2019年03月07日

生業を返せ、地域を返せ(2) (原発事故で奪われた人生の意味と価値)


生業を返せ、地域を返せ(2)

(原発事故で奪われた人生の意味と価値)

原発事故で奪われたものは何なのか?結局確かに多額の補償金を得たから外から見るとそれで贖われたとかかえって得したとか見る人もいる
地元でもそういう人はいる、みんな別にそんなに補償金をもらっていないからである
でもよくよく考えると金で贖い(あがなう)いないものを失った、奪われたのである
ただ前に書いたようにその生業とか地域に生きる価値が何なのか意識しないし自覚していなかった、そこには金にならないという不満が常にあった
現実問題として金がないと今は生活でもどうにもならないかである

でも何が大事なのか、人生とは何なのか?
それが原発事故で問われたのである、原発事故で奪われたもの失ったものが何であったか別にむずかしく哲学的に考えるのではなくても具体的に身にふりかかってそうなったのである
特に老人になると私の人生は何だったのだろうとどんな人でもふりかえる
その時金を残したとか財産を残したとか子供でもそう見る、親は財産も何も残さないから価値がなかったとはか今ではなる

でも親が残すものは財産だけではない、金ではない、その人がどう生きたかを伝えたいのである、本人にとっても自分の人生はこういうもので有意義だったとか伝いたいのであるそういうことが奪われて失ったことが大きな痛手だったのである
それはなぜか?そうした個々人の人生でももう一度人生を生きることはできないことが深刻なのである、人生は一度しかないからである

だから老人になると自分の人生とは何だったのだろうと誰でもふりかえり語る
自分の人生が無意味ではない、価値のないものではないということを伝いたいのである
戦争のことでもそこで地獄の苦しみを受けたからそのことを誰も無意味にしたくないのである
だって3百万人も死んだことが無意味となること価値なきことにされたらどうなるのか?それは空恐ろしいことではないか?
でもそれは戦争が終わったからこそ今になって70年過ぎても問われているのである
それが次の代ものものに負わされているのである
それでも戦争の時そうした価値と意義とか意味を追求してみんな戦争に参加してはいないほとんど国の強制でそうさせられたのである

このように何でも人間はその時の行為を明確な目的とか思想とかがあってしてはいないのである
原発事故だってそうなってはじめてみんな生業を返せとかなったがその前は生業のことなど考えない、むしろもっと生業より金が入る仕事をしたいとうだけだったのである
皮肉だけど生業でもなんでもそれを失ったときその大事さを自覚する、価値を知る
それは家族が空気のように思っているけど妻でも失ったときその価値をしるのとにているつのである          

60以上になればもう人生は過去に生きるようになる、これまで生きたことの価値を問うことになる、それがどういう意味と価値とか意義があったのかと問う
そしてその時もう人生はやり直すことはできないのである
たいだい高齢化社会でもうやり直すことはできない、それも補償金をたんまりもらったのだからいいじゃないかと外からは見る

ただ人生を奪われた

このことは言える、人生そのものが奪われたというときいくら金をもらっても人生の穴埋めはできとない、贖い(あがなう)ないのである
そこに深刻さがあった、生業を返せ、地域を返せというがそれは帰ってこないのである
つまりそういう農村であり山村でありそこに生きた人たちは長年、代々でもそこでアイディンティティを築いてきて生きてきたのである
その地域と土地と一体化して生きてきたことに意義があったのである
だから子供に孫に何か人生を語るときその土地に住んでいてこそその生きた場があってこそ語り伝えられるのである
人間の人生はその土地と一体化している、その土に帰る、土となる

人生を奪われた、地域を失った

そのことが老人にとっては深刻だった、若い人なら他の土地に遷ってもやり直すということができるが老人はできないからである
補償金をもらってもその人生の価値とか意義を奪われた失ったことが深刻だったのであるただ外から見れば金をたんまりもらったから良かったと見る人も多い
近くでもそうである、そんなむずかしいことを考えない人も多い
金あればいいんだと思っている人も被害者にもいる
だってもともとそういう場所は貧乏な地域だったからである
法外な金が入ったとき普通の生活から逸脱した者もいることがわかる

ただ一番この辺で矛盾していたのは漁業関係者なのである
魚をとることが生業であったが事故前も補償金で金は入っていたから魚はとれなくても十分に生活できていたのである
事故後さらに手厚い補償金をもらって立派な家を建てたのである
でも事故後は漁師が「俺はなんでここにいるんだ」と嘆いていた
これはまさにこの土地で魚をとり魚を与えることが生業であり役目であったのが奪われたでも生活は別に困らないという矛盾につきあたったのである
そもそも漁業だってそれだけは成り立たない時代になっていたからそうなった

そして浪江の
赤宇木(あこうぎ)
とかでもそうである、津島松とか百年二百年の松がありそれは一本2百万で売れるとかNHKの放送で言っていた、もともと林業が盛んだった時は木は財産でありそれで山でも金持ちになっていた長者がいたのである
確かに一本二百万となればそうである、それが外材の利用で林業が衰退したとき山林も価値ないものとされた
ただあこうぎでもその土地に場所に生きることで経済的にも精神的にもアイディンティティを代々築いて生きてきたのである
そのアイディンティティの場を失うことは人生を失うと同じだったのである
特に老人はその土地で長く生きたことがアイディンティティでありその土地と一体化しているからそこから切り離されることは人生も価値なきものとなる
次の世代に子供でも孫でもそこに生きたことを語れなくなるからである

その松を浪江の街の人に売って利用してもらいたいというときもそうである
私の家は橲原の木を利用して親が建てたものだからである
昔はみんなそうだった、地元の材料で何でも作っていたのである
そこに地元に生きる意味と価値があったのである

あをによし奈良の山なる黒木もち造れる室(やど)は座(ま)せども飽かぬかも

右は、聞かく「左大臣長屋王(ながやのおほきみ)の佐保の宅(いへ)に御在(いでま)せる肆宴(とよのあかり)の御製(おほみうた)なり」といへり。

山に住むものの役割はこうして百年ときか二百年とかで育つ木を提供することだったのである、それがグロ−バル経済で外材とかの利用でなくなったことからその役割が原発事故前でも喪失していたのである
そういうことが漁業でも農業でも林業でもあった
そして工業と電気とか石油の時代になったときそうなった
そして結果的にその住んでいる場の喪失だった、なぜなら空気から自ら土から汚染されたら住めないからである
これも何に価値を置くべき意味を求めるべきかということが原発事故で問われたのである
だからといって電気が悪いものではない、電気なしの生活など考えられない時代だからである、ただ農業とか漁業とか林業の価値があまりにも低くされていたのである
その仕事の持っている意味とか価値があまりにも軽んじられていたのである
なぜならそれらは自然と密接結びついている一体化しているから原発事故が起きたとき大打撃を受けた、人間は空気と水と土がなければ生きていけない
その基本的なものと結びついていたのがそうした仕事だったからである
そこに現代文明の危険性と矛盾があったのである

いづれにしろ森でも汚染度が強い所はもう百年は放置するほかないだろう
土を除染できないからである、まあ、津島松が百年二百年で育つというときそれくらいの時間がなければ回復はできなくなった
その時間もまた自然の営みでありその時間の中でしか回復しないとなったのである  

津島松百年二百年で育ちしと誇りにあれやここに生きなむ

津島というとき私の父の父の出身が葛尾村の柏原だったことが判明した、津島からの道を脇にそれた道である
津島では記憶に残っているのは自然の石で作った墓である
何かそこに生きた者の重みがそこにあった、津島石というものもある、津島と名がつくこと自体その土地の誇りになっているのだ
なかなか今は山の生活とかも理解できなくなっている、それは炭を街に供給していた時代が終わったり経済がグロ−バル化した結果なのである、燃料は電機であり石油になったからである
そういう時代に山村にも関心がなくなる、ただ憩いの場だと癒しの場だとかなり直接暮らしに結びつくものではなくなっていたからであ、でも改めて山林でも土でも川でも海でもそうしたものは生活の基本でありそれが失われたら住めなくなるということである
空気すら吸いなくなるということがあまりもに深刻だったのである

tushimamatuu123.jpg

tushimaishiii1.jpg
津島石は中味が黒い、この黒さはなかなかないと見た
         

 東北石材

tushimahaka1232.jpg
浜通りは東京の影響が大きかった (戦後の歴史をふりかえる原町-津島から葛尾村まで)

あの自然石が貫禄がある




posted by 天華 at 13:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連
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