2019年11月14日

冬に入る(里に老ゆ―故郷の里とは何かその考察)


冬に入る(里に老ゆ―故郷の里とは何かその考察)

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枯枝に山鳩とまる里に老ゆ

晩菊に陽さしなごむや里に老ゆ

この里に耕す女や朝の菊

しっとりと菊の濡れにき常の道

鮮やかに渡りの鴨や今朝の川

秋の蝉余韻やここに我が座る 



●兎追いし故郷

兎追ひし彼の山
小鮒釣りし彼の川

夢は今も巡りて
忘れ難き故郷

如何にいます父母
恙無しや友がき

雨に風につけても
思ひ出づる故郷

故郷というときこの歌が有名である、故郷は古里なのである、この里というのが日本独自の世界なのである、それは外国語に訳しようがないことでもわかる
田舎だとcountryであり村だとvilligeで一応訳せる、でも里は訳しようがない日本独自の生活空間なのである
それで里山資本主義とかの本が出たりする、里山というのも里の延長としてある
里とは生活共有の暮らしの空間である
兎追いしというときそこに野生の動物も生活できる空間が里の延長にある

実際私が住んでいる場所は里ではないけど回りには田畑がある
つまり田畑がないとそこは里にならない、だから都会にはもう田畑がないから里がない
まがりなりにも田畑があり自然でも動物でもたまに出て来たり小鮒釣りしとかメダカとかも生息できる小川とかがある場所なのである土手の道は毎日通っている、買い物で通っている、そこに休む場所がある
そしてそこで秋の蝉の声を聴いていた、その蝉の声がやんだときその余韻はそこに残っていた、そしてそこには兎もでてきたのである
街に近いからここまで出てくるとは思わなかった、ただ回りの山には兎は来ていた
だから兎は結構みかけるものだったのである
ここまで兎が来たのはおそらく原発事故以後荒地が増えたためである
荒地だと動物にとって隠れられるからいい場所なのである
前は自然の小川が流れていてそこにどじょうとかメダカとかもいたのである
今はコンクリートの水路になり失われた
なぜか鮎が川から消えたのも不思議である、これはここだけではない、鮎が消えている川が多くなっている、これもどうしてなのかわからない。

今年は季節の変化が激しかった、秋でも暑い日がつづいた
今日は最初は東風か南風だった、それから北風になって寒くなってきた
北風が吹けば本格的な冬も近いとなる
風を感じることも季節を感じることである、車だと風を感じないから季節感がなくなるのである、あまりにも居心地いい空間がそこにあるからそうなる
「風流は寒きものなり」というときやはり寒さでも肌で感じて季節を感じなければ風流もないのである、風流とは風の流れとあるらだ

●農業社会から工業社会へ大きく変容した世界

日本人の故郷意識が変容したというときやはり農業社会から工業社会になり生活形態が大きく変わったためである、原発事故はそうした大きな時代の変化の中で起きたのである
なぜなら農業では生活できないとして原発を誘致した
原発で働く人はこの辺では本当に多かったのである
飯館村は遠いから関係ないと見ていたが実際は原発で働く人がいたのである
それは金になるからである、普通より倍とか金になるからである
だからたいがい原発でこの辺では働いていた経験がある人が多いのである

正直里とといっても牧歌的なものとしてイメージしているが実際に生活するとなると過酷になる、動物も共生するのがいいとしても畑ではネズミだ鳥だキジだとか動物に野菜を食われることで常に損害がある、だから自然の動物と共生するとしてもむずかしくなる
せっかく苦労して作ったものを食われてしまうからである
それから田舎の仕事は草刈なのである
知っている女性は草刈を頼んでいる、すると草刈りをしたいと申し出る人が次々にでてくる、草刈してもらうと金を払うことになる

それが馬鹿にできないのである、他でも草刈りしている部落の人がいるがそれは補助金が出たりしてしている、田舎の主な仕事が草刈なのである
どこかで毎日草刈しているからである
その畑は何も収穫がない、てもそのまつにしていると耕作放棄地になって草ぼうぼうになる、今その土手の道の畑の半分は荒地になっているからだ
それが全国で増えているのは畑で何か野菜でも作ることが手間でありかえって肥料だとか種だとか金がかかるからやめてしまうのである

自分のようにただ畑をみている、そこで花が咲いているのを見ているならいい、でも実際そこで畑で仕事するとなると苦労ばかりになる
だからなぜ日本から昔の故郷のイメージもなくなってきたのかというと農業社会から工業社会とか他の仕事に変わったからである
農業とかに従事している人は一割にもみたないからである

でも日本人が村とか里とかが故郷となりそこがアイディンティティの場所だったことは間違えない、ただ村となると実際は相当に広い範囲だったという指摘があり里とはそれより小さな日常の生活空間である、だからこそ外国語に訳せない日本独特のアイディンティティの場だったとなる

●津波原発事故以後の変化が激しかった

とにかくこの辺は変化が激しすぎた、風景も津波原発事故後も大きく変わった
今でも突然新しい街がいくつか生まれという感じになる
なぜなら大熊で選挙がありその選挙のために投票をしてもらうために来ていた
だからこの辺には原発事故で避難した人がすでに相当数住んでいる
もう二割くらいはそうかもしれない、それで駅で話してみると本当に外から来た人が多かったのである、少しでも話してみるとすぐに外から来た人はわかるからである
でも実際はどういう人達が住んでいるのかわからないのである

そして土手の道の畑の後ろにはまた障害者の学校ができる、それも大きいと思った
とにかくまた障害者というのも日本全国で一千万人近くいる、それはどこの市町村でもいる、これも相当な負担なのである、それから今度は高齢者が増えて医療費とか福祉とかで負担が増える、そういうふうに福祉の負担は増すばかりなのである
そこは社があり田の中にあった、それは豊作を祈る神が祭っていたとなる、その社も障害者の学校で残っていてももともとは田んぼの神だった、それから他でもダイユーエイトのある場所にも田があり田の神が祭られていたがその田自体が今はなくなった
こういうふうになるのは都会だったら無数にある、東京の神田とかそうである、もともと田がついていれば田があった所なのである
東京にも里があった所だともなる、それが全くわからないが神社だけが歴史の記念として残されているだけなのである
その田の神様も次は都会化すれば商売繁盛の神に変化するのである

いづれにしろ「枯枝にとまっていた山鳩」はその畑で見たのではない
でも山鳩は鳩は平和の象徴である、そして枯枝となると枯木となると老人をイメージするつまり里に老いるというとき何か鳩のように平和に暮らして里に死んでゆくのがいいとなる、ただこの里は必ずしもここだけではない、故郷だけではない、故郷は父母をイメージするが里は日本のどこにでもあった風景だったのである
枯枝に烏のとまりたるや秋の暮―芭蕉」これと通じるものがある、枯枝とか枯木は老人をイメージするのである
ともかく人間はそうした里であれ場所とのつながりを失ってきたのである
そうさせたのは何だったのか?
それを原発事故とかで延々と自分は考察してきたのである
この辺は特に鳩の平和がなくなっていたのだ、激変してしまったのである

●里と田園の復活再生

里の復活、田園の復活があっ故郷がありうる、だから浪江の街中に住んでいた人はまわりに田畑があっても関心がなかった、別に東電の原発で働いていれば良かったとなる
それで金になるから生活もできるから良かったとしているもの理解できなかった
そして浪江が二万人も人口があったのは原発があったからだとしている
田畑などその人の眼中になかったというのも異常である
そういう人は東京に住んでも都会に住んでも違和感を感じないと思う
回りの自然とか田畑に関心がないからである、だから工業地帯に住んでもそこで生活していても違和感を感じないとなる
それが何か異常なことでも異常でなくなる、おそらくこの人だけではない、田舎に住んでいても農業とかに従事する人が一割にもみたないとなると人間の感覚はそうなってしまっても不思議ではないとなる

日本人から日本の国土から里が消失したときその時日本人の心も喪失してしまったのである、そういうことが原発事故にもつながっていたのである
原発は高浜町のように金に目をくらませるものだった、だから金に踊りそれが事故につながったともなる、そして故郷に古里に里に住めなくなったとなる

ともかく町の近くにいつも行く所に里があったということを発見した
そこは平凡な世界だけど奥深いものがあった、そこに人間の生がありそこが死に場所としてふさわしいとまでなる
そういう狭い世界に日本人のアイディンティティがあった、ただそれが手放しですべていいとはならない、様々な問題の場所でもありこの世に桃源郷とかはない
それはあくまでもイメージされた場所であり現実にはないのである    

●里は悟(さと)る世界から来ていた                                                             

もともと「いも」は、いわゆる「山芋(やまいも)」のことであった。それと区別するために、「里で栽培される芋」の意味で「里芋」と呼ばれるようになった。
奈良時代には「芋」を「うも」といい、家の芋という意で「いへつうも(家つ芋)」、平安時代以降は「いへついも」「いへのいも」と呼ばれた。里芋と呼ばれるようになったのは室町時代末期とされる。

里とは山と区別して里が生まれた、山芋は山で採れたし今でもとれているしイノシシとかの食料になっている
それが里で栽培されるうよになって里芋になった、家芋もあり家で栽培されたからそうなった
最初は山芋でもあ家で栽培されて家の芋になり次に里の芋になった
とすると里が生まれた経過は家の延長として里が生まれたともなる
だから里と村とは違ったものなのである、村は一つの大きな共同体だが里となるとまず家から始まったとなればそうである
家の周りが里だとなるからだ  

また言葉の不思議がある、里(さと)があり悟る(さとる)がある、これが悟るとか関係しているのか?
里とは狭い範囲でありそこで悟るということがありうる、悟るとはわかるということである
狭い範囲だからわかるということに通じている
人間は家とか家の延長の里とか村とかだと自分の血肉のようになり悟るとなった
こうして私自身が狭い範囲で悟ったものを書いていることでもわかる
範囲が広くなると理解できなくなる、まずグロ−バル化するともう理解できないのである
いくら物が世界から入ってきても悟ることはない世界なのである
そこに様々な問題が生まれてきてどうにもならなくなるのである
なぜなら互いに理解し合う悟ることができない社会だからである



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