万葉集の死者を偲ぶ歌、死者と会いたいという歌が基にある
万葉集がなぜ理解でないのか?それは現代的感覚で読んでいるである
私的恋愛というのは万葉時代にはなかったというときもそうである
なぜこんなに恋愛の歌がありそれを現代的には私的なものとして個人的なものとして理解する、でも万葉時代は原始的部族の延長のようなところがありそうした部族では個を私を主張することはタブーになる
つまり常に共同のものとして自然でも共有関係があり私という感覚は希薄なのである
共同の祭りとしてあらゆるものがあり私的なものは認められないし自覚されないのである
その理由として私(わたくし)するということは共同の利益に反することでありとがめられるものである、また英語でもプライベイトとは奪うということであり共同体からするとそれは悪だったのである
公的・儀礼的であった挽歌が、個人の私的感情を盛り込むことのできる器として整えられていることがわかる。公的な挽歌を利用して、私的な感情は表現の水路を見出したと言ってもいい。個人の意識や意思が寄せ集まって、共同体的意識が生まれてくるというのは誤りである。むしろ共同体的意識のなかで、個人の意識や意思が発見されると言ったほうが正確だろう
ここが一番万葉集で誤解しやすいのである、だから現代の感覚で読んでいるからその当時の社会がどういうものだったか理解できないから間違った解釈になる
例えば我とは割れるから来ている、共同体から割れるが我なのである
万葉集を理解するにはむしろこの共同体から割れたもの、我がない世界を知らないと誤解するのである
明日よりは 春菜摘まむと 標し野に 昨日も今日も 雪は降りつつ(8・1427)
この歌でも個人的な歌として解釈する、でもそもそも標し野とは共同地として特定されて禁断の地だったともなる、だからすでにそこは共同体のものであり個人の土地ではないのである
すると春菜摘むというのは何か個人が摘むというものではなく共同体の中で春が来たらみんなで春菜を摘むことを暗示している、その時みんな農民の社会に生きていたのだからそうした意識が共有されている
俳句で季語が無数にあるのはそれはもともと農民が季節感覚に敏感だったからである
それが共有されて文学になったのである
君が行く 日長くなりぬ 山尋ね 迎へに行かむ 待ちにか待たむ(2・85
ありつつも 君をば待たむ うちなびく わが黒髪に 霜の置くまでに(2・87)
たとえば「待つ」という表現は、死者の魂との交感の場面で、とりわけ切実な意味をもった。死者の面影が甦り、その魂が自分に寄り添ってくれるのを「待つ」のだ
この歌も不思議というか理解しにくいし深い意味が隠されているのである
山尋ねということ自体、人が死んで山に葬られる、ということは死者を尋ねる、墓参りすることだともなるし山に葬られた死者を尋ねるともなる
君をば待たむ・・・というのは生きている人なのか?
死者を思っているのかとなる、黒髪に霜の置くまでとなればそんなに長く待つとういうことはありえないともなる
それは死んだ人と会うことを待っているのかともなる
何かこうして万葉集は今の感覚からでは想像できないものがある
そこに当時の人間の原始的感情というものがありそれが現代では理解できないのである
「待つ」という表現は、死者の魂との交感の場面で、とりわけ切実な意味をもった。
待つとは恋人を待っているのではない、死者と会うことを待っているとなる
そうすれば君が行く日長くなりぬとは死んだのだから会えないのだから当然そうなる
死者と会うことを待ちにか待たむとなる
あなたは死んでからもう久しいけど葬られた山へ私は迎えに行きます
このように長くもあなたと会うことを待っています
これは死んだ人と会いたいとなれば切実なものとなる、それは恋の歌とも違うのである
死者と会いたいということなのである、でも会えないから切実なものとなる
恋が乞うであり死者と会うことを乞うから来ている
とにかく万葉集がなぜ理解できないのか?
それは当時の共同体とか原始的感情というべきものをイメージできないからである
現代のようにすべて個人的なものとして私的なものとして理解するからである
つまりもうそうした原始的人間の共同体そのものが現代では消失している
だから共同意識も喪失している、そこで勝手に現代的感覚で理解することになる
だからそもそもこんなに相聞歌が多いのは何なのか?
それはもともと公的なもの共同体の中で読まれたものであり祝詞とかに通じていた
それは天候とかいろいろ関係してみんな農民だった時、その共同の祈りとして歌もあったのでありそんなに私的な恋愛だけではなかったのである
その辺に何か誤解して読んでいる、つまり我(われ)がない時の時代を知るべきなのである、そこにこそ共同の世界があり共有する意識があり重要だとなる
私的なものはその後に生まれたものだからである
母と姉死したるのちも離れざれ我が身にそいてふるさとに住む
こういうふうに死者の魂が身にそうということがある、それが理屈ではなく人間の原始的感情である、それが今でもありうるのである
60年も一緒に暮らしていたからそうなったのである
自分の場合は子供の時から姉と母は一緒にいたからそうなったのである
他では妻とかでも長くいればそうなる、ただ夫と一緒の墓に入りたくないという人や
姑と一緒の墓に入りたくない人が多いのもわかる、むしろ実家の墓に入りたいという時子供の時から暮らした親元の方が親しいとなるからである
それは人によって家族の事情が違うからむずかしいのである