なぜ津浪で神社が被害をまねがれたのか?
(もともと高い場所に建てられていたから)
神社がなぜ津波からまねがれたのが多いのか、津波からすれすれで助かっているのも多い、それはもともと神社は高い所に建てられる傾向がある
高い所に神様が棲むとなるからだ
そしてもともと古いとなると海側だと湿地帯が多いから低い所に神社は建てないのである例えば八沢浦は明治以降に侍が開拓した土地である
もともと海だったのである、だから社も低い場所にあり流された
古い神社はたいがい高い所にある、相馬市でも津神社(つのみつ)がそうでありその下の・・神社もすれすれで助かっている
烏崎の八幡神社は奇跡的にすれすれで助かっている
それを見て不思議であり奇跡で神様が住んでいたからだとなる
でももともと高い所に神様を祭るからそうなっている
別に海側でなくても社は高い所にある、玉野村の神社でもそうだし山津見神社も岩をよじのぼり隠されるようにしてあった、それは佐須にある分社である
あれにくはそもそもそこに社があると気づかないのである
とにかく神社は高い所に祭るのが普通なのである
そして海側になると海とか湿地帯になっていて人は住んでいなかったからである
原町の萱浜でも住んでいない、照ア神社でもすれすれで助かったというときも低い場所はもともと海であり湿地帯だから神社は建てられないのである
そもそも縄文人が住んでいた場所などはまず津波の被害には合わない
縄文海進があり深く海が入り込んでいたからである
その縄文海進状態が津波で再現されたのには驚いたのである
ただ鹿島区の海老村でも烏崎でも実際は古い場所であり海老村は弥生時代の住居跡が出てきたという時、古い場所である
そういう場所では漁業をしていたから港としてそこに住んでいたとなる
それは便利だからそうなったともなる
三陸などでも明治にも大きな津浪で一万人とか死んでもやはり港がありそこが漁業に便利だからもどって住んでいたのである
神社というのは本当に9割近くは高い場所にある、古い神社は特にそうである
そしなれば津波の被害に会いにくいのである
だから神社に逃げて助かったという時別にそれは神社が守る神様が守るというのではない別に高い所に高台に逃れれば津波から助かるのである
それでことさら神社が助けたとはならないのである
日ごろから高い場所を避難場所としていれば助かるのである
だから神社が特別な神の力が宿っているとかにはならないのである
それにしても神社には謎が多い、なんの謂れであるのかわからないのも多いのである
それだけ古いからそうなっている、その古いことに意味があるとなる
郷土史でも村の新旧をまず知れというときもそうである
その土地でどの家が新しいのか古いのかを知ることである
それで戦後開墾に入った人たちが本当に矢までも多い
それでそこがもともと古くから住んだ人たちなのか錯覚する、まぎらわしていのである
それはどこでも日本ではそういう人たちが戦後職もなく開墾に入ったからである
そういう開墾者が入った場所ともともと古くから住んだ人たちは分けるべきなのである
神社とはパワースポットのように何か場所と関係している、なぜそこに神社があるのか?それは場所と関係してあるともなる、ただ神社にはその由来が不明なものが多すぎるのである、だからそれだけ古いから由来もわからなくなったとなる
それで津浪で神社に逃げたから助かったから神様のおかげだったというのも疑問なのである、別に高い所に高台に逃げれば助かるのが津波だからである
その高い所にちょうど神社があったとなる、だから目印にはなったのである
実際すれすれで助かっているからである
まあ、合理的に考えれば神社が津波から助かった理由がありそれを神様が守ってくれたとはならない、その辺は疑問なのである
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