2019年06月19日

平成の大合併で自治体の耐災力が脆弱に


平成の大合併で自治体の耐災力が脆弱に

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自治体のエリアが広がったことで、職員の土地勘がない場所が増えたのです。地形も、地域の実情も、住民の数も年齢層もわからない。地名の読み方さえもわからない。そんなことが、あちらこちらで起きています。

来るべき大規模な自然災害に、行政はどんな対策をしているのか?       

なぜ合併が問題になったのか?
それは地方だと市町村ごとに地形とか歴史でも違っているからである
やはり人間の生活の基はその土地に地形でも一体として作られてきたのである
日本の市町村の問題は日本自体が平坦な土地がないことも原因している
大陸だとどこまでも平坦な土地がつづく
それは区切られていない土地なのである
日本だと自ずと必ず山があり区切られのである
するとその区切られた中で一つの村なり町なり市が生まれるようになる

南相馬市を例にすると小高と原町でも高い山でないにしろ一応小高い丘で区切られているのである
だから必ず隣の市町村に行くには坂を越えてゆくとなる
飯館村とかなるともう峠であり歩いて行ったりしたらもうめったに行ける所ではない
現実に塩の道があっても急峻な山間を行くから一晩栃窪をでて助の小屋(たすけこや)で泊まったとかなる
そこで泊まってようやく飯館に行けるとなっいたのである
そういう土地が日本がには山が多いから多い、交通が閉ざされているのである
そういう中で独自に生活を形成してきたのが日本である
平坦な土地がある大陸ではモンゴルとかでも遊牧民がいて遠くと交流するのが容易なのである

たから合併するのはいいとしてもその地形まで変えて合併できなかったのである
そういう根本的な日本の問題が常に根底にある
第一福島県のことでも何回も言っているが地形的に一つになるのはあまりにも無理があった、ハマ,ナカ、アイヅがあるが地形も気候もまるで違っている
会津となれば冬は雪に閉ざされている、浜通りでは雪はほとんどふらないから仙台の方が身近なのである、天気予報だったら仙台を見ればだいたい同じだからである
そして福島一区でも阿武隈高原がありはばまれて福島市と相馬地方はかけ離れている
今むずかしい病気でも仙台に行ってみてもらっている人が多いのである
今も知っている人は糖尿病で白内障になり仙台に入院している、他にも病気が出たためである
鉄道が通っているから仙台は身近なのである

合併で問題になったことはいろいろある、津波や原発事故でもあった
特に原発事故の補償金では小高と原町と鹿島はもめた、それは深刻だった
政府に30キロで区切られた結果小高と原町と鹿島では補償金で差がついたからである
小高は別格であり原町は鹿島の三倍もらったのである
その差は大きかった、でも30キロで区切られたのだから文句が言えなかった
それでも自治体で何か施策があっても良かったと思うがそれも全くなかった
それで南相馬市はまとまらなくなったのである
外部との絆ができても南相馬市では絆がたたれたのである
それは今でも尾を引いているのである

また指摘のように土地勘がないということも災害のときは問題になる
津波ではつくづく地形に一番影響されていたのである
その地形を見ればなぜそんなところに家が密集していたのかとかなった
またその土地のことを歴史でも調べておく必要があった
今になって高平とか日下石とか相馬市の新田とかの歴史を調べている
近くでも意識して調べないと無関心のままなのである

地形が地理の基本だという時それがそこに住んでないと身につかないのである
これは地図を観ただけでもなかなかわからないのである
坂がどうなっているのかとかわかりにくい、坂を越えたり下ったり実際にしてみないと実感がわかないのである  
南相馬市となると合併して広くなったから全体を知ることがむずかしくなる
それよりいわき市は30万とかもっと大きくなったからもうそれだけ広いと一つの市となっても実情は別々なのである
第一日本は4,500百人くらいの村単位で長く生活してアイディンティティを築いてきたのである、大陸のどこまても平坦な地で国を作ってきたのとはあまりにも違いすぎているのだ

ともかく日本は山で区切られて一体化しにくい、分散して住むしかない、でも交通が不便で行き来しにくい風土だった
だから合併して広くなると行き届いた行政もできないとなる、災害に対しても地理が広くなるときめこまかな対応ができなくなる
それで失敗したの津波の避難場所の指定だった
海老村の海岸沿いの高い所を避難所して安全だと避難した人たちがそこで30人も死んだのである
別にすぐ裏側が山であり避難するのは道路を走ってもできた
すぐ近くでも津波からまねがれる場所だったのである
それは行政のミスだったともなる、津波に対して経験がないのと土地勘がないこともあったかもしれない、いくらでも避難する場所があったからである
だから八沢浦ではすぐ近くに海が見えていて津波が来てから裏山に逃げて助かった人もいたのである  
前に小高い山があって津波の勢いがそがれたことも幸運だった
とにかくこうして地形が津波と深く関係していたのである

まずその土地のことう地形を知ることが行政でも基本にあるともなる
人間は地形だけは変えられないからである、また気候も変えられない、風土は変えられないからである、その風土があって人間の生活も作られているからである
だから合併はそれぞれの地形が違い成り立ちも違うから一体化できないのである
それで南相馬市だと原町が大きな街だったから原町中心になりすぎるのである
施設でもなんでも原町中心になる
でも障害者施設の大きい建物が鹿島に建てられているのは原町からも相馬市からも近いからだという、中間にあるからである、交通の便がいいから建てられたとなる
そういうふうに交通とかも関係してくる

とにかく郷土史というときそれは全体を知る学問なのである
だから津波とか原発とかでも関係していたのである
原発事故の時、爆発したときちょうど東風がこの辺では春になると吹くというのもそうである、そのために放射性物質が飯館村から福島市に流れたのである
風に影響されて不運だったのが飯館村などであった
それも福島市まで影響が大きかったのもカルマなのかともなる
福島市は遠いから関係ないと思っていたろう
私も30キロ離れているから関係ないと思っていたのである
福島市の県庁が原発を許可した、そしてそこに放射性物質が流れたのもカルマだったとなる、福島の行政の中枢まで被害がったからである

posted by 天華 at 00:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 津波、災難の対処
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