2019年10月16日

今回の河川氾濫洪水も津波と同じか? (自然の大きな力を忘れている)


今回の河川氾濫洪水も津波と同じか?

(自然の大きな力を忘れている)

大津波が来る前に仙台の若林区では
海へ向かって新興住宅地が拡大していた
そこは津波が来るから危ないと警告した
すると不動産業者が土地の値段が下がるから言うな
と怒り抗議して来た
そして大被害になった
人々の命があまた失われた
人間は日々10円百円のコストに厳しい
金のために日々追われている
その時大きなものを見失う
ある時自然は己を容赦なく主張する
人間の日々のコストなど無頓着
「ここは海だった」
だから海にしただけだとなる
「ここは川だった」
だから川にした
もともと川は広い流域が川だったから
そこに人間は家を密集させて洪水になった
自然はある時千年単位でも
元々った己が姿を取り戻す
その時人間の日々のコストのことを考慮しない
そういうことが眼中にない
そこに人間の危険がある
大いなる自然の計らいを見ることも知ることもできない
人間は日々目前の利益にあくせくしているだけ
毎日十円百円の勘定をしているだけ
わずかの金で一喜一憂しているだけ
原発事故もそうして起きた
ただみんな目の前に利益のみを追っていた
上から下から地元からみんなそうだった
大いなる自然の神の計らいを知る術もない
それで科学者が十数メートルの津波が来ると警告した
その時東電の幹部は防波堤を作るのに金がかかると無視した
金がかかるから金を惜しんで無視した・・・
人間は大いなる自然の前に無力だということを
自然災害で常に感じる
でもまた忘れて日々の利益に追われるだけ・・・


人間は今回の様な河川の氾濫でもそうだった、津波の時もやはりスケールが違っていたが同じようなことが起きていた
仙台の若林区には郊外となり家が密集して建ったところである、海が近いということで景色もいいからである、だから住宅地として不動産会社が売り出すには良かった
それで科学者がそこは津波が来るから危険だと警告した時、不動産会社の人が怒り抗議した、商売の邪魔するのかとか怒って抗議したのである

何かこういうことが自然災害でも津波でも洪水でも共通している
自然は凶暴な面をもっている、でも津波でも洪水でもそれは自然の作用だということがある
なぜなら津波でももともと海だった所を海にしたということがあるからだ
この辺の八沢浦はもともと海だった所を開拓して田んぼにした所だからである
だから八沢浦が元の入江にもどったというとき本当に驚きだった

そして今回の洪水でもそうである、千曲川も長野市辺りも広い扇状地でありもともと川の流域だった、そこが氾濫原と呼ばれていたことでもわかる、氾濫が常に起きていたのである、堤防を作ったとしてもそれでおさえきれず元の川にもどされたとなる
だから自然災害を無くすためには本当はもともと海だった所とか川だった所に住まないことなのである
でも人口が増えて宅地開発をしてきたのが戦後である、だから危険な場所に人が密集して住むようになったのである
それで新幹線の車両基地から千曲川が見えなくなっていた
川は遠いとなり安全だとなって被害になったのである

人間はとにかく自然の大きな作用とか計らいを見たり知ることができない
自然を空間軸でも時間軸でも俯瞰的に長期的に見れないのである
それが弱点となって常に自然災害にあうのである
何か不思議なのは私は大きな金をもったことがない
でも例えば一億円とか持つと人間はどうなるのか?
日々百円を計算して買い物している人はそれが習慣になる
だからその一億円という金を計算できない、10万くらいまではなんとか計算できる
でも一億円となると計算できない、それで数百万損しても感じないとまでなる

つまり人間の生活でも国の予算など天文学的になるから計算できない
そこに大きな無駄が生じているのである
そこでグロ−バル経済のことなども株のことなど計算できない、わからないのである
第一地銀の人なども株のことも投資信託のことも全くの素人だったし知らなかったからである、そんな人に任せること自体が間違っていた
そもそも株とか投資信託でも知っている人がいるのか?
グロ−バル経済の証券市場が実はギャンブルになっているのもそのためである
誰もその巨大な天文学的な金のやりとりを知りうる人はいなとなるからだ
百円とか千円とか十万くらいまではなんとか計算できる、私の場合はもともとそんな金を使ったことがないから百万くらいになると勘定できなくなる

人間とは自然から比べるとこうして失敗する時自然は人間にとって計りえないものだからである、むしろ自然から神から計られているのが人間である
神の目から見たときなぜあんなに危険な場所に家を集中させるのだとみる
でもそんなことを考慮しない、自然はそこはもともと海だったとなれば海にする
もともと川だったとすれば川にするのである
それは人間を越えた大きな力でそうする、人間にはそれに備えても備えきれないのであるだから危険な場所には住まないということが自然災害から逃れる最大の安全策だとなってしまう、でも現実は人間はそういう危険を無視して住んでいて災害にあうのである
それは結局人間の責任であり自然の責任、神の責任ではないともなる
人間は自然の大きな力はわからないにしても危険な場所はわかっているからである
それはハザードマップで指定されているからだ、それがすべてわかっていないにしろほぼ低地は洪水の被害になるのである

ともかく相馬市になると津波の大被害があり次は川の氾濫がありとなんでこんなに被害があるのか?痛めつけられるのかわからないともなる
宇多川の岸辺で話していたのは数日前だったのである
そこは放射線でも鹿島と変わりないのに補償金もらえなっかたとか話した
宇多川はあまり水が流れない、狭い川である
そこが川岸が削られて市街にまで水があふれたのも驚きである
駅の方まで水があふれたというと相当広い範囲で水があふれた
これも数日前は川を見ても水もちょろちょろ流れているだけでありこんなことになるとは思いもよらなかったとなる 

自然は日本は特に急変する、水が山にふり急変する、増水して滝のように水が流れて来る外国の大陸の川でも洪水はある、でも洪水があっても急激ではなく、水浸しになるのも徐々になるという、でも水がなかなか退かないので困るという
大陸の川と日本の川は違ってる、日本は急激な変化に何でも見舞われる
地震、津波や台風でもそうである、そして四季があるのもそうである
だからそこに常に変化があり緊張感が生まれる風土だとなっている
そして次々に災害に襲われるからまた忘れるのも早いのである

posted by 老鶯 at 09:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層
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