荘厳な森の詩(丸森町の森からイメージされたもの)
荘厳な森の詩
樅の木が忠実なる友とか同士のように
厳かに立ち並び歳月を森に重ねる
まるでゴシック建築の神寂びた石の柱のように
森の奥処に山雀がリズミカルに鳴く
それは森全体にひびき木霊する
つつじが赤く新緑の中に歓び映える
新たな命の再びここに芽生えぬ
藤の花がさわに長々と垂れ咲く
首飾りのように神は木にかける
その美は文明の華美なる濫費にあらじ
清楚にしてつつましきもの
重厚なる厳(いか)つしの森は鎮まり
錚錚と風は鳴りここに樹々は連なる
ここに我らの精神は形成されぬ
力強く樹々は信をもて結ばれる
原始組成の自然(じねん)の紐帯
人はそに付け加えるもののなかるべし
我々は文明の中で真の精神の拠り所を失う
その心はただ物質文明に消耗されぬ
真の自然の声を聞かず形姿を見ない
我々は深遠なる森に還り深く木のごとく根を張り
そのよって立つべきものを心から感得すべし
み吉野の象山(きさやま)の際(ま)の木末(こぬれ)にはここだもさわく鳥の声かも
山部宿禰赤人
丸森は名前のごとく森の国である、樅の木の原生林とかもある、確かに樅の木が多い
それだけ原始の森があった所である、その森は相馬市からつづいていた
ただ樅の木となると丸森とかに多い、松の木も混じっている
そこで聞いた鳥の声がまさにこの万葉の歌だと感じた
樅の木が暗い森からひびきそこに荘厳な樅の木が立っていたからである
そこは森が深い、前にそこに迷い込んで出れなくなった恐怖を書いた
それだけ森が深いとなる、ただ杉の林だとあまり荘厳さを感じない
それが樅の木だと感じる
それはドイツの黒い森に通じるものがあるからだ
しかしドイツに行っても黒い森はほとんど消失している
でもヨ−ロッパはドイツでも樅の木の森におおわれていた
そのゲルマンの深い森からあの荘厳な石のゴシック建築が生まれたのである
万葉集の歌が何なのか感じにくいものがある
それは万葉集には原始的な人間が実際に生活していてできたものだから現代人の感覚ではわかりにくくなる、その自然だって今とはまるで違っていた
神道が日本の原自然から生まれたことでもわかる
ヨ−ロッパでもそうだが中東辺りですらレバノン杉の森があった
それが船の材料とかで切って残っているのは数十本とかになってしまった無惨がある
自然がどれだけは消失したか、破壊されて来たか、それはドイツに行ってみても森が見えない、でもあの平原は黒々として原生の森だったのである
日本では森が70パーセントとか残されたのは牧畜などをしなかったからか山が急峻でできないということもあった、日本語の野(の)は斜面の意味だからである
そこが外国の感覚と地形と違っているからである
それだけ日本は山国でありヤマトなのである
いづれにしろ木暗い、奥深い森にひびく鳥の声はこの歌と同じだった
ここだも騒ぐというとき鳥の声がここに鳴き合い共鳴したということである
それは奥深い原始の森があってこそなのである
そこには樅の木とか松とか杉だけではないものがある森だから感じたともなる
ブナの木の森でも感じるものがあったがブナの木はこの辺ではなくなっている
小山田の奥の森にブナ坂とあったから前はブナがあった
それはどこでも杉の木だけではない、杉の木は木材として作られた林であり本来の森ではないのである
森という時縄文時代が森を住処として生活していた、日本全体が森でおおわれていて縄文人は森で生活していたのである
それで縄文人は前期では満遍なく森に割拠していた、縄文人が争わなっかったというとき農業ではなく森を生活の基盤としていたからである
稲作になると土地をもつものがそれだけ財を貯えるから土地争いとかが起きてくるからだ
いづれにしろ文明人はもう自然と共鳴しない、自然というときそれはただ木材としてしか見ないからである、その収入となるもの金となるものしか価値を見ていないからである
だから容易に森も破壊されてゆく、ただこれは世界的にそうである
グロ−バル経済になればますます森は資源となり金となるものとして伐採されて熱帯林すらなくなっている
その時人間の精神も文化も消失するのである、消失しているのである
鎮守の杜(もり)が日本にあるのはやはりそれだけ日本は森の国だったのである
日本語に森ということばがない、それはもる(盛る)であり盛り上がるとかになりもりではない、ではなぜこれほど森におおわれていたのに森という森林という言葉が日本語にないのか?
それはあまりにも森に覆われていてそれは当たり前であり意識しなかったともなる
一本一本の木は意識しても森全体を意識できなかった、意識できないほど森に日本は覆われていたとなる
いづれにしろ飯館から丸森は森がつづいている、丸森はまだ回らない知らない所がある
飯館でも広いから行っていない場所がある、それだけ森が広いからそうなる
必ず自転車で行くと道に迷ってしまうからである
そして森に迷い込んで森から出れなくなった恐怖を経験したのである
この地図をみれどわかる、縄文時代は東北地方が人口が増えて関東から長野県地方が東北より増えている
でも西は増えていない、同じままなのである、だから東北地方はそうして人口が一時増えたがそのまま増えない
西は縄文時代は全く増えていない、つまり人口面から見れば東北関東地方が縄文時代は中心地域だったのである
そしひてそこは蝦夷の地域であり出雲に通じていて日本の原型を作っていた
実はここかヤマトの起源であり西から弥生時代に日本が作られたというのは違っているのである
それは征服したものがそういうふうに歴史を記したからそうなっているだけなのである
とにかく最近でも日本は森が多いと思った、山を見ていても森か見えないけど山と森は一体なのである
山全体が森になっているのが日本の自然だったのである、そして今でも70パーセントが日本の国では森なのである
こういう国は大陸と比べると珍しい、ネパールが山だけの国になるが日本は森の国なのである
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