藤の花、菖蒲の季節(相馬市には藤の花が合っている)
玉子屋
藤の花垂れにし下に休む人その後我も休むかな
八重桜に菜の花映え街中や玉子屋にそ働く人あり
玉子屋に働く女やあわれかな墓に入りしも花をささげぬ
紫と白の藤咲く相馬市に奥ゆかしくも住み人のあれ
路地を入り白菖蒲咲くを我見つけ知られざりしもあわれ深まる
人生の移り変わりの激しかな津波に病杖つく人かな
若葉に風のそよぎて鳥飛ぶや藤の陰にし人は休みぬ
藤が咲き菖蒲の季節になった、相馬市は城下町であれ入母屋作りで公共の建物は統一している
それが原町とは違う、原町の駅前の丸屋には十階の建物がホテルが建つとうから驚く
とにかくこの辺は震災以後ホテルが建てられつづけている
こんなにホテルがあっていいのかとなる、まだ原発の廃炉作業がつづくから需要があるともなる
その村とか街にあった花がある、相馬市は藤の花である、城跡の中村神社に藤の木があるからだ
そして白い藤も咲いている、城下町としてしんみりとして合っているのである
ただあそこで城下町を意識するかというと外から来ても意識されないだろう
細い路地があるからそれで城下町を意識することはあるが他に何か意識しにくいのである
原町はひまわりの花があっている、明治以降常磐線の機関区としてそこから街が発展したからである
つまり鉄道の駅中心に街が整備されたからである
それまでは浜街道沿いの宿場町だったとなるからだ
そこは相馬市との大きな相違である、だから今になっても駅前に十階ものホテルが建つことでもそうなのである
でも相馬市にはそういうビルが建つと景観がそこなわれる、何か低い家並みがあるのが素朴な感じがするからだ
それで原町と相馬市では違っているのである
それぞれの街で町でも村でもなんらか特徴がある、でも有名でない所はわかりにくいとなる
鹿島には玉子屋は有名であり街中に工場がある、そこに八重桜と菜の花が咲いていたのも合っていた
そこで働いていた女性も死んで今は墓の中である、その墓がすぐ近くにある
そこは自分の家の墓でもある
そこに津波の被害者が主に右田の人たちが復興住宅地の団地にいる
その公園でいつも休んでいる、そこには藤棚があり藤が咲いている
それにしても復興団地があそこにできると思わなかった、前は幼稚園があったがそれもなくなった
こんなに変わるとは思いもよらなかった
人生は本当に有為転変である、烏崎村の人と土手の道で語ったけどその人も津波の被害にあった人だった
そして脳卒中になり杖ついている
病気になっている人も多いのである、それは自分自身もそうだった、家族はみんな死んだとかなりただ茫然としているだけだった
人生とはこんなに変わるものかとただその無常に驚くだけである
もともとそういうことが人生だったともなる、なぜなら70年前は戦争であり三百万人死んでいるからである
長い人生のなかではそうして変化することを知った
路地は入ったら白菖蒲が咲いていた、あそこに咲いているのは気づかない
街中の畑にも菖蒲が咲いていたこともあったが今は荒地になっているのも淋しい
畑でもそうだが荒地になっていると良くないのだ
そこで花でも植えているだけでほっとする、そこに美が作り出されるからだ
ただそうするのにも手間がかかり金がかかるからできないのである
何かそういうことをNPOでしてもらいたいともなる
駅の見守りなど本当に必要なのかどうか疑問だからである、いれば安心感があるにしろ駅の業務をしないというのも変ったからである
今日は暑い、暑いともう自転車で出かけられなくなる、自転車は日ざしをまともに受けるから困るのである
それで去年は熱中症になったから怖くなったのである