2019年08月17日

親が子を捨てる、子が親を捨てるカルマ (親より今は金が大事な時代)


親が子を捨てる、子が親を捨てるカルマ

(親より今は金が大事な時代)


自宅で男性の遺体の両ひざ部分を包丁で切断しようとした疑いがある。千村容疑者は父親(90)と2人暮らし。16日午前、千村容疑者が昭和区役所に「5日ごろ(父親が)死んだ」と電話し、連絡を受けた区役所が署に通報した。

 千村容疑者は「生活保護費を受給できなくなると困るので、見つからないようにしようと思った」  
  
この事件は生活保護と親と子が関係して起きた
親が死ぬと生活保護費がもらえない、それで親が死んだので隠そうとした
でも死んだ親でも親の体を切断するとなるといくら追い詰められてもできるものなのか?ただ人間は追い詰められるとなんでもする
生活保護を打ち切られると食べていけないと包丁をもって役所に行き警察に捕まった人もいる
人間は善悪ではない、もう追い詰められた人間はなんでもする
今日食べるものがなければ人でも殺すようになるから怖い
そういう人と出会ったら怖いとなる

そして今は誰か助けてくれ、今日食べるものをくれとか他人に言えない社会である
だから役所が生活保護が命綱になっている人が多いのである
貧困化する日本ではそういう人たちがますます増えてくる
老人でも増えてくる、生活保護は医療費が無料でもその他なにももらえない人がいる
また田舎と東京とかでは違ってくる、だからみんな生活保護がいいというけど
そういうことはないのである
地方だと東京のように十何万とかもらえないのである
そして最後の頼みの綱が役所になるから命がけで交渉することにもなる

親が子を捨てることなど普通にありふれている、親が子を捨てるというとき例え親がその子に食べ物を与えても子を捨てている人もいるのだ
精神的に子を愛さないし事実上捨てている親も多いのである
親は子供を産んだから親になるわけではない、子供が生まれて愛情もって育てれば親になる、ただ飯を与えただけでも親にはならないのである
だから親としての価値を作る努力を親がしなければならないのである
子がない私も言えたことではないがそういうことが多いのを見ているから言うのである
それは昭かにカルマとなっている

親に苦労させられた子は親を親とも思わない、もうぎりぎりになったら親の死体でも切り刻むともなる、親より金だとなるのも普通だし多いのである
その人は12,3歳ころまでは一人娘で大事に育てられたがその後は両親は離婚したりして親戚にあづけられたとか親にひどい目にあっているから親を親とも思わないとなる
それで私が私の墓のとなりに墓標をたてたから墓参りしてくれと10万電車賃を渡した
でもお盆で来ると言ったが来ずにその関係もキレたのである
その人は貧乏なので10万の方が大事だったのである
親のことを供養するとか頭にない、親はすでに捨てられていた、10万の方だ大事でありそれをもらったから墓参りにも来ないとなったのである
ただ私は本当はめんどうだから関係したくなかったからかえってキレて良かったとなる
親だけではないその人自体に問題ある人だったからである
祖母の遺産を二百万やっても一年足らずで全部使ったとか金使いが荒い、性格がそうだからどうにもならないとなる

本当に親子の問題は延々と繰り返されているカルマだとつくづく思った
親が子を捨てる、子が親を捨てるというカルマは延々はつづいている
子捨てとか親を捨てる姥捨てとかは昔からあったのである
ただ間引きとかは食料がないのだから貧乏なのだからやむをえないことがあった
子供や老人の食い扶持を減らさざるをえなかったからだ
だから子捨て姥捨てにも今とは違った事情があるからそれらが非情だとも言えないのである

現代は食い扶持を減らすというより精神的に子を捨てたり親を捨てたりしているということがある、ただ貧乏になるとやはり昔のように食い扶持を減らすということでてくる
親が子を遊女にしたり丁稚奉公させたりと貧乏であればそういうことがあった
そうせざるをえなかったのである
今の時代はそういうことではなく子に愛情をもたない、精神的虐待が多いのである
それで傷つき正常な人格形成ができなくなっている
これも現代的な子捨てなのである

とにかく人間はみんな子供をもったとしても親としての価値ある親になるとはならない
そのカルマは親を簡単に捨てるとかとなって現れる
知っている人も確かに両親にひどいめにあったとしても今度は自分の子供に同じことをするようになる
とてもその女性はまともでいなからだ、すると経済的にも精神的に子供に負担をかける
親→子→孫とカルマがつづくのである
そのカルマの連鎖が切れないのである、それがカルマの怖さなのである
あなたの行為(カルマ)があなただけで終わらない、その子や孫まで受け継がれるのである、原発事故になると放射能が消えないからいつまでこの地に影響するのか?
孫の代からさらに曾孫からさらに子孫に延々と影響してゆくのが怖いのである
そのカルマを断てなくもなる、遺伝子障害がそうである

いづれにしろ親に捨てられまた結婚して妻に捨てられまた子にも捨てられとその人生は何なのだったのかとなる、それは自分も関与することだからそれは何なのだったとなる
でも特殊な例ではなく親が子を捨て子が親を捨てることなど普通にありふれている
そのカルマは消えることなくこの世ではありつづけるのである
こういう基本的なことでカルマがありまたいろいろなことでカルマがありそれが解消しないのである、人は必ずカルマで苦しむのである
何もないと思ってもいつかカルマが苦しみとなって現れ自覚させられるのである

現代は親より金が大事となり金のために簡単に捨てれる
5歳まで親として育てていてもその後に子に世話になるというのも虫のいい話である
それで施設に入ったがその子はその親の金だけが目当てなのである
愛情など微塵もないのである、ところがその親は認知症になっているから余計に悲惨だとなる
ただこういうことは必ずまたカルマとなりその親でもまた子があり子に捨てられるということが起きてくる
こうなると子がないのもカルマだが子があることもカルマでありどっちにしろカルマから逃れることはできないのである、それが人間の宿命だとなる

今や親が子を捨てる悲惨だけではない、高齢化社会で子が親を捨てることが日常的になる中国でも子が親を捨てている、世話しないのである
それも高齢化社会の暗黒であり世界的に起きているのである
だからその人の価値を作るのは親子関係でもそうであり親として価値あるものとなる努力が必要になるのである
ただ血縁だけでは親となるとはならない、いかに育てるとかで価値ある親になる
人間の価値はなんでも与えられたものではなく作り上げることが要求されているのである



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