2019年10月08日

飯館村の水利組合の原発マネーの利権化     (原発マネーはブラックであり人も市町村も汚す)


 飯館村の水利組合の原発マネーの利権化
  
 (原発マネーはブラックであり人も市町村も汚す)

東京電力福島第1原発事故で生じた汚染廃棄物を燃やす福島県飯舘村の仮設焼却施設に絡み、環境省が農業用水路の利用料として、地元農家らでつくる水利組合に3年5カ月にわたり計約2億円を支払っていたことが7日、関係者への取材で分かった。会計検査院は、不要な支出だったと指摘する方針
飯館村は原発事故前は貧乏でも何か素朴な村として見ていた
それで花が純粋に映える、何か高原でもあり原始的なものを感じる
不思議に花が草深く咲いていた、高山植物のような感覚にもなっていた
また木戸木の所は道がなく森で覆われていて清流が流れていた
そこは隠された秘密の場所だったのである  

飯館村は何かこの辺の平地の感覚と違ったものになる、それは不思議だった
それはやはりそうした環境があり昔からそういうふうに開発もされないからそうなっていた、工場があるにしても小規模だし何か自然のままにあった村だった
それで山菜をとることが習慣であり料理の定番となっていた

それが原発事故以後変わってしまった
飯館村はほとんど原発とはかかわっていなかった、でもやはり原発で金になるから働いていた人はいたのである
それでも原発とはかかわらない村だった、ただ風の影響などで被害が大きくなった
だから同情されたのである
でも今や飯館村は金まみれである、補償金の問題で村は二分されているし分裂した
それは南相馬市でも同じだった、補償金でもめて分断された
それは伊達市でもあったというから金でもめるのはどこでも同じである

ここで水利組合とかででくるけど漁業組合ともにていると思った
原発事故以後やはり原発利権が大きいからそこから金を得ようとする
それは権利とあるにしても何か金を東電からむしりとろうとするとも見える
農業用水路というけどその水は実は南相馬市にも流れてくるのである
真野ダムにも流れて来る、すると相馬市でも南相馬市でも汚染された水が流れて来るともなる
土地はつながっているから飯館村で何かあれば影響するのである
海でもつながっているから影響する、その場所だけで処理できるならいいができない
だから前に書いたけどい飯館村の問題は南相馬市とか周りの問題でもある
飯館村だけで決めることができないのである
だから飯館村は南相馬市と合併しなかったけどそれで補償金を独自にもらえるから良かったとしているが実際は土地はつながっているのだから南相馬市の問題にもなっているのだだから別に合併しなくても広域的に対処すべきものだった

まず飯館村は原発利権化した村になった、それは原発マネーで騒いでいる高浜町と同じである
それを喜んでいる人もいる、その人の家は新築されたからである
相当な原発マネーが入ってきたからである
でも何か飯館村は事故前の村の魅力が失われた

例えば花が映えるという時、それは実はそこに住んでいる人たちの心がまともであれば映える、自然の美と人々の心がモラルは関係している
例えば悪しき心の人は花を美として見れるのか?
心が穢れた人が花をまともに見れるのか?また映えるのかとなる
そのことを言えばこの世がすべてそうだとはなる
前は飯館村に行っていたときはその村は隠されるようにあったから良かった
それが今は何かいろいろなものがむきだしになっている
除染されて土がむきだしになり田畑は草ぼうぼうになっている
それからソーラーパネルとかでも景観が乱されている

そしてまた人が住んでいないということでも荒廃している
前は飯館村は広いから一軒一軒森につつまれて家があり広い庭があり畑があり花が映えていたのである、何かそれが高原の村だから花だけが美しく映えたとなっていた
それが今は人は住んでいないし荒廃した
そこから伝えられるのは醜い金をめぐる争いであり原発マネーで利権化した村である
それは高浜町とにているのだ、までいな村とかはもうない、原発マネーに踊らされる村である
だからそうなると花も映えないのかとなる
前は別にいろいろな人がいて田舎の人が素朴だとかなくなっている
でも隠されていたということでそういうものが外から来たとき目立たない、ただ私が見たのは花だけだったとなる

そして立派な施設ができても学校がてきてもそこに通う生徒は地元に住んでいないのである、外から通っている、これも何か人間は果たして立派な施設が学校ができてもそこで良き心が養われるのか?
それも疑問になる、貧しくても良き心は養われることはある
かえってもう原発マネーは巨額なのでそれに惑わされて何も見えなくなってしまう
それだけ高浜町でもわかるように金の額が大きいからそうなる
金にみんな狂ってしまうのである
それが原発マネーの怖さだったのである

そして最後は街は廃墟化してずたずたにされて住めなくなったのである
住めなくなることが最悪だったのである
その土地に住まないということはその土地と離れて住むということは何なのか?
もうそこに愛郷心とか生まれないだろう、一つの原発マネーを得る利権の場所である
村長でも町長でも利権の場として見るということがある
それは高浜町で起きたことと同じである
利権をむさぼるということだけになる、そういうところからいくら金が得てもまともな人間が育つのかともなる

ただ今の時代は金でありそれを否定できない、おそらくもし原発マネーでなかったらそうはならなかったのかもしれない、原発マネーは何かブラックなのである
その金を得てもいいとはなっていないのである
それは福島原発でも高浜原発でも同じことが起きていたことでもわかる
金が湯水のように使わればらまかれるのである
そこから自治体が金にまどわされ狂乱状態になる
そして遺産争いのようになり分裂して分断されてその亀裂が修復できなくなっているのだそれは原発の業(カルマ)だったとなる
原発はそういうカルマを背負っている、それで原発を作った自治体では同じようなことが起きているのである

posted by 老鶯 at 13:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 飯館村
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