Dマガジンと楽天マガジンの比較評価
(インタ−ネットで変わる情報世界)
楽天マガジン
Dマガジンを見ていたが操作できなくなってもうアクセスできないと思ったので楽天マガジンに入会した、本当はしたくなかった
電話でも簡単に連絡できないとも思ったからだ
何かインタ−ネットでは電話がすぐに通じないし通じなくなるから不安になる
でも実際は私自身の操作の間違いだった、その手順が間違っていたのだ
こういうことは良くある、何かこういうことで私自身はミスが多い
ただDマガジンでも安い、楽天マガジンはさらに安い、こんなに安くていいのとなる
週刊誌でも一冊買えば400円とする、それがあれだけの雑誌を全部読んでも一か月400円はかだから安いと感じる
それだけインタ−ネット時代になると情報は廉価になる
それは情報を出すのが電子空間だと簡単だし金がかからないのである
新聞でも雑誌でも本でもこれを印刷して配達するとこれはもう個人の手に負いないからである、配達して本屋で売るということで手間がかかり金がかかるからだ
だから新聞でもメデアであり新聞に載せてもらうと目立つからそれで広告費とか稼ぐ
新聞に載せてもらうことはそれだけ宣伝になるからだ
それは新聞社が何か特別な取材力とか何かなくてもいいのである
新聞に載せてくれという人でも会社でも頼みにくるからである
それがインタ−ネットになるとどうなったのか?
自分でもしているように誰でも個人レベルで雑誌が作れる感じになった
それも金はかからないから個人レベルでできる
ただインタ−ネットで読まれるのには意外と読みやすさとか見やすさとかが関係してくる楽天マガジンは横にスクロールして一覧できる
これは読みやすい見た、そこで読みたいものを見たいものをクリックすると見れるし拡大縮小もマウスで自由にできる
Dマガジンだと一気に2倍3倍になり拡大がマウスで自由にできないのである
何より、dマガジンで一番不満に感じていたのがページめくりのアニメーション。dマガジンではページを勢いよくめくっていくと文字がぼやけて表示され、少し待つと読めるようになるというインターフェイスで、雑誌を流し読みしたいときにも文字を読むのに待たされることがストレスでした。
ただ文春とか新潮とかは楽天マガジンでは読めなかった、でも種類は楽天マガジンが多いという
でも「紙の爆弾」という雑誌は創価の問題を取り上げていたり他にないものがあった
楽天の社長は創価だったとか聞いたことがあるがこういう雑誌を置かせないだろう
インタ−ネットでは出版できないようなものでも個人レベルで出すことができる
それで「心に青雲」の都築詠一氏は過激なプログを書き続けて69歳で死んだのである
それが驚きだった、文学に造詣が深くそれで毎日7年間くらい読んでいたからである
この人はプロ級の人だったのである、実際に有名な作家の編集にたずさわっていたからだもっと書いてもらいたかったが死んでしまったのは残念だった
インタ−ネットは情報世界を変えた、週刊誌がコンビニに置くと目立つから売れたのである、何かセンセーショナルあ見出しを見て買う人もいた
情報では目立つことが読まれることであり売れることなのである
ただそうできるのはそうして宣伝力がある大きな会社とかがないと目立つようにはできない、インタ−ネットで出しても目立つことがいかに大変なことかわかる
無数のプログがあってももう読まれないからだ
コンビニに雑誌でも置けることはそこに人の出入りが多いから目立つからそれで読まれたり売れたりしていたのである
その内容がどうかということでもない、それはテレビはいつも茶の間にあって見られから力をもったのである
最初は何でもいい、映るだけで驚きであり食い入るようにして見ていたのである
だからなんでもいい、内容がなくても何百万人の人たちが見ていたのである
ただそういう時代は終わった、インタ−ネットが情報世界で変化をもたらした
とにかくこうして私自身が延々と長文を書いているけどそれは書きやすいからなのである書いたら即座にアップして公表できるからである
私は誰がどう読んでいるかとか考慮していない、自分の思うことを感じたことを書いているだけである、そこに問題があるのだがそうなっている
ただインタ−ネット時代はこうして何でも書けるから一億総評論家になる、くだらない発言でもできるからだ
それでもインタ−ネット時代はこうして誰でも書いて発表できるのだから何か記事でも本でも読んだらその感想を評論をして見るべきである
ただ読み流しただけでは読んだことにならないからだ
対話的に読んで評価してゆくと自分なりに読んだことになるからだ
だから私の場合は書くことが無限にありただ詩についてはまだ出していない
それも相当に書き溜めたものがあるからだ
詩となると一般的ではないからあまり読まれない
ただ自分のしていることは本当に雑誌作りだった、それも一人でしているのである
それができたのはインタ−ネットだからだった
ただ楽天マガジンのように縦書きでスクロールして読めるようにしたらもっと読みやすくなる、それをするとやはり個人的には無理だとなる
現実になぜドコモのDマガジンではできるはずなのにしていないからだ
それくらいの会社だったらできるはずなのである
そこに差が生まれているからだ
インタ−ネットでの契約は一時的に一冊本を買うとかではない、一年とか長く契約する
それは一か月でも400円であれだけのものが読める、すると一か月でそのくらならと金を払うがそれは一年とかでも継続するものとなる
だから読者は一回だけでやめるということがなく一年とか継続するからそれでやっていけるのかともみる
だからこの表現は面白い見方だと思った、恋愛は気まぐれで結婚はそうではないからだ
ともかく今は旧来のメデアが批判される、それがインタ−ネットでしやすくなったのである
ボクシングの公式戦かと思い見た、それはエギゼビションでありショーにすぎなかった
一回でノックアウトしたし何か前のも日本人がキックボクシングで勝ったけど作られたもの嘘に感じた、それはこれは公式戦ではなかったからだ
権威あるものとして試合が成されたのではなかったからだ
こうあるるようにテレビの発言者はテレビ局の言いなりになるロボットなのである
そういう人しか呼ばれないのである
だからもうテレビを見ないとか信じない、マスコミでも信じないとか増えている
そもそも新聞はその寿命がもう尽きている、なくなるのが目に見えている
テレビでも今のような放送はなくなる、ただ良質な番組はcsとかで有料で放送される
その過渡期なのである
映像的な番組作りはやはりなかなかドラマでも個人的にはできない、それは相当な金がかかるからそういうものはまだ放送として価値がある
ただ大河テレビとか飽きたとなる
要するに本当に情報社会となり情報の戦国時代になったのである
百家争鳴になったのである、今は私は一日二回長い文を書いている
これも読む方となると疲れると思う、でも私の仕事がこうして書き続けることなのであるつまり書くことによりただ受け身になるだけでなくアウトプットすることによって理解を深めているのである
だから何でも情報を受け流すだけでなくその感想でも自分なり書いたり評価するとより理解が深まるのである
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