グロ−バル化は国内でもそうである
(東京一極集中で地方から富が吸い上げられる―会社の社長は東京に住んでいる)
グローバル経済とは何なのか?これを客観的に見て理解できるかとなるとむずかしい
今どんな時代を生きているのか意外と生きていてもわからないことがあるのだ
江戸時代に生きていた人がどんな時代に生きていたのかわからない
それは時代を比較しにくいからそうなる
こんなに外国と交わり生きている時代はない、でも江戸時代は狭い地域で藩とかの単位で生活していた、規模が小さいから何かいろいろなことが見える社会であり互いの関係も見える社会に生きていた
そういうことで何かいろいろなことを別に特別な勉強しなくてもいい社会である
かえって人間同士も互いに通じ合う社会である
もちろん必ず負の面はあるが今のように互いの関係がわからない社会ではない
それは狭い社会で生活していたからである
身の回りにあるもので生活していた、燃料は炭だとすれば山で木材から炭を作っていてそれを利用するとなると近くの山で木を切って炭にしている目に見えるから何もむずかしい勉強などいらないのである
水でも井戸からとるとかわかりやすい、そして何より遠くのものは物でも人でも滅多に入ってこない、制限されている
だから遠くから運んでくるものもわずかだから身の回りにあるもので間に合わせていたからその生活もわかりやすいのである
経済の動きが手にとるようにわかるのである
竹を利用して竹細工があり籠屋がありとか手仕事の社会でもある、その材料はみな近くでとれたものなのである、外国からも藩の外からも入ってこないのである
そういう社会になると別に学問として学ぶ必要はない、経済の勉強すらいらない、その社会で生活していればむずかしい経済学など勉強しなくても学問がなくてもわかることだからである、だから生活の中で生きる術を身につけていたのである
現代社会では日本ですら広域的に密接にかかわる社会である
モノ、ヒトが自由に出入りする社会である
それで単純な疑問として南相馬市鹿島区に東北サッシがあタニコウがあり友伸エンジニアがある、これは鹿島区では大きな会社であるから働く人も多い
でもみんな社長は東京の方なのである
鹿島区でも相馬地域に住んでいない、なぜなら時々電車で視察には来る
その時社員が迎えるから知っている
つまり社長は地方に会社が支社があっても住んでいないのである
こういうことが今は多いと思う、社長は東京の方に住んでいて地方に会社があっても工場があっても地元には住んでいない、するとどうなるのか?
その富は社長がいる東京に使われるとかなる
東京に富が集中するシステムになっているのだ
そして東京に住んでいる限りどんな贅沢していても地方ではわからない
東京では一か月二百万の家賃とかのマンションに住んでいる人が普通にある
会社の社長が多いからである、経営者はそれなりの金が入ってくるからである
そういう生活は田舎ではイメージできないのである
そして社長は経営者は地方に視察に時々来ても住んでいないのだからその地方の田舎に住んでいる人についてもその地方の生活がどういう状態にあるのかも理解しないでもいいとなる
なぜなら社長でも地方の田舎に住んでいたら自分が生活する場だから何か社長となれば関与することがありその住んでいる場所を良くしようと自ずとなるからである
でも住んでいない限りそういうことにはならないのである
時々社長として視察して後は東京に帰ってゆくだけだとなる
そういうことが何かグロ−バル社会では普通なのである
グローバルとなると日本に住んでいないでアメリカに社長が住んでいるともなる
すると日本はただ金儲けの対象であり日本に住んでいないのだから日本からは金が入ればいいともなってしまうのである
そういうことが原発事故にもなる原因を作っていたのである
なぜなら東電の幹部は社長でもフクシマ原発のある大熊とか双葉とか浪江でも周辺に住んでいないからである、確かに社員で住んでいた人はいた
だが幹部クラスになると住んでいないのである
その住んでいないことはその場所に無関心になる、東京から離れたところで安全だとかただそこで収益をあげて東京で贅沢していればいいとなる
原発に対する危険性も感じなくなるのである
もし原発の近くに住んでいればそうはならない、素人より放射線の危険とか知っているからである
現実に東電の社員で住んでいた人は爆発の時山の方に逃げたが東電の社員は海側の街の方にもどった方がいいと行って引き返したのである
山側の津島は放射線量が一番くらい高い地域になっていたからだ
つまりそこに住んでいる人は自分が被害に会うからみんなに支持できたのである
東京の東電本部からは何の指示もなかったのである
そして吉田所長と東京の幹部とは意思疎通ができなくなっていた
それも事故現場にいないしもともと離れて支持していたからそうなったのである
だからグロ−バル社会とはこういうことになりやすいのである
それは国内でもそうである、社長は地方で会社や工場を経営してもその市町村を良くしようというものにならない、それはそこに住んでいないからである
グロ−バル経済になると世界が一つに結ばれるというのは幻想である
世界をばらばらにするのである
グロ−バル経済はただ金だけがやりとりする無政府状態なのである
人間が人間同士わりあえる範囲は広ければ広いほどわかりえなくなる
無関心になる、それだけ広くなるともう相手のことなど理解できないからである
グロ−バル社会とは経済だけが突出した無政府状態であり無法にもなっているのだ
そこで通用するのは金しかない
金があればどこの国に行っても最高級のホテルに泊まれるとなる
人は世界でも金だけが価値として見られるのである
江戸時代だったら身近な人たちと密接にかかわり生活していたから金だけの社会ではない要するにその地域で貢献する人はみんなわかっているからその人が認められていたとなるその社会的に共通に認知された認められた人が力をもっている、それは金だけではない、身分とか社会的な貢献度合いによって決まっていたとなる
現代では誰でもいい、第一遠くから来る人だからその人となりなどわからない
ただ見かけとか金でその人の価値を判断するだけなのである
金さえあれば殿様待遇になるのである
グローバル経済はそうして人間的なヒューマンなものを排除して成り立つ
金を唯一の価値としている、人間と人間がわかりあうなど関係ないのである
そういう社会は異常だともなる、つまり経済だけの金だけが通用する無政府状態の社会なのである
そして世界が市場になるのだからある一部の人に巨万の富が集まる
それは中国の皇帝と同じなのである
だからグロ−バル社会は何か世界が交流していいものだとしてきたがそれは世界でも格差社会になりその富は極一部の人に集まるシステムなのである
そして世界を支配するのはFRBなのか政府でもないとなる
金の流れのシステムを握っている人たちだとなる
その人たちによって世界は牛耳られている
それは陰謀論にもなるがでもドルが世界を支配しているという時そういうシステムがあるそれでアメリカは基軸貨幣としてのドルの支配権をゆずらないのである
それにも綻びをきたしてきた
基本的世界は国家なしではありえない、国家以上の共同体はできていない
グローバルの経済だけを追求する社会はそこは誰もモラルでもなんでも統制できない無政府状態になっている
ただ金のやりとりだけがあり人間的なものは排除されるのである
つまり人間が社会を作りえるのは共同体を作りえるのは本当は江戸時代の藩のような範囲である
それ以上巨大化すると統制ができないものとなる
そして世界で何が起きたか?グローバル化した結果世界大戦で第一次第二次世界大戦で3000万人とか死んだと信じられないものとなる
それはナチスのファシズムも産むのも当然だとなる
人間が人間的に治められる範囲には限界があるからだ
その血脈を通じる場所が限られた場所なのである
それはグロ−バル化ははるかに逸脱しているからもう統制するものもない無政府状態になって金だけが突出して力をもつ世界になる
もう世界の株式市場でも機能不全になる、それが恐慌とかなり破綻する
それが自然災害のようにやってくるように見えるのはもう世界経済など知りえる人はいない、原発でも吉田所長すら復水器のことを知らなかったのである
もう世界市場のことを知りえる人はいないのである
だから突然リーマンショックのようにクラッシュする、破綻するのが運命なのである
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