2019年07月01日

銀行の歴史をふりかえり新しい銀行はどうなるのかを考える


  銀行の歴史をふりかえり新しい銀行はどうなるのかを考える
  
  「生糸から軍艦が生まれる」というほど製糸産業は重要であった。生糸の生産・流通は、養蚕農家からの繭の購入、選繭・煮繭・繰繭・揚返による製糸、生糸の倉庫への保管と横浜・神戸への運搬、海外への輸出というプロセスを辿るが、このそれぞれの過程でファイナンスが必要であった。これに対し、ある地方銀行は、智恵を絞り、繭・生糸・不動産を担保に、当座貸越や手形貸付の形態で製糸会社に資金を供給したそうだ。

徳島は銀行の歴史も藍商人から


頼母子講や無尽などの考察

「無尽」の行為自体に関する法律は現在まで存在しない。
石川県加賀市の特に山中温泉地区、山代温泉地区では預金講(「よきんこ」と呼ばれる)という無尽が今も盛んである。これは蓮如が信者に講を勧めたことの名残りとされるが、現在では浄土真宗の信仰とは無関係である。特にこの地域で無尽が発達した理由には零細な旅館業者や山中塗の問屋、個人事業主である職人が多かったことから、金融機関に頼らずに相互に金を融通しあう組織が必要とされたことが大きいとされる


銀行は預金者からお金を集め
それを人に貸すと言う点では
一見すると
「頼母子講」の仕組みと似ていますが 

お金を集めている団体が 
営利を目的としている点で
大きく異なります  

集団的な知恵と工夫の産物として成立・発展したと考えられる。 これをソーシャル・ビジネスに当てはめると, その成立・発展において重要な要素は, 個性的な起業家だけでなく 地域社会などを基盤とした集団的な知恵や工夫であると思われる。

無尽・頼母子講

銀行の危機というとき銀行がそもそも何か?それがわからないと対処できない
近代的銀行の前にその前進となるものは鎌倉時代からでもあったからだ
金貸しというのは古い時代から存在していたのである
貸すとか借りるということは古い時代からあった、人間のやりとりでもモノとモノを交換することがあった、その交換から貨幣が必然的に生まれてきた
ただ貨幣の発生はそれだけではないからそれは仮設であり貨幣の発生は交換するためではない、貨幣そのものが石の貨幣のように価値がある威信財だったという説もある

なぜ銀行とか金融がわかりにくいのか?
それが経済的行為が抽象化されてきたためである、抽象化というときそもそも文字が抽象化の最たるものでありまた数字でもそうである
楔形文字時代に一つとあるがその一つとは必ず何かの物と対応されていたのである
具体的なものだありそれが一つであり二あれば二つが対応する
それを数として抽象化することには相当な歳月を要している
それだけ抽象化ということは高度な知能の進歩だったのである
それでエジプトの書記が神のような権威と力をもったことも理解できる
小麦でもその数量を把握することで力を持ったとなる
今なら官僚が膨大な生産物を数量化して予算として貨幣で配分するから力をもつ
年金でも税金として莫大な金を集めてその金を官僚がネコババしているとか言われるのもそのこためである、官僚の取り分になってもその数字を操作できるからそうなっている
財務省でもそうである、その莫大な国民の税金がどう使われているのかわかりにくいからである

銀行がなぜ今危機になっているのか?
それを歴史からふりかえると銀行はそもそも明治以降は零細な個人事業者ではない
江戸時代は個々人が零細な事業者である、明治以降は会社組織になったから規模が大きくなった、だから金の額が大きくなる、それで頼母子講のように少額の金を流通するようなものでは金が回らないから銀行が生まれた
四国では藍の産業が交流して全国に売れた、福島県の須賀川まで販路を伸ばした
生糸産業は「生糸から軍艦が生まれる」というのはまさにそうだった
今でも兜作りの養蚕の家が全国いたるところにある
養蚕が国を作っていたのである、原町の原町紡績は有名である
私の母もそこで十年間糸取りとして働いていた、女性の働き場としてもあった

それが鉄道とも関係していたのである、原町紡績に鉄道の引き込み線があり生糸が横浜まで積みだされていたのである、横浜からアメリカに輸出されていたのである

1929年アメリカから広がった世界恐慌により生糸が売れなくなりました。さらに、1940年には生糸の最大の輸出先のアメリカで、生糸に代わってナイロンが使われるようになりました。その後、低価格で大量生産ができるさまざまな化学繊維が開発されるようになりました。

私の母の実家は原町であり原町紡績で十年間働きどうしてか姉は家の事情で横浜に行った姉も紡績工場で働いていたのか?そして父親は機織り工場を失敗して悲惨な結果になったのである
ここで言いたいことはそれだけ養蚕にかかわる人が多かった

早くから蚕糸業が発達していたのは、なんといっても奥州(福島県)の信達地方(福島市、伊達郡)でした。すでに江戸時代初期から桑や蚕の新品種が吟味され、 天和 年間(一六八一〜八四)から 元禄 年間(一六八八〜一七〇四)には、「 赤熟 」や「 市平」といった蚕の新品種が選び出されています。これは明治期に至っても使用されました。上州(群馬県)では、十七世紀にすでに各地で生糸市が開かれていますが、元禄年間以降、近江商人の進出が活発になり、「登せ糸」が送られるようになりました。さらに信州(長野県)では、上田地方がもっとも進んだ地方であり、 寛文年間(一六六一〜七三)には、藩が問屋から 紬(上田紬)を買い上げており、すでにこちで絹織物業がある程度展開されていたことがわかります。

江戸時代から素地があった、信州とか関東とか東北の阿武隈高原地域とかが盛んだった
とにかく兜作りの家が多いのである 
それで養蚕で財を築いた店の中に銀行が置かれていた映像を見たことがある
つまり銀行とは頼母子講のように個々人の零細な人たちのものではなくこうして大きな事業をして成功した人が作るようになった
それは四国の藍でもそうである、鉄道ができたことにより全国展開できるようになったからである、交通の発達によりそうした地域の産物でも全国に売れるようになりそこで財を築くようになったのである、商品化するのは交通が発達しないとできないのである
いくらいいもものを作ってもそれを売るには交通が発達しないとできないからだ

銀行の起源は近代になるとこうして大きな利益をあげた会社組織が銀行を作った
それでさらに別な事業資金として投資された、だから銀行というのはこうして新たな起業があるとき資金が必要でありそのために設立されたのである
今でもクラウドファンディングがそうである
これは個々人が個人の起業に金を出す仕組みであり小規模なものでありそれをインタ−ネットが可能にしたのである、それは江戸時代の頼母子講とか無尽とにている
ただ投資してもその見返りが期待できない場合があるから寄付金ともなる

銀行というときこうしてまた江戸時代のようなものに回帰してゆくことがある
歴史が逆戻りするということがある、でも歴史は繰り返すといっても同じにはならない
インタ−ネットが生まれてそういうことが可能になったからである
それは藍の産業でも生糸でも交通が発達して商品として全国に外国に売れるようになったのとにている

こうして歴史をふりかえると銀行の役割とは何なのか?
藍の産業でも生糸の産業でもそこで資本が蓄積されてその資本を基にまた他の事業を展開するために銀行が生まれたとなる
銀行には両替とか金貸しとかの旧来の機能もあるが本質的には何か新たな事業を起こすときに資金を提供してその見返りとしてその利益の分配を受けるとなる
その資金はもともとは藍の産業でも生糸の産業でもそこでもうけたもので資本蓄積して次の事業に投資したとなる
その時一般人から貯金を集めるということはなかった
それが一般人から貯金として集めるということは実はその金を基にして地元であれ事業者に投資してその見返りとして利益分配を受けて利子として預貯金者に返すという仕組みだったのである

とういことは実は銀行に貯金することは預金者は利子をもらうことしか意識していないか銀行にあずけることは投資することなのである
銀行にあづけて利子をもらうということ自体がそういうことになっているからである
実際に利子もつかないとしたら別に銀行にあづける必要もない、貸金庫が銀行の役割となりそれは銀行でなくてもできる、銀行の仕事はそれより高度なものである
それで銀行自体が事業を起こすとういことも起きてくる
それだけの金があるのだから自ら事業を起こすのは合理的だとなるからだ
でもそれができていないのは事業で成功することが至難だからである

小規模なものになると20人起業して一人しか成功しないとなっているからである
こうして銀行を考えてみると銀行が優秀というより事業を起こして成功する人の方が優秀だしそういう人がいなければ銀行も成り立たないとなる
高度成長時代は別に優秀な人でなくても条件が良くてみんな成功していた
だから銀行も利益の配分を受けて預金しているだけで高い利子がついていたのである
それでそういう経験している人は銀行は信用されていたのである
それで投資信託をすすめられたばあちゃんが2000万損したという時銀行が時代の変化で変わったということを知らなかったのである、それは自分自身もそうだったのである
何か急速に時代が変わるらか追いつけなくなったのである

ここで自分が探求しているのは銀行とはどううい存在だったのか歴史をふりかえって考えたのである
明治時代とかは藍の産業とか生糸で儲けた会社が銀行を設立した
それから銀行は一般の人から金を集めて事業者にその金を貸して事業を推進させる、成功させてその見返りとして利益配分を受ける、その利益を今度は利子として預貯金者に配分していたのである
だから地銀というときその地域地域にあり地域から金を集めて資本金としてそれを事業者に貸して見返りとして利益配分を受けて預貯金者に利子として配分していた
その株主は地域の人たちなのである、それがメガバンクなととの相違である
それは信用組合とかでも地域に根ざした金融機関なのである
株主は地域の人たちだからである

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だからこういうことを言うのもわかる、大企業は別に地元の人が株主ではない、グロ−バル化経済になると世界の人が株主になっていて利益配分される
メガバンクとかも地域の人たちが株主ではない、全国の人であり外国の人も株主になりうる、それで会社自体がグロ−バル化すると外国の株主にのっとられるとかなる
そういうことが地銀とかではあってはならないものとして設立された
つまり地銀の目的とか設立趣旨はそうしたグロ−バルに展開するものとは違っている
でも現実にはグロ−バル化社会になるとその要請が強くなる
それで大東銀行ではブラジルに支店を置くとかしたのはブラジル人が日本から送金するからである、それはブラジル人も福島県で働いているからだとなる
どうしてもグロ−バル化しているからそこに商機が生まれとなる

ともかく銀行でも時代の変化に対応できない、銀行の形態が変わるという時、それにどう対応していいかのか?それが見えない、そこで当座の利益獲得として投資信託とか株を売りつけるようになったのである
それは本来の地域経済から離れたものとなる、ても利益を出せないということでそうなる何か利益をあげるにしても実際は利益を出すということが現代ではむずかしい

自分自身でも小さな畑を荒地にしておくよりいいからと援助したってその人は70近くで体が悪いし畑をうなうにも人を頼んだり種から肥料から必ず作物が盗まれたとかブヨに食われたとか草が生えて根が深いからとりようがないとか延々と文句を聞いているだけでありそれで投資して得たものはキュウリ二三本と数個の野菜だげである
それで実際投資している額が十万とかなったら一本一万以上しているともなるのだ
そんなこと普通は続かない、ただ荒地にしておくよりはいいとしても利益などでない
それよりそこで利益を出すとういことは全くありえない、相当な赤字でありつづけられなくなる

現代は高度成長時代でないから何かそうして投資してもうけるとうことが至難になっているのだ、だからこそもう銀行は用がないとなる、それは会社としてもそんな零細なものではない、それなりに小規模でも中小企業でも社員が5人以上はいるとかのものである
5人いても給料を払うとなるとそれだけの利益を出さなければならないからだ
第一もう資本主義が成り立たないという時代ともなっている
何か投資でも飽和状態になっている、投資先がないとかなっている
こういう時代は今までの何でも発展するとか成長するとか量の拡大路線は無理になる
それで中世に還るとか江戸時代に還るとかなるというときそこでは小規模な個々人の起業だからである

それで個人がインタ−ネットでクラウドファンディングしているのがまさにそうなのである、そんなところに銀行では金を貸さないからである
まず利益配分が得られないからである、でも銀行はそういうことでもう必要ないともなる時代になる、ただ何か新しいビジネスを開拓できるのか?
それはなかなか自分のような素人にはわからないが歴史をふりかえると銀行とは何かが見えてくるのもがやはりあったから歴史の勉強は欠かせないのである




posted by 老鶯 at 19:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題
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