2019年07月16日

天才は作れるのか?(教育、環境、時代が人間を作る)


天才は作れるのか?(教育、環境、時代が人間を作る)

天才とは何かがまず問題になる、科学者でも芸術家でも歴史に名を遺すような人が天才だとなる
天才とは凡人とは違い天才に生まれついた人で決まっているということになる
その説はショーペンハウエルが言っている
知性は母親から受け継ぐものだという説である
それがなぜ母親なのか?すると母親によって決まるのか?
母親の資質がDNAによってその人の知性も決まるのか?
それも確かにある、男性の場合その人の母親の資質がかなり影響している

ただ天才という時、努力しなくても天才であり何か成しうる人だともなる
そういう人を知っているが本当に普通の人よりエネルギーがありすでに小学校でも見分けられるほど優れている、それは知性だけではない、性格的にも大人びて早熟でありとか
何か普通の人とは根本的に違っている
だからその人は努力することを認めていない
そういう人はゴッホとかゴーギャンとか詩人にもいる
英雄にしても生まれつきそういう資質があって時代に適応したときなる
高杉晋作とかがそうである、もし明治維新という大動乱の時に生れなかったらただの暴れん坊で終わっていたのである

そもそも天才は作れるのかとなると資質論からすれば生まれつきでありできないとなる
私が問題にするのは天才が作れるのかとかのことではない
天才とは定義すれば何かの創造者である、それは科学の分野でも政治の分野でも芸術の分野でもあらゆる分野で新しいものを創造した人である   

すると天才は作れるかどうかという問題よりいかに創造的になりうるのか?

ここに焦点をあてるべきなのである

子供の時は遊びは何か創造的なものとしてある、何かいろいろ工夫したりする
つたなくてもそうである、それが学校とかに行くと暗記中心になる
とにかく暗記することであり計算でも考えるのではなくただ暗記することなのである
九九でも掛け算の意味を追求することはないのである
算数でも図形を使い具体的に割り算とか掛け算でも教えることができる
そして教えることが教育でもそれも創造的なものとして教えることができる
だから先生が創造的でないと学ぶ人はただまねるだけになり自ら考えることができないのである
つまり自ら考えることがあらゆることで教科でも必要なのである
それは社会に出てからでもそうであるあらゆる問題があり自ら考えることが根本にありそうしないとただ他者の言うままになるのである

単純な例として

abcdef1112222.jpg



I go to を教える時、このように図形化して行く先を入れ替える、するとわかりやすくなる、ABCDの代わりに他の単語を入れればいいからである、これを実際に教育道具を作り矢印が回るようにすればいいとなる
そこで子供ならゲームのように興味を覚えることがある
つまり教えること自体が創造的なことが必要なのである、そのこと自体が学校にないから創造的な人間が生まれないのである
教え方にも無限のバラエティがある、創造的に教えることがある
天才は生まれつきだとしても創造的な自ら考えて工夫することを目指すべきなのだが学校教育に全くないのである
日本人は同質的になりやすいから日本人から独創的な人が生まれにくいのである
カルト教団に入ったりした全く創造性と自主性を奪われる、過去にキリスト教であれ仏教であれ芸術が生まれという時
今とのカルト教団とは別物だったからである

そして環境が人を作るというとき家の中に全く本も置いていないような家だと刺激を受けにくい、私の家には一冊の本も置いてなかった、だから家でなにか学問になるものや芸術になるものに興味を覚えなかった、見ていたのは漫画だったのである
でもそれはそれでその時代があり炭とか囲炉裏がある生活は貴重な経験だったのである
いづれにしろ人間は家庭環境を基本にして人を作る、何々心理学を学んだ人は親からの承認されないものは歪んでしまうというのもわかる、家庭環境が悪いと致命的になる、ヨ−ロッパだと家庭で天才が作り出されてきた
家庭が学びの場としてありそこで貴族の家から天才が育てられたからである

第一留学した者と留学しない者の差は大きい、外国生活したものとしない者の差は歴然としている
私の場合は50歳以降に海外旅行したから遅かったのである
今の時代に海外旅行しない者はもう何も発言もできないのである
たいだい知識人となっている人は海外体験した人である
天才いかんにかかわらず留学できた人としない人ではその人いかにかかわらず大きな差が生じている
それは資質の問題以前のものであり最低条件として留学は必須になるのが時代だからである

そしてまた時代が大きく影響する、戦争の時代だったら天才も戦場であえなく死んで才能が発揮できなかったのである
英雄も英雄に成ろうとしてもなりえない、三島由紀夫は英雄になろうとして自ら演出したが成りえなかった
そこに無理に英雄になろうとしたあがきがあった、つまり英雄は時代が作るのであり時代が悪ければなれないのである
だから三島由紀夫は英雄ではないし評価できないのである
明治維新に英雄がでたのは時代が作ったからである、戦国時代でもそうである
ただ新たな時代を切り開くのが天才であり英雄でもある、それは科学技術的な面でもそうだし様々な分野でそうである
明治をみればわかる、あらゆる分野でみんな創業者になっているからである
今のような成熟した社会にはありえないからである、できあがった社会だからである
何もない社会では一から作り出さなければならないから創造性が要求されて創業者になる

結局天才は何かというとき、絶えず自ら考え工夫して創意がありそこに遊びの精神があり問題意識をもち臨機応変に物事に対処する
ただ言われるままに従うものではないとなる、何か時代が変わる時、そうした天才的なものが要求される
銀行が不用になるというときもそうである、時代が変わる時、ではどうしたら銀行が生き残れるのか?
そこに新しい創意が工夫が必要になる、でもそれは簡単にできないのである
ただ時代が変わる時否応なしに変わることが要求される、それができないと銀行はいらないとなってしまうのである
でも今までは銀行に入れば安泰だ、大企業に入れば終身雇用で安泰だとなっていたのである
それがグロ−バルの競争でそうなくなったとき取り残されてしまう
ただこうした体質は簡単には変えられないのである、欧米の強みは絶えず新しいものを生み出す環境がありそれで天才も生れていたからである、ヨ−ロッパになぜ天才があれほど生まれたのか?それは環境の相違だったのである


天才への階段

これは簡潔に表にしている、これはまさに努力して積み重ねることをすすめているから普通の人が天才となる道程を示している

posted by 老鶯 at 09:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 教育、心理学など
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