2019年10月14日

自然災害は長期的視野で空間軸と時間軸で見る作業が必要 (千曲川も200年に一度くらいの規模で洪水があった!)


自然災害は長期的視野で空間軸と時間軸で見る作業が必要

(千曲川も200年に一度くらいの規模で洪水があった!)

「千曲川の源流がある山間部に大量の雨が降った。過去にも水害が起きたが、200年に一度ぐらいの規模だ」

 海に面していない長野県は年間の降水量は全国的に見て少なく、内陸の盆地は特に雨が少ないことで知られる。静岡大防災総合センターの牛山素行教授は「普段は雨が少ない地域で豪雨が降ると、絶対量は少なくても、災害発生のリスクは高まる」と指摘する。

自然災害はまず地形とか長い間の機関で見ないとわからない、ここに洪水がなかった
ここでは雨が少ない、だから洪水はない

それは津波でも起きたことだったのである、今回の大津波は石巻から福島県の海岸地域では400年の間津波が来なかったのである
そうするとここは津波が来ないと確信までになり老人でも逃げないで多数死んだ
つまり老人はいくら100年生きていても200年単位になるともう記憶もなにもなくなるからだ
そういう長期的視野で見るのが人間は苦手である
時間軸になると歴史となるとわかりにくいのはそのためなのである
せいぜい祖父母の代まではリアルに意識する

まず明治があり大正があり昭和がある、でもさらに平成があり令和になる
もうこうなってくるとわからなくなる場合がある
平成と昭和の相違は何なのとかなる、その順序までわからなくなる
江戸時代では年号を見てもそうして順序を逆にして見る
そこでどういう時代なのかわからなくなるからだ
でも祖父母の代まではこの順序を間違えることはないのである

津浪でも地形が本当に影響した、すぐ前は海なのに前に丘があったところは津波が来たのを見て裏山に逃げて助かった人がいる、それは丘で津波がさえぎられたからである
津浪に効果的なのは津波の勢いをそぐ台地があることだったのである
何もないところは奥まで津波の勢いがとまらず被害が大きくなったのである

人間の弱点は長期的視野で見れない!

住んでいる地理的空間認識ができない!

これが人間の弱点だったのである、時間軸と空間軸に人間が生きるとしても意外と自分の住んでいる場所の地理的空間的認識ができないのである
千曲川でも上流地点の山で降ったというときもそうである
長野県となると山が多い、するとまたそういう広い空間認識に欠ける
それから長年の経験で雨が少ないというとき洪水はないという確信までになる
それは津波が来ないということと同じなのである
自然は長期的に見ると変化する、今来ている台風も昔の台風とは違っている
そして200年単位で変化することに人間は対応できないのである

だから地理的空間認識と時間軸の認識を高めることが常時必要になる
まず日本の地理は地形は複雑なのである、この地理を地図を見てもわからない
土地の高低とか高さとか広範囲な地理の認識はできない
そこがまた弱点なのである、人間は鳥の目を鳥瞰図を持ちえないのである
生活している範囲も狭い、だから今回でも千曲川の上流地点の山々を意識することはむずかしい、それが弱点となって常に災害に弱いのである

そもそもその土地の地形とか地理は長い間の変化で作られている
地質学となると千万年とかも単位となる
それを知ることは容易でなくなる、でもそこまでさかのぼらないと地理とか地形とかはわからないのである、そこに何が起きるかはそうした地理とか地形とか地勢を見なければならないからである

私は日本中を旅したからそういう地理とか地形とか地勢に興味をもった、ただ科学的にはわからない、でも人間の認識の基本は空間軸の地理と時間軸の歴史である
それがこの世界を自然でも認識する軸になる
それは政治とか様々な事象でも基本になるのである、学問でもそうである
地理を知らなければ基本的に世界を知ることは不可能なのである
政治的なことでも朝鮮半島が朝鮮半島として古代からあり統一しにくいのは大陸からの影響でそうなる、そして日本からの影響でもそうなる、挟まれてそうなっている
つまり地理とか地形とか地勢は人間の宿命でありカルマなのである
だからそのカルマを知るべきなのである

人間個々人の運命すらカルマがかかわっていることを考察してきた
そこに何かしらの因果あり苦しみとなって現れるのである
そのカルマから人は逃れることができない、必ず苦しみとなって現象化するのともにているのである
ただカルマというのは何か悪いことしたからと言ってすぐにその結果は現れないのである若い時の若気の至りは老人になっていから悔いることになり苦しみとなって必ず現れる
カルマとは何か因果を作ることだからである
それが苦しみとなって現象化するのがカルマなのである

原発などもすでに40年前とかに戦後まもなくとか正力松太郎によってアメリカから導入されたとき因果を作っていたのである
その時すでに原発事故の因果を作って現象化して苦しみとなったのである
何かそうした因果は自然の場合は長期的視野でみないとわからない
百年でもたりないしかし二百年になるともう祖父母の代でもないからリアルにイメージできなくなる、そして大災害が津波のように起こるのである
でも人間は千年単位となるともう時間軸で見れなくなる
それが弱点となりまた災害に合うカルマから逃れられないのである

いづれにしろ科学とか学問は空間軸と時間軸での考察を深めて警告することだともなる
それは津波でもできた、一応相馬藩政記は相馬藩ではありそれは記録として重宝されている、殿様が代替わりしていないからである、そこで一貫した記録として残った
そして「生波(いくなみ)=津浪で700人溺死と記されていた
でもそれは津波になってから発見された、もしその前にこのことを指摘する人がいたら
学者として社会にいかに貢献したかとなる
それから東電でも10数メートルの津波が来ると警告していた
これは信用されるものだったのである、この二つのことがこの辺で広く知らされて注意を喚起していたら逃げて助かった人がかなりいたとなる
それが知らされなかったことが大きな問題だったからである


posted by 老鶯 at 13:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層
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