2019年07月14日

大井川線から井川線の無人駅(秘境駅)のNHKの番組 (閑蔵駅で店を出している井川とついた野菜が地味豊か)

                                                      
大井川線から井川線の無人駅(秘境駅)のNHKの番組

(閑蔵駅で店を出している井川とついた野菜が地味豊か)

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温泉宿と駅を一人でこなしている

末続駅おりてあわれや菖蒲咲きわずかの畑耕す人をり

山間の駅におりたち数軒の家や郭公の鳴く声のみひびく

日立木駅畑耕す女見えて他に人なし春になりしも

春の日や我がおりたちて駅舎にそ待つ人あれや長くもありぬ 

  

井川線はダム建設の資材運搬用に敷設された専用鉄道

1935年(昭和10年)大井川電力の専用鉄道として千頭0大井川発電所(奥泉付近・現在は廃止)間で運行を開始。762mmの軽便鉄道規格。翌1936年(昭和11年)狭軌(1,067mm)に改軌。1954年(昭和29年)中部電力の専用鉄道として大井川ダム0堂平(井川から分岐する貨物線の終点・現在休止中)間運行開始。1959年(昭和34年)中部電力専用鉄道を大井川鉄道が引き継ぎ大井川鐵道井川線として旅客営業を開始。1990年(平成2年)アプトいちしろ0接岨峡温泉が新線に変更、アプトいちしろ0長島ダム間がアプト式で電化。

千頭0井川間25.5km、起終点を含む14駅があります。トンネル61箇所、橋梁55箇所。全線の3分の1がトンネルと橋梁です。

筆者は、2014年9月6日に井川線を訪れましたが、その4日前に閑蔵駅南600mで崩土が発生し接岨峡温泉0井川間が不通になってしまいました。2017年3月にこの区間が復旧して、ようやく2018年4月2日に再訪しています。

NHKの放送で見たこの井川線は面白い、番組としてもうまく作っている
温泉があり宿がありそこが駅になっていて昔の古い駅のままであり切符を売っている
昔はあんなふうだったなと見る

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それから土本駅は土本という姓の家が3軒ほどあって駅の名になった
それは常磐線の末続駅がそうである
そこの墓地をみたら8割は新妻姓だったのである、新妻一族の村だった
でもその数は多い、土本は三軒とかなると少ない

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それから閑蔵駅ではばあちゃんが特産のニンニクの井川大蒜とかを作っていてそれを店で作り売っている
こんな山奥になると米がとれないから稗を作り饅頭にしていた
蒜とはニンニクであり仙石線に野蒜駅があったからここでも食料としていた
何かそれもここでは滋養があり体にいいと見た、山奥では米がとれない飢饉のとき山には食べ物があり助かったということはこうした稗とか食べていたからなのか、それて江戸では江戸煩いといって脚気になり死んだ人がいる
それは稗などを食べないでビタミンB1で死んだのである
だから山にはかえって滋養があるものが食べ物がある、山芋とかそうである、山には山の幸がある 
つまり山には様々な種類のものがとれていたからそういう偏って食でかえって病気にならなかったともなる
ただ今は山の暮らしがわからなくなった、何か過疎地で貧しいということしか頭に浮かばなくなったのである  

それ以外ではここ井川で育て続けられている在来種の野菜が多くあります、井川ニラやおらんどと言うジャガイモ、からし菜、2段葱、小さなニンニク井川大蒜、特にこの大蒜はニンニクらしさがしっかり香り、火を入れると口に美味しさの広がる特長があります、他にも韮は味が濃く生で食べても辛味の強さよりも甘味を多く感じました。
このような在来種多くは代々この土地で育てて来た野菜で、地域の伝統行事や食文化と密接な関係があります。


 五月の節句には、ホモロコシの粉で柏餅を作ります。柏餅といっても、標高の高い井川では、この時期カシワの葉がまだ小さいために、ホオの葉が使われます。
そのほかホモロコシの団子を、季節の野菜とともに味噌仕立ての汁で煮る汁煮団子もよく食べられていました。
   
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    在来作物

 ここに井川産のものがこれだけあることはここが貴重な場所だったことがわかる、閉ざされていてかえって種が保存されたという、雑種にならなかったということなのか?山には山の幸があった 
ただ井川線で肥料も運んでいたというからどうしても肥料は不足になることがわかる


静岡県川根本町の地名

かんぞう

閑蔵

くわのみ

桑之実

こざるごう

小猿郷

やまいぬだん

山犬段

そばつぶやま

蕎麦粒山


この閑蔵(カンゾウ)は萱草なのか?当て字なのか、でもなぜ閑(ひま)な蔵にしたのか、何もない蔵なのか?
今は花を見ているけど昔は食料と薬としてみていた、花ばかり見ていたら生活できないからである
桑の実とかあるのもわかる、これは自生していてうまいのである、山犬とは狼のことである
蕎麦粒山とはまさにここで蕎麦を作っていた

いづれにしろ小海線でも山深く無人駅がありその前に数軒の家がありそこが駅のなかと思った
そういう駅がかえって記憶に残る、人で混雑した駅は忘れやすいのである
私はこうして電車の旅も長いから記憶の旅をつづけている
そことで問題になるのはいかに記憶されているかなのである
記憶していればまた記憶がよみがえり何かしら書いたり詩にできる、でも忘れるとできないのである
金谷から大井川線で千頭まで行ったことがある
そこから井川線があることは知らなかった、それはさらに奥だったのである

今回のNHKの番組は構成が良かった、やはり作り方で番組も相当違ったものになる、鉄道番組は多いが何か見慣れて飽きたともなるからだ
私は全国の鉄道にほとんど乗っている、それでこの番組で日高線のことを写していた、途中海の波で浸食されて鉄路が破壊された
それで復興できなくなっている、もう沿線の自治体で何億もかかるから無理だとしている
あそこはそうなるかもしれない、ただ様似は高山植物の宝庫だから貴重である、そこが終点だった

日高線終点なれやアポイ岳東菊(あづま)みて霧のかかれる

この山は必ず霧がかかる、小高い山でも高山植物の種類が多いから貴重である、ともかく私は本当に日本だったらたいがい行っている実際にその場を踏んでいることが貴重だった、だいたいその場所をイメージできるからである
そして記憶の旅をするときインタ−ネットが役に立つ、その場所が必ず写真入りで出ている
すると思い出すからである、この思い出すことが大事になっている、記憶から呼び出すことが仕事のようになっている
家族の介護でそういうことすらできなかった、なぜなら暇なく追われていたからである
今は介護もしていないのでこうして思い出す作業をして書いているのである

とにかく駅でも鉄道でも思い入れがある、だからこそ私の町の無人駅でボランティアなどを偶然にして駅や鉄道にかかわったことは貴重な体験だった
人間は思いというものが大事である、無人駅ではロボットでは情がない、人間は何事思いというものが生まれる
その思い大切なのである、なぜなら今になるともう人とは二度と会わないとかまた旅に行った場所にも二度行けないとかなった
特に外国に行くのはもうできないと思った、何か疲れてだめなのである、気力もないのである
だからこうして思い出す旅をしてその記憶をよみがえらせて書いているのである


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