カンボジアの今はどうなっているのか?
(カンボジアに魅力を感じるのはなぜなのか?)
タクシーの車両は3か月前に15,000ドル(約165万円)の借金をして購入したばかりだった。そのほかに生活資金として1,000ドル(約11万円)の借金がある。いまも月に500ドル(55,000円)の返済をしなくてはならないが、仕事は、妻が調味料や食品を細々と販売するだけ。主をなくし、とても返済する余裕はないだろう。
日本人に殺されたカンボジア人の経済状況は厳しかった
借金してタクシーの車両を買っていた、これは高い!
バイクで案内されたときは中国人がバイクを貸していた、バイクは現地で日本人が安く買っている、あれから10数年過ぎる変わっている、日本人より金持ちも生れている
日本人はなぜカンボジアでたいして金のならないタクシー運転手を殺害したのか?
それは情報不足で日本人のタクシーのように思ったのか?
それだって殺してまで金がそこにあるわけではないのだから不可解だとなる
でもタクシー始めるのに車だとこれだけの最初に金がいるということは簡単には始められない、需要はあるから返せるともなるがまだカンボジアでは相当な額である
ただカンボジアでは車でもバイクでももてばそれで商売になる
ただ十数年前と事情が違ってきている、中国人が100万人入っているとかいうのも驚く中国人は自国が発展してきた時の状態であり通販とか何か中国で商売したことを始めれば成功すると言っている
それにしても中国人が多いことに驚く、そんなに多かったら中国人の国の一部とも化してしまうし東南アジアは中国の発展ですでにそうなっている
カンボジア関係のyoutubeで情報が見れる、なぜカンボジアのような所に魅力を感じるのか?未だにまだ発展途上の魅力である、物価も安い、そこで日本人がまだ金にものいわせることができからなのか?
もうタイとかマレーシアとか東南アジアでも日本より裕福な人も普通にいるだろう
それでタイ人でもマレーシア人でも大阪に日本人の買春に来ているという逆な現象が起きている、これもカルマである
日本がが貧乏になれば今インパウンドで日本人がもてなしで必死になるようにそうなる
売るものがなくなればそうなるのである
とにかく十数年前行ったときとまだ同じ状態もあるが中国人がみるみる発展してカンボジアにも百万人いるということは驚きである
日本人も何かそこで起業しようとする人がいるが成功するのは4パーセントくらいだという、日本人がプノンペンだったとかたむろしていた
何かそこで起業しよとしていたのかもしれない、中高年でありそういう人は日本でも起業しても成功しないと報告している
日本でまともに仕事できなければ外国でもできないのである
もはや完全に「中国の植民地」だ。だから、「今度アンコールワットに行ってみたい」という人には、私は「本気ですか?」と必ず聞く。そして、「中国と中国人が好きなら別ですが、そうでないと全然楽しめませんよ」と忠告する
アンコールワットに行くなら覚悟したほうがいい。完全に「中国人の観光地」となり全然楽しめない。
これがカンボジアの今であり十数年前でもバイクをカンボジア人に貸して商売していたのは中国人だった
もう中国マネーが入り支配される、日本人はそこで起業してもうける状況にはない
インフラの整備も今は中国人が中心だからである、中国無しではもうカンボジアは成り立たなくなっているのだ
いづれにしろカンボジアの魅力は原始的なこと生活がありまた何か人間の悪の面でもむきだしになった混交した世界がある、欧米と日本でも中国でも発展するとみなにたようなものになる、都会だと今は世界でもどこもたいして変わりないのである
それでかえってそういう混交した猥雑とか何かそういうものがある所にかえって魅かれることがある
それで世界中から人が集まるともなる、そこになにか異次元の人間の世界を見るとなるからだ、文明化された都会だと整いすぎてつまらないともなる
ただそこに生きる人は苦しい、でも観光客として傍観者として来れば面白いともなるのである
そしてそういうところだと何か昔に帰ったようなタイムトラベルに乗って昔に来たようになる
インドでは炭を使っていたし白黒のテレビでゲームしていたり牛が路地を歩いたりとかしていた、そこはペレナスでありガンジス河の岸で死体も焼かれている
牛の糞が干されて燃料にされているとかなる
インドもこうして混沌とした生活がありそれは文明国では経験しえないものだからそういうものを求めて旅する人はいる
団塊の世代となると何度も言っているけど戦後十年はそういう後進国の生活があった
燃料は炭だったし水は近くの井戸からもらっていたとか水道もなかった
便所は外にあり近くの農家の人が糞尿を肥料にしていた
そういうものが畑に使っていたりしたけど今は化学肥料になったのである
だからそうした昔の生活を知るには後進国に行ってみると見れるのである
ただタイとかはもうたいして先進国と変わりないとなるし中国でも都会は日本より裕福な人たちになった
それも本当に十数年でそうなったのだから変わり方が世界でも激しいのである
人間はその時代時代に雰囲気がある、それが一時代が過ぎると変わるからいくら何か語られても本を読んでも映像を見てもその時代の雰囲気いうのが実感しえないのである
子供時代のこともあまりに遠くなりその時代の雰囲気が子供として経験していたからわからなくなる
まずその時代時代の雰囲気はその時代に生きてみなければわからない
戦争など特にそうである、戦争だけはもういくら語り聞かされてもとてもイメージできない
でも小学生でも中学生だった人でもその時代の雰囲気を実感している
それでその時に日本の美があったとかその時代にこそ本当の日本があったと回想する作家がいた、その時国民は異様に高揚していたのである
それは戦争というものがただ戦後は否定されてきたからである
戦争を反戦平和からしか見ないからそうなる、そういう面があってもその当時の雰囲気はとても体験できないのである
私の姉は従軍看護婦でシンガポールで対岸のマレーシアのジョーホールバルで4年間いて地獄の苦しみ受けて帰ってきた
そして死ぬ直前まで戦争のことを語って死んだ、認知症になっても戦争のことは忘れなかった、忘れられなかったのである、それで千回も聞かされてうんざりしたとはなっていたそういうことはとても戦争は否定されるべきだとしても何か日本人がその時一体となり高揚したものがあったことは確かなのである
戦争は讃歌すべきではないがその時代の雰囲気は戦争というもので日本人が一体となり高揚していたということもあった、でもその時代の雰囲気はもう実感しえない
だから歴史をふりかえるときどうしてもその時代の雰囲気が実感しえないことが致命的なのである
海外旅行でもカンボジアとかなると現地に行って肌で感じないと実感しえない
それもかなり長く滞在しないとわからない、実際は住んでみないとわからないとなる
なんとか海外旅行を50歳でしたから良かった、今になるともうできない
体力的にできなくなった、だから海外旅行はとにかくどこでもいいから早い内にした方がいいしできれば留学をした方がいいとなる
何か鋭い批評ができるのは日本を相対化できる海外で生活した人が多いからである
日本を知るには外国に住んで客観的に相対的に見ないとわからないからである
また歴史を勉強するのも今の時代と昔を比較することによって見えてくるものがあるからだ、ただ歴史の問題はその時代の雰囲気がもう50年過ぎても実感しえないものとなる
そういうふうに時代の雰囲気が変わるからである
高度成長時代だと何か異常な熱気が日本にありジャパンアズナンバーワンとして注目されたようにこの時も日本全体に高揚感あった
私は会社員でないから実感しえなかったが会社でも今と相当に違っていた
そこでも高揚感があったからその時代もバブルで崩壊して今は衰退感しかなくなっているのである