2019年07月31日

公務員の退職金も減らされている、給料も減っている (田舎の価値は金だけでは計れない、安定した職業も必要)


公務員の退職金も減らされている、給料も減っている

(田舎の価値は金だけでは計れない、安定した職業も必要)


公務員も苦しいとかやはり日本全体が落ち込んでいる
公務員でも正社員でなく臨時とかでも多くしている、その給料ではやっていけない
公務員はAI化しやすい事務的なものが多いからそういうことでも減らされる
公務員も安泰でなくなっている
この辺では原発事故で避難区域になった所では浪江とかでは激務でやめたいというのもわかる、こうなると公務員も楽な仕事ではないのである

公務員に興味をがあるのは家族が公務員だったからである、役所に勤めていたからであるそれで高度成長時期に退職した、その時2300万など退職金をもらっていない
一千万くらいだった、でもその退職金が貯金しただけで倍以上になっていた
7パーセントとか利子がついているからそうなったのである
その頃貯金していた人は本当に得だった、十年くらいで倍になったからである
今は銀行に貯金すると投資信託とかすすめられて利子をとられる
財産を奪われる、それはゆうちょでも同じだった
保険で金が奪われていたのである
こういうことは今までありえなかったのである
郵便局とか銀行は地域で最も信頼されていたからだ
公務員とにたようなものだった、公務員と郵便局と銀行と農協が地方で安定した職業だったのである

今例え2300万もらったとしても貯金してもその価値はない、価値が減ってくる
だから相当もらっているようでももらっていないのである
金の価値は時価であり物価とかいろいろな状況で変わっているからである
それて積立式の年金はだめだというとき今いくら金を積んでも年金をもらうとき数十年後には物価が違って金の価値もなくなる
100万積んでも30万とかなったりする、だから積立式の年金はだめだというのがわかる

公務員というとき年金は最初18万もらっていたから高かった、地方では最も高い
でもやがて16万になったからそれほどでもなくなったのである
ただ公務員は何かと得する仕組みがあったのである
それは高度成長時代は公務員ても民間が良ければ公務員もその水準になるからいいのである、もう今はこういう状態だと公務員もやはり民間と同じようになる
安泰ではなくなったということである

日本は本当に貧困化している、やがて発展途上国並みになるとも言われる
そしてまともに福祉サービスも受けられなくなる
老人ばかり増えてそうなる、それで衰退国家となってゆく恐怖がある
地方の就職先でもこうした安定した場所が奪われるとどうなるのか?。
何か地方で落ち着いて生活できなくなる

地方とは田舎の役割は何なのか?食料生産基地なのか?

地方は田舎は自然との共生の場であり例え米が売れなくても金にならなくてもそういう生業(なりわい)維持すべき所なのである
だから矛盾していたのは東電に生業(なりわい)を返せと裁判化したことである
でもこの辺では漁業者でも農民でも東電にその生業を売り渡したのである
生業というときその土地に生まれたときからある仕事のことであり受け継がれる仕事である、それは自然と共生として長い間千年以上つづけられてきたものである

それで田んぼがなくなったとき蛙もいなくなった、そして鷺もいなくなった

この時田んぼは米をとる場所だけではなく、蛙も鷺も活かす共に生きる場所だと自覚したつまり蛙も鷺も田んぼがあって餌となる場があって生きていたことを知ったのである
だから蛙の鳴き声が田舎の夜空に木霊した時、復興したと感じたのである
そういう場所が田舎なのである、それは食料とか生産するだけではない、金にならないとしても田畑が荒れるとそこは荒廃してしまう
現代はすべて金で価値を計るが金だけですべての価値は計れないのである
すべて金で価値を計ると原発でもなんでもいいとなってしまう
結果的にこの辺が生業でも自然との共生も自然も汚染されたとういことでそのことが現実になった、あまりにも原発に電気に価値を置き過ぎた結果だともなる
                                                              
公務員の役割はなになのか?
実はその住んでいる場所全体、自然にもかかわる仕事だったともなる
漁業でも農業でも林業でもそういう自然とかかわることも仕事だったのかとなる
何か全体のバランスを計るというのも公務員の仕事だったのかもしれない
だからこそ民間のように利益第一主義ではないものを追求できるとなるからだ

ともかく都会の人だと東京でも食料は外国から入ればいいという
だから日本の地方はいらない、田舎はいらない、金がかかるだけだとなる
地方交付税でも東京の人が払っているからだとかなる
これは暴論である、日本の国土形成からした全く日本の自然でも無視した危険なものとなる、そして原発は本当は東京に造ることが一番向いていたのである
でも事故になると困るからフクシマに離れた場所に造り安全を計ったのである
そして地方では自然と共生するものが漁業でも農業でも林業でもだめになり原発は歓迎されたのである

そしてまた地方の田舎の価値は経済的なものだけではない、精神的なものとして地方が田舎がはぐくむものがある、文化が生まれるのは都会のように見えて地方なのである
ヨ−ロッパでは地方都市が国家となりそこが栄えてルネサンスとか生まれたことでもわかる、小規模の地方都市が文化をはぐくむにはいいのである
cultureはcultivate(耕す)である、地方でこそ田舎でこそ文化が育まれるのである
何か最近銀行員が農業の育成にかかわるというのも苦しいけど農業にかかわり余った金を投資して地方を活性化するというのはいいことである
でも農業は金にならないのである、でも農業にはそれだけではない付加価値が大きいのである、でもそれは金として評価されないことが問題なのである
東京とかの人にすれば安いいい食料が入ればいいとしかないからである

例えば価値とはいろいろありストリーも価値となる、アセリプトを発明した人の話はそうだった、あんなに苦労して作り出したものだと知る時価値あるものとして意識するからだでもスーパーに並ぶ食料を刈っても安いかの高いのかとしか意識しないのである
そうなれば外国産でもいいとなってしまう
価値を計る尺度を変えることも必要である、金で計れない価値にこそかえって大きな価値がある、例えば景観などがそうである、それは金にならなけどその景観がなかったら索漠としたものになる、それが都会のビルの谷間で暮らしている人なのである
そこになごみも美もないからである
とにかく田舎の価値は食料基地だけではないのである

だから何か地方は田舎は安定した職業が必要だとも思う、あまりにも競争にさらされると地方の田舎の良さが奪われるのである、そして原発事故は田舎の良さを本来の価値を根こそぎ奪ったのである、生業を奪ったのである
私の場合は芸術的に田舎の価値を追求してきたのである
ただ私の問題は畑があるとする、すると畑の野菜とかに注目しないで花が咲いていていいなとか見ている、でも現実に野菜を作るとなると毎日草取りであり汚い仕事にもなる

でも花だけを見ていいなと見ていると都会人的だともなる
都会の人が田舎に来ていいと思うのは自然があり花が咲いていていいなとなるからであるでもそこで農業するとなるともうやっていけないとなっていたのである
それは農業とかの価値が食料にだけあると見ているからなのである
それ以外の景観とか自然の共生とかは省かれて野菜の値段とか米の値段ですべてを計っているからそうなる
ジントルマンというとき田舎に住んでいる貴族だった、田舎こそ文化を育むジントルマンが住む場所だったのである、ただ矛盾しているのはそのジントルマンも都会にロンドンとかに住まいがあり田舎と行き来していたのである
ただ田舎を本拠地として生活していたのである

人間生きるというとき何らかの価値を追求しているのである、その価値をすべて金で計ることはできない
金を得るにしても金を使うにしても価値を追求している、その価値が何なのか?
本当にそこに金を得るために使うための価値があるのか?
だからこそ東京とかには田舎と比べて価値は無だとさえなる、そこに自然の美とかが全くないとしたらそうなるのである







posted by 老鶯 at 09:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題
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