2019年08月21日

あおり運転の心理(車は人格を変える)−スクランブル1

あおり運転の心理(車は人格を変える)−スクランブル1{テレビ朝日)

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●車の中がじぶんにとってリラックス空間

これはクルマの中が外から遮断された密室となり自分の自由な空間となる
そこには相手がいない、他者がいない、いたとしても親密な人でありそれは気を使う他者ではない
その空間は他者を排除して受け入れない空間なのである
プラベイトな空間である、プライベイトとは奪うという意味であり空間を奪う私的なものとして奪うことなのである

そこにパブリックが欠けるのである
共有する空間という意識がなくなる
専横的的にふるまう空間なのである

電車ならそこは他者がいて気を使うから共有空間である、そこに他者でも情を通うということがある
老人席とかが用意されているのもそのためである
つまり車はこうして極めて私的なものとして相手を無視して暴走する性格を有している
それでハンドルを握ったとき人格が変わることを意識しろとなる
日ごろ穏やかな人でも人格が変わることが怖いのである
そうしてそういう人格は形成されているから車に乗らない場でもそういう性格をひきづるのである

とにかくクルマは他者に対する共感性を喪失する乗り物である
歩いて旅すれば旅は道連れとなる
そこに情が自ずと育まれる、そして別れるときもその後姿をずっと見ている
車は例えばそういう情を育むものが一切ない
瞬間的に別れを惜しむ時間もなく暴走して差ってゆくのである
つまり必ずキレル乗り物なのである

駅だったら待つ時間がありその時間が人間的時間を造りだしている
何かそこで十分でも待つから話したりする
それだけでも何か駅を人間的なものにしている
クルマにはそういう人間的時間とか共有する時間がないのである
プライベイとに暴力的になるものもわかる
自分だけの空間で他者への配慮がなくなる
それであれは極端にしてもなぐりつける

オレの邪魔するな)となる

そこには忍耐心も情もはぐくまれない、それは牛馬とか動物と一緒に生活したとき相手は生き物だからそこに情が育まれた
馬でも牛でも名前を呼び人間のようにも扱ったから情が育まれていたのである
クルマ社会の人間は何か他者への配慮がなくなる、クルマは他者を排除してキレテ暴走するのである
だから現代の人間はこういうクルマ人間になっていることが怖いのである

ハンドルを握ったら人格が変わる

これは林秀彦がテレビが人間どれだけ変えたか自らテレビとかかわってそのことを指摘した
ラジオがナチスを生んだというようにテレビで人間の人格まで変えられていたのである
道具はなんらか人間そのものもを変質させるから怖いのである
それはパソコンでもスマホでもそういうことがある
人間はやはり対面的でないと本当のコミ二ケーションが作りにくいのである

タイムアウトしろというときやはりクルマで走り続けるのではなく中断するということである
一息ついて車から離れることである
ただそれはかなりむずかしい、それで車から解放されるわけではない

いづれにしろこのあおり運転した人は40くらいで普通ではないことはわかる
そしてこの40代が問題を起こしやすいことがわかる
最近の事件でもそうだからある
この人は金に困っていない、マンション経営とかで親の遺産で暮らしているからだ
こういう人は都会にいる、それで外国で会った人が自由に早い時期に外国旅行していたのである
そういう人は本当に恵まれた人だったのである

ただそういう人は自由をもてあます、それで必ず「小人閑居して不善を成す」となる
そういう人が非常に多くなっている
このあおり運転した人も一流会社にキーエンスというAIの会社に就職していたからである
でもすぐにやめて社会性が喪失して遊ぶようになり問題を起こしたのである
そうなりやすいのである、それは自分自身も経験しているからわかる
40頃に何か問題を起こしやすいのである
何かおかしな方向に暴走しやすいのである

あの人は異常でも車に乗るとあれほど暴力的になるのかということをまざまざと感じた
あそこまで普通はしない、それはクルマが人格を変えるということでそうなる
クルマでは忍耐心が養われない
常に渋滞でもいらいらしている、とにかく切れやすい乗り物なのである
それがクルマから乗らなくても人格が変わっているのである
切れやすい性格になり情がない人格になる
だから現代人は人格そのものが変わっている
何か他者を人間とも見ない、物にしか見えない、それはまた資本主義社会で金だけが唯一の力となったこととも関係して
さらに人間は人格が変わったのである

そういう人間に取り囲まれていることは恐怖だとなる
他者に対する同情心も喪失している、第一車だったら道路で怪我していようが死んでいようが見ないで去ってゆくだけである
それで知っている人が道端に人が倒れていても助けないというときクルマ社会で形成された情なき人間になっているからそうなるとも言える、クルマに乗っていれば他者への配慮とかいたわりなど消失するからである
むしろ攻撃的になりあれほどなぐりつけるのも驚く
他者はもう攻撃してクルマで踏みつぶすものだとなってしまうから怖い
自転車でも絶えず邪魔者として怒鳴られる、そこに人間としての交流もなにもないのである
文明人は様々な便利な機械を利用するがそこで人格が変わっているのである
その機械の負の部分を知るべきである、原発でもそうだが機械には必ず負の部分がありそれが大きく影響して社会自体を変えている、人間も変えて非情化しているのである

posted by 老鶯 at 13:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層
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