2019年04月17日

桜咲く春の日に原町―小高ー浪江まで浜街道の旅)


桜咲く春の日に原町―小高ー浪江まで浜街道の旅)
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小高神社


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小高の街中のマルシェ


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六号線桜の映えて望む海

東風吹きて浜街道を遠くへと

沖に船浜街道を旅の人

坂越えて春の山々遠くへと

街道や蛙の鳴きて旅の人  

街道にスミレあまたや歩む人

街道に休むやここに花の影

孟宗竹歩む街道に椿かな 

街道に菜の花匂い歩む道

街道を調ぎりとび歩む道

春の日や喫茶店に昼の月


(小高)

花の影つづきし道を東京より来たりし女歩みけるかな

花覆う小高神社の石段を上りてあわれ古(いにしえ)偲ぶ

海よりの風竹にそよぎ桜かな小高神社に我が参りけり

何残る小高神社に散る椿武士(もののふ)の歌ここに残れり

街中に貴船神社や桜映え海に向き建つ社なるかな 

中庭に憩える広場や我歩む柱廊の道春日さすかな 

(大悲山の磨崖仏)  

千年の杉に昼なお暗きかなみ仏の形磐に残れる

千年の杉に桜明るく真昼間に映えてしばし装(よそお)ふ 

はや桜散りそめにけり光中街道遠くさらに行くかな

変わらざる古き碑三つ並びつつ街道来たりて花の影かな  

幾曲がり街道行くや春の日に誘われ行くや次の宿かな

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(浪江)  

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 右手イチョウの大木の下に檜山延命地蔵堂がある。西台、藤橋、酒田の旧三村境にある
「境地蔵」だそうだ。
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浪江神社では、お目当ては浪江宿北口、すなわちさっきの新町交差点にあったという道標だ。本殿左にずらりと並ぶ石塔群の一番奥の「金毘羅大権現」がそうだ。「右ハせんだい 左ハむろはら おゝほり」と書かれているようだ。浪江駅換線碑もある。安政の大火の後、火伏せの行事として浪江宿の西側の火除地に出羽神社を創建して始められた裸詣(はだかまいり)は、今は浪江神社を出発する。出羽神社がここへ移って浪江神社になっているからだ。



三本の枝垂桜の参道や参る人無く社は荒れぬ

三本の枝垂桜の色濃くも神社に映えて我訪ね暮る

帰らざる人無き後の家の跡春になりしも街の淋しき

一本の銀杏の古りて標かな散りし椿や浪江に入りぬ

散る椿踏みて街道我が来たり浪江に入るや昔の宿かな

知らぬ道来たりてあわれ桜にそ月の光りて行く人もなし

春の夜帰れる道に月影のさして明るし家に着きなむ  


原町の六号線から津波の後に海が見えるようになった、松とかにさえぎられてこれまで見えなかった
浜街道というとき海が見えると思うが見える場はまれであった、電車から見えなかった
それが津波で松原などがなくなり見えるようになった、景観が変わったのである
元の景観に戻ったともなる

奥の細道というとき道が細いということは自然がその道に充ちることになる、道が細ければそうなる
六号線だとそこは車専用の通り道なってしまう、だからそういう道を歩いても自然を感じないことがある
ただ六号線から海が見えて沖に船が行くのを見えた、その景観は良かった

小高について土手の桜の道は長い、そこを東京から来た女性が歩いていた
小高でも浪江でもそういう遠くから来る人はいる、小高の桜は小高神社から土手の道へとずっとつづいている
小高神社から実際に海が見えて海が近いから駅の手前まで津波が来ていたのである

マルシェによったがあそこは回廊のようになっいて中にいろいろに利用できる部屋がある
日本庭園がある中庭もある、その中に食堂と喫茶店もあっていい感じだった
あういうものができるとここに住んでもいいなとなるかもしれない、今まではなかったからである
小高はかなり人がもどって住んでいる

そこから大悲山のまがい仏によった、あの千年の杉は見応えがある、桜がそこに咲いていた
でも散り始めてもいた
そこに三つの碑が並んでいた、何の碑なのかいつの時代なのかわからない
街道にはそうして歴史のあるものが残っているし何か歴史を感じさせるから違っている
福岡からなのか詳しく歩いて写真をだして説明しているサイトがあった
あれも感心する、あんなに外から来た人が昔にあった街道まで探り行く人は地元でもいないからである
自分もめんどうだからそんなことしていないからだ
やはりでもあのように街道では歴史を知らないと本当の旅はできないともなる

小高に入る手前で銀杏の木があり地蔵が祭られている、それは檜山延命地蔵堂がある。西台、藤橋、酒田の旧三村境にある
「境地蔵」だというが街道の目印のようにも見えた、でも浪江の小さい範囲での境だったのである
江戸時代では年貢を村ごとにおさめていたから境にうるさかった、隣の村とでもそうであり争ったりしていた

それから浪江に入り「浪江神社」によった、サイトの説明ではもとは出羽神社であり浪江神社になった
何か古い感じであり枝垂桜が三本咲いていた、それが人がわずかに棲んでいる街にあって社は荒れていた
それも何とも言えぬ淋しさを感じた、人が参らない神社も一段と淋しさを感じる
それは山の中の限界集落では余計にそうだった、人が住まなくなって神社も捨てられた、神様をも捨てられたともなるからだ
浪江では建物がかなり壊されている、そこに新しい家が建つならいいが建たないとなるとそこは空地になり荒地となってしまうから一段と淋しくなるのである

そこには確かにサイトの説明にあるように金毘羅の碑があったし安政の碑があった
そして安政時代に浪江では大火があり街自体が変化した
それでその跡をサイトではたどっている
古いものと新しい道ができたからである
大火事になってもその後も人が住み続けたから今日があったが原発事故では壊滅的被害を受けた
そもそもこうした歴史とかが人が住まなくなれば絶えてしまう、その歴史の消失も重要な課題としてある、神社でも何でも歴史的なものでも人が住んでいれば活きるが住まなければ死物となってしまうからだ
それは先祖を捨てることにも通じているのである

いづれにしろ今回は浪江までだが旅した気分になった、今度の自転車は軽快に走るからいい、倍速になるからかなり遠くまで行っても楽なのである
ただ浪江までであり双葉になるともう行けない、自転車は通行止めだからである
でもいつになったら通れるのか?それもわからない。電車は来年開通する
とにかくいきている内にいわき市まで行けるだろう
ただ体力がなくなってくると行けなくなる、残された時間は後何年かかもしれないという不安があるのだ

桜はどこでも咲いている、帰りは街道ではない知らない道を夕暮れから夜に帰ってきた
その知らない道に月が光り桜が映えて美しかった
今の時期は一番いい時期である、でもすぐに桜は散ってしまう
何か不思議なのははじめて街道を通る気分だった
何か人間は忘れやすい、それで初めてまた通るように新鮮だった
やはり旅は歩くのがいいのだが自転車だと自然と一体化できる
道の辺にスミレが一杯咲いていたのも良かった、その時歩く旅人がいたら絵になっていたのである、自然を感じるにはやはり歩くことがいいのである
車は何か自然を感じない、ただぶっ飛ばして過ぎ去るというだけになるから嫌なのであるともかく短い道のりだったが旅であり旅してきたことを思い出したのである

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