2019年06月05日

高齢化社会と車社会の暗黒(高齢者の事故が増える)


高齢化社会と車社会の暗黒(高齢者の事故が増える)


1トン以上の鉄の塊が身近な生活環境のもとで時速百数十Kmも容易に加速することができる危険な代物なのだから。最近は高齢者用の携帯電話が普及されているが、自動車に高齢者用とは聞かない。運転免許をもち、実際に運転している高齢者の構成割合は高いのに、車には沢山の車種、色などの種類があるにも関わらず高齢者に適した車はないのが不思議である。

高齢化社会と自動車のあり方


人口10万人あたりの事故件数の多い順に並んでおり、日本は163位だ。これを少ない順から並べて、車の保有率が少なそうな国を除いて並び直すと次のようになる。

スウェーデン:3.0人
イギリス:3.7人
オランダ:3.9人
ノルウェー:4.3人
スイス:4.3人
イスラエル:4.7人
ドイツ:4.7人
アイルランド:4.7人
デンマーク:4.7人
フィンランド:5.1人
シンガポール:5.1人
日本:5.2人

欧州社会では、高齢者は自分自身が危険と感じたら自主的に運転免許を手放す人が多くなっています。そして、自主返納へと導く社会環境が整っています。その大前提として、交通社会において、自動車が決して優遇されていないことがあげられます。歩行者、自転車、公共交通機関、そして自動車は、交通参加者として対等なのです

自動車と路面電車が遭遇する場面では、基本的に路面電車に優先権が与えられています自動車を運転するドライバーに対して、年齢を問わず、厳しい条件が課されるため、これを超えることが難しいと自ら感じたときには、静かに身を引いていると言えます。


車に乗っていない人は車のことがわからない、でも最近駅で免許を返納している老人に何人かあっている、その人たちは電車の乗り方すらわからなくなっている
まずそういう人が多いということはそれだけ車社会になっているからなのだ
電車をほとんど利用せずに80歳とかなってしまったのである

ただ特別日本が交通事故が多いかというとそうでもない、アメリカは交通事故が少ないのか?車社会のアメリカがこの順位に入っていない
アメリカは広い国だから道路も広いから事故が起こりにくいのか?
どちらかというと国土が狭い国に事故が多いのか?
シンガポールなどは狭いのだから事故が起こりやすいとなる

とにかく車社会なのに車を利用していなことはその人は社会的弱者となる
それで近くにあったモスバーガーを20年とかそこが車専用として見ていて利用しないで大損だった、あの辺に喫茶店がなかったからである
その他車がないことで社会がわからなくなることがある
保険のことなどもわからないと常識として知ることも知らないのである
そして車がないことは就職すらできないとなる
私は別に仕事していないから車がなくても過ごせた、一万の町でも街内に住んでいるから車がなくても不便というものでもなかった
でも買い物にするにも田舎では街から離れると不便になる
自転車で買い物にするにも不便になる、だから一人一台車を持っているのである
通勤するのにも車が必要なのである

車社会で生活していれば車がない人は大きなハンディキャップを背負うことになる
普通の社会生活すらできないともなる、でも車というのは電車などと比べると本当に危険なものである、交通事故の現場を見ればわかる
コンクリートの塀に直撃した車を見ただけでその破壊力には恐怖する

1トン以上の鉄の塊が身近な生活環境のもとで時速百数十Kmも容易に加速することができる危険な代物なのだから

車自体が相当な凶器となる、車社会の暗黒面は本当はいろいろあるがプラスの面が大きいのでやめられないのである、車社会の暗黒面は津波の被害でも現れた
車で注目されていなかったのが車は場所をとる、空間の占有率が高いのである
電車を見ればわかる電車だったら百人であれ乗っても空間の占有率は少ない
でも車に1人一台で百人利用すると百台でありそれが道路をしめるとどうなるのか?
百台がが連なるのである、それで渋滞になって走れなくなり津浪で死んだ人が多くいた
それは車社会の危険な盲点が現れたとなる

自動車が決して優遇されていないことがあげられます。歩行者、自転車、公共交通機関、
そして自動車は、交通参加者として対等なのです

ヨ−ロッパではそうなっているが日本ではなっていない
ヨ−ロッパでは自転車道路も整備されているからそこを走れば安全なのである
でも日本ではないから危険になる、日本の道路は狭いから自転車も危険になる
でも日本ではすべて車優先の社会である
そして自転車に乗っていていて一番危険を感じるのは後ろから猛スピードで来る車であるそれは見えないから危険になるのだ
また車から見ると逆に急に自転車は道を横切るから目障りになる
それで車の人に怒鳴られたり注意されたり嫌がられているのである
日本では本当に車優先社会であり歩行者とか自転車とか目障りなものにされているのである、ヨ−ロッパではそうでないとするとき日本はなぜこれほど狭い国土なのに車が優先されているのか?
それは車が国の主要産業であり車を外国に売るから企業の方針でそうなっているのかともみる、なぜなら日本は会社社会であり会社の要求が優先される社会だからである
政治より財界の力が強くその言いなりになる、車が売れないとまずいとなれば国内でも車優先社会になるのである

自分自身はもともと車は嫌いだった、なぜなら車は自然に風景に溶け込まないからということもあった、突然目の前を猛スピードで走る、その時風景は乱される
また騒音も嫌だった、その点なぜ電車には鉄道には魅かれるかというと風景にとけこむからである、何か人間的なものがあるからだ
それで駅でボランティアしても見送りしたり何か情があるのが駅だと思った
車にはそういうものがないのである、またマイカーであり閉鎖された個人の空間となっているから車の人とは対話もない、誰が乗っているかもわからないからだ

つまり何か車はキレル道具である、キレルというとき人間と人間が通じあえないのである突然猛スピードで馬鹿野郎とか叫んで去ってゆく、そういう乗り物なのである
キレルとか情がないとかいう時車社会が影響していることは確かである
車によっては情ははぐくまれないのである、そういうことでも非情化社会になったともなる、つまり車社会では相手を思いやるということができないからである
それで私は自転車の人とは良く話するのである
最近でもトラック運転手だった人が足を悪くして車に乗れなくなり自転車に乗り始めた
意外と遠くまで行っているなと見ている
自転車に乗る人とは仲間になりやすいのである、でもバイクでも仲間にはなれないのである、ただバイクに乗る人はバイクを通して仲間になりやすいのである
だから車社会に住んでいると車を持たない人は仲間はずれにまでなる

だからこそ高齢者が車を手放せないのである、そして老人になると年寄りの冷や水とかいうけどそれは今までしたことができると思い込むのである
それは習慣の惰性ともなる、習慣的にしてきたことは年とっても体が衰えてもできると思うのである、またそうして車であれバイクであれ自転車であれそれに乗った快感を覚えたものはそれをやめることができないともなる
私自身でも自転車に乗れなくなったら死にたくもなるから車でも同じになる
車社会で車で生活してきた人たちが車に乗れなくなることは社会人としてまともに生きれなくなるとまでなるのが車社会なのである

そして免許を返納して失敗したという80歳の人がいたけど車が乗れないことが日常の社会生活に支障になる、田舎だと買い物すらできないとなる
その代りの交通など今はない、バスは一日二本くらいしか出てない、鉄道で不便なのは駅からの足がない、バスが出ていない、出ていても二時間に一回くらいだとか相馬市の人も言っていた、街から離れるとそうなる、でもタクシーだと高くつくのである
街内だったら600円だけど離れとすぐに倍にもなるからだ
つまり代替えする足がないのである
こうなったのも高齢化社会のマイナス面がいろいろな所に現れてきたためである

高齢化社会には車は向いていない

ここに車社会のマイナス面が露骨に現れてきたのである、だから何か高齢者向きの車が必要だというのもそうである、ところが日本ではそういう車はないという
自動運転などが取りざたされるがまだ先である
高齢者向きの車が販売されないとうのも変なのである
今度買ったヤマハの電動自転車はYPJ-XCマウテンバイクだから若者向きだと最初思っていた
でも全然違っていた、体力なくても楽に走れる優れものだったのである
この自転車だったら体力なくても走れるなと乗るのが楽しくなったのである
自転車でも今まで乗っていたらやめられないのである、自転車に乗れなくなったら恐怖だとなる、これを紹介したら脳卒中から回復した人も買って乗るようになった
おそらく車ももっているが危険にもなるから乗らないのか、ただ運動用に使っている

いづれにしろこうして高齢化社会になると車から自転車とか電車を利用する人が増えてきているのだ、技術的に自転車は進歩している
でも何か高齢化社会に車は適応しにくいのである、もともと車は若者向きだったからである、第一猛スピードで走るのもそうである、ゆっくり走れないものだからである
車間距離とかあり同じスピードに合わせなければならない、だからゆっくりは走れない
自転車なら別に早くも遅くも走れるし景色が楽しめるのである
そして田舎だと歩道を走れるから安全だとなる、ただ自転車はどうしても車社会では目障りになる、自転車から見ると車は危険なのである
つまり車は高齢化社会になり合わなくなったのである
何か高齢化社会では若者向きのものが合わなくなる、スマホでも字が小さいから目が疲れるしめんどうだからしたくないとか何かと今の社会に合わなくなる
それがみんな悪いというのではなくいい方に働けば住みよい社会になる
何か多少不便でもスローな社会で余裕ある社会になる

正直車は減らすべきだと思う、車をもちすぎて増えすぎたのである
車をいらないとできない、ただ車社会一辺倒の時代は終わったのである
だからヨ−ロッパでは車に対しても成熟社会になっていると見た
日本はなぜ効率第一で余裕がない社会なのである、それはヨ−ロッパのように成熟していないからだともなる、ヨ−ロッパでは騒音にうるさい食べる時だって音をたてないようにするのがマナーである、何かそういう点日本はまだ後進国なのかとなる
社会とか文化が成熟していないのである
だから技術があっても車というものに対して制御できない社会だとなる
技術を社会にうまく適合できない社会だとなる
そうなると車優先になりそれ以外のものは無視されるのである
歩行者でも自転車でも全く考慮されない社会になってんることがそれを示している
でも高齢化社会になると運転できなくなるから車社会にブレーキがかかるとういことがある、それは悪いとはならないのである

いづれにしろ車をもたない人は何か劣等者だとか能力がないとか見ているというのも異常である
それもあまりにも車優先の社会にしてしまったからである
その弊害が高齢化社会で出て来たのである、これもカルマであり自業自得である
車をもたない人がどれだけ肩身の狭い思いをしていたか車をもっている人にはわからない
でも車を運転できないとなりそのことを高齢化社会で老人は痛切に感じることになったのである
技術は必ずいい面と悪い面に働く、なんでもそうだけどそれが高齢化社会で現れたのである


posted by 老鶯 at 08:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層
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