2019年01月23日

投資は何の価値があり意味があるのかわからない (金は使ったとき価値がわかる)


投資は何の価値があり意味があるのかわからない

(金は使ったとき価値がわかる)


投資に何の価値があり意味があるのかわからなかった
カナダの国債を買ってなんの意味があるのか?
株を買って何の意味があるのか価値があるのかわからない
現代の資本主義は投資に何か価値とか意味を見いだせない

ただ利益があがることに価値がある

それ意外のことはわからない、そして現代の資本主義では金を使う時その価値が一般人でもわかる  

具体的には

●仙台の「優 創建」でユニットバスを100万で作ってもらった

●小高の大工さんに庭を作ってもらった

●ヤマハのjpy-xrを買ってその乗り心地に感動した  



仙台の優 創建に作ってもらったユニットバスは本当に得だった
まず古いタイル張りの風呂を壊すことから大変な作業だったしその後でも仕事を見ていたら大変だった、浴槽でも高いと見えたし全体で百万では本当に安い
なぜならガス会社では200百万かかるといっていたし地元だと300万以上かかっていた、なぜならその人は何もわからない、あっせんした大工さんは修理を頼んでも直っていなかったからである

次に小高の大工さんは優秀であり庭作りもできたしいろいろその他仕事ができた
だからこれも得したとなる、その後小高と補償金などでももめて頼まなくなった
でもその小高の大工さんは仕事ができる人だったのである

それから感動したのはヤマハのjpy-xrだった、これは今までのアシスト自転車とは違うものだった、走りが違う、バイクのように自動的に走るような快感があった
エンジン部分が進歩したのである、こんなに違うものかと驚き感動した
今までの倍速で軽く走れるからである

このように現代の資本主義はまず投資してもそれが利益があがれば得したとなるだけであり金を使ってみない限り金の価値も意味もわからないのだ
だから銀行があるとして地銀などでどういうふうに金を使っているのか?
どこに投資して地元の会社を育たているのか?
金を集めてその金をどう使っているのか?
地元に何かその金で貢献しているのか?それを見ると金をあづけてその金を運用して地元の経済でも活性化して貢献していると実感する

それは例えれば大金持ちがいたとしてその大金持ちが何に金を使うかをみる
ただ100億とか200億の収入のあった芸能人やプロのスポーツで金儲ける人などがいてもそれは豪邸を建てたとか何か自己満足で浪費して終わってそれで破産しているというのもその人が金を社会のために使いなかったからである
もしその金を有効に使う能力があったなら社会に貢献もできてそんな破産するような状態にならなかったからである

つまり金をどういうふうに使うかでその人がみれる、会社でも見れるとなる
いくら金をもうけてもその使い方が悪ければ知らなけれればそういう人に金をもたせても社会のためにならないとなる
それは銀行に言えるのである、銀行を大金持ちに例えればわかりやすくなるからである
そこには巨万の金が貯えられている、その金は庶民から集めたものなのである
ではその金を何に使うのだろうか?
今は利子などゼロである、貯金した人には利子として還元されないなのである
その金は貯金した人のものである、もし利益をあげないとしてたら預けた人は何のためにあづけているのだろう?
銀行は利益をあげられないのだからただ銀行は貸金庫なのか?
現実に貸金庫をしているからそれだけの用なのかとなる
銀行に金をあづけても利子はつかない、そして投資信託などをすすめられて損するだけだとなる、そうなると銀行は必要ないとまでなる

現代の資本主義はグロ−バルだからまず投資したとしてその金がどう動きどういう価値があり意味があるのかもわからないのだ
もし例え損したとしてもその投資することでそれが価値があり意味があるなら必ずしも損したとはならないからだ、それがグロ−バル経済では全くわからないのである
わからないからこそそこに不正があってもわからない
極一部の数パーセントの人たちに世界の富が金が吸い上げられている
ただ投資しても庶民には金は回ってこないのである
要するにグロ−バル経済では巨大なギャンブル場と同じようになっている
とても庶民がそこでもうけることはむずかしいから一般の人は手を引いているのである

投資信託などは毎月分配型とあってもそうはならない、それはだます手法だったのである何か月ごとに月給のように入ってくると錯覚させるからである
つまり投資というのは株でもそうだが極一部の人しか理解できないものなのである
グロ−バル経済になれば特にそうなる
ただ現代資本主義の価値を理解できるのは金を使う時なのである
株でも投資でも利益あげればその金を使うことでその価値と意味がわかる
その投資がどうしてもうけて価値が意味があるかはわからないのである
銀行ではだからいかがわしいものにも世界で投資している、武器とか何か環境破壊する会社にも投資している、だからやめさせるべきだということもわかる
投資には必ずも価値と意味があるものとは限らないのである
それでも金を使う時は具体的にその価値と意味を見出すのが現代の資本主義なのである

最初はウエバーのように資本主義がキャスト教から修道院から発したときは働くことが神に奉仕することでありまた社会に奉仕するということではじまった
そうして蓄えられた資本を消費する使うということに価値と意味を見出していなかったのである、それが逆になったのである
金を使うことでしかその価値と意味を実感できないのである
だからグロ−バル経済には何か見えないが大きな不正の温床になり世界の数パーセントの人が富をもつ異常なものとなったのである
それはグロ−バル経済は見えない理解できないものだからである
世界を市場化して公正のように見えてもそうではない

だから地銀などというと地元に密着して地元に金を流して投資して地元に貢献するものとして金を使う、投資するという使命で成り立っていると見ていた
地元の企業を育てて地元に貢献するのが地銀の使命であり貯金でも利子がつかなくてもそういう貢献をすれば納得することがある
そういうものが見えないし地銀でも利益をあげられないから投資信託などを売りつけ手数料商売をするようになったのである
すると地銀は社会にとって地元にとっても不要のものだとなる
だから金をあづけても地元のために使うわけでもないとなるからだ
つまり金があっても有効に使えるのか、それは個人でも会社でも銀行でも同じだったのである

nikkei1.jpg

素人は一般人は投資ではカモだったのである
もうからない仕組みになっていてギャンブルと同じ
胴元がもうかるだけだった


posted by 老鶯 at 10:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題
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