう人がいれば運営できる
いろんな専門家が集まっても政治家でも官僚でも科学者でも学者が集まってもできなかった
そしてそこには必ず金の問題があり金をかけたくないとなり津浪対策もしなかったのである、それは人間側の都合でありそんなことを自然は見ていない
そこに容赦なく自然の力が襲いかかってくる

結局洪水を防ぐにも多角的な対策が必要になる、ダムがあるから安全ではないしかえって緊急放流で危険になった、堤防の強化も必要だとか避難を速やかにする対策とかいろいろある、何かそうして総合的に見ることが大事なのである
ただ人間社会は総合的に見ることが苦手なのである
第一もう人間社会自体総合的に見れる人はいない、それはスーパーマンしかいない
それで対策不可能になっているのだ

郷土史というときこれも何か人間の歴史だけではないその土地の歴史を知ることでもあるただ郷土史というより私の探求していることは郷土学だとなる
これは総合的な学問だということを知った
地質学でもなんでもあらゆることが関係していたのである
一科目ではない、あらゆるものがかかわるものが郷土学だったのである
だからとても一人では追及できないものだった、そこに限界があった
私は科学的知識が欠けていたから余計にそうなったのである

まず身近な川を知るにしても川は一つのものとして下流からでも上流へとさかのぼらねばならない、すると全体としての川を知ることになるがこれも大変なのである
常に人間は断片として地理でも土地でも社会でも見ている
川全体を見れないのである、ても川でも地理でも全体を見ることが必要なのである
土地はつづいていて全体としてあるからだ
だから飯館村で放射性物質のフレコンバックが雨で流れだしたという時それは南相馬市に流れて来る、飯館村の放射性物質は真野ダムにたまり南相馬市にも流れて来る
他にも川がありそれを伝って流れてくるのである
だから別々のものとして市町村でも区切られないのである
そういうふうに断片的に部分的にのみ自然でも社会でもみるとそこに必ず問題が起きて来る、ただ人間は総合的に全体的に見れない、視野が常に狭いのである
そこで問題を解決できないのである

とにかく川というとき大きな川には注目している、小さな川には注目していないかった
でも地図を見ればわかる無数に中小河川がまるで血管のように流れている
その中小河川にそって田んぼができている
そういう風土として日本があった、川でもそうだが大きなものは注目するが小さいものは注目しない、でも小さい川も自然の体としてみるとき毛細血管のようにあり自然の中で機能していた、そういうふうに人間は自然でも全体を見れないのである
自然は全体でありなんでも全体として作用してくるのである
体でも一部分が病気になることは全体が悪くなり一部分が悪くなる
人間はトータルな思考ができない、それが人間の弱点でありそれで失敗する
原発事故だって誰もその全体を知るものはなかった、原発とは一見自然と関係していないようで関係していた、津波でも安全対策として必要だった
それを東電では予想していたのに対策しなかっただけなのである

現代は複雑化して専門化して全体を見る力がなくなった、郷土学というときそれは全体を見る学問だった、一地域でも相馬藩としても広いからである
全体をみたとき地域的に見たとき何か相馬藩は歴史的にも伊達藩と対立したが宮城県の方と地域的にはつながりが深い、阿武隈高原にさえぎられて福島市とかは視界に入らないからである
それと海を通じて宮城県とつながることが津波の被害でわかったのである

海底谷は日本の周辺にたくさんありますが、 じつは東北地方にだけは大きな海底谷を見つけることができません。
陸上には断層も多いのにまるで海底が調査できなかった時代の地形図のように川は海岸線で終わっているのです、これはいったいどういうことでしょう
その理由は東北地方の沖では絶えず海溝型の大きな地震が起こってるためです
地震が発生すると斜面にたまった堆積物が不安定になり地滑りや斜面崩壊などが起こります、そのため大量の堆積物が陸上から流れ込んできて海底の断層を埋め尽くしていまい、海底谷が見られないので

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藤岡換太郎. 川はどうしてできるのか 地形のミステリーツアーへようこそ (ブルーバックス)

このスケールも時間的に空間的にも億年とか地球の大陸が分離する前の川が海に残っているとかなり川のドラマを語っている
ここで注目したのがいかに東北地方とか三陸辺りとかがもともと地震の巣になっていた
そういう危険な場所だったのである、ただこうしたとてつもない地質学的スケールとなると人間は見れなくなる
ただ津波でそういう危険な場所だったということを自覚させられたのである
だから川と海も分離したものではなく地球は一つの総合体だということを知るべきなのである
posted by 老鶯 at 10:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層
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