春望国見山 (深野から大谷(おおがい)から国見山を上る)
鹿島の寺内からも見えた二つ山
親子石という感じ
春の日に二つ山見ゆ鹿島より
春日さし石五つここに落ち着く
春の日に海を望みて国見山
春日の国見山に映え我が登る
春日さし根づきし石や国見山
見上げれば春星満ちて希望かな
大谷村戸数少なく春来しも空家となりし家一間り
国見山去年(こぞ)の落葉を踏みにつつ一歩一歩と我が登るかな
国見山今登る人無く我一人去年の落葉を踏みて下りぬ
国見山春望
洋々大海開
国見山頂上
早梅山居咲
南相馬市住
春光温和日
和平合一願
新しい電動自転車で原町の深野のユッサによりそれから隣の大谷(おおがい)村によった新田川を渡った隣だった
深野(ふこうの)とか大原は常に意識しているけど大谷村はあまり意識しない所だった
もともと戸数が少ない20数軒だという、大原とか深野は戸数が50軒以上と多いのである、だから大谷村は深野村か大原村かと思っていた
ただ大谷(おおがい)というのはこの姓は栃窪村にその姓の人がいる
大谷氏は一族であり栃窪村に多い、小さな村だと一つの姓に属することが多い
だから大谷という姓が栃窪に多いということは大谷村から移住した人の子孫なのかとなるそういうことは確かに日本では多いからである
姓の元をたどれば村の名前になるからである
その大谷村から細い道を分け入り高倉村に出て国見山に上った、自転車で上り後は歩いて上った、標高は520メートルとかあった
鹿狼山(かろうさん)は429メートルだからこれより高かったのだ
遠くから見えやすいのは鹿狼山であり目立つ山である
だから国見山がそれより高いということが意外だったのである
この辺の風景でものたりないのが高い山がないことである
ただ国見山という名は全国的に多い
大和(やまと)には、群山(むらやま)あれど、とりよろふ、天(あめ)の香具山(かぐやま)、登り立ち、国見(くにみ)をすれば、国原(くにはら)は、煙(けぶり)立ち立つ、海原(うなはら)は、鴎(かまめ)立ち立つ、うまし国ぞ、蜻蛉島(あきづしま)、大和の国は
国を見渡しながら「大和の国はすばらしい国である」と詠うことによって言霊の力で大自然の神々に語り掛け、実際にそのような国になるように祈っているわけです
国見は、春、山や岡など高いところに登って四方を見渡し、その年の穀
物が豊かであるように予祝する儀礼。そこでは、国を賞める歌をうたい、その実現を期待した。本来は民間の行事であったが、天皇の政治的行事としても行われるようになったらしい。
これは天皇の歌であり天皇は国を統べるものでありだからこそ国見の行事があり国の平和と繁栄を祈るのが天皇役目であり天皇は司祭でもあった、短歌はそうした呪術的なものがあった、単なる風流とは違っていたのである
本当にこの辺では津波原発事故で大被害を受けた、それで補償金で分断されたとかいろいろあったからこの願いも切実なのである
漢詩もどきでも書いたがこれが願いなのである、和平合一することが願いなのである
いづれしろ国見は春にふさわしい行事だった、ここの国見山は原町を中心にして小高と鹿島まで見える
でも相馬市とか浪江町は圏外になっているから南相馬市の国見山になっているのである
ともかく新しい電動自転車だと行動範囲が広がった、国見山に上るのは結構大変だった
でもそこまで行くのが楽だから登れた、倍速で軽く走れるから楽なのである
やはり春になると遠くに行きたくなるのである
国見山は通行止めになってる、でも鉄の棒で封鎖していたが入り口は倒されていた
一台車が入ってきていた、あそこ7マイクロとか放射線量が高かった、今はどうないるかわからない