2018年12月29日

駅と高速のSAの違い (駅は会い別れる公共の場)


駅と高速のSAの違い

(駅は会い別れる公共の場
                            

今日も見ゆ保線の人や年暮れぬ

三人ほど帰省を待ちぬ年末の駅や我もともに待ちにけるかな


今日は年末だから三人ほど帰省の人をまっている人がいた
一人は浮田であり離れていても歩いてきた?
車で来たのではない、それでタクシーで帰るために呼んだ
携帯ももっていない、でも待っている時間に来なかった
それでタクシーにのって家に帰った

帰省の人は今頃だったらある、それで自分も一緒になり待っていたとなる
前にもそうして迎えに来たり送ったする人がいて一緒に見送ったりもした
それが無人駅だとしやすいのである、なぜなら駅員がいないから出入りが自由だからである
ヨ−ロッパの鉄道はみんなホームに自由に出入りできる
自転車も載せる車両があり直接ホームにでてそのつま載せることができる
あれができたら自転車で遠くに行くのも楽である
折りたたんだり袋に入れることもないからである
それが日本でできないのが残念なのである

ここで高速のSAと駅の違いに気づいた
高速のSAは人を出迎えたり送ったりしない
なぜなのか?
車だと直接家まで行ってしまうからである
出会いと別れは家にある、車はこうして閉ざされた他者を排除するものにもなる

なぜなら駅だと一緒に見送ったり出迎えたりできるが車は家に直接行くことができるからそういうことがないということに気づいた
この差も大きい、駅というのはそれだけ人間の出会いとか別れを公共的な場で演出していたのである

ただ私は駅をそんなふうに見ていなかった
機能的なものとして見ていただけである
でも何か家族が死んで待っている人もいなくなった、それで今度は自分自身が迎えたり見送ったりしているともなる
でも別にそういう人もいないのである

ともかく駅が鉄道がなぜ車と違うのか?それは鉄道は長い歴史のなかで人間の出会いとか別れとかまた何か人間的なものが情でもしみこんでいるからである
それが車との大きな違いだったのである
だから鉄道がなくなるということはそうして人間の出会いや別れなど情がしみこんだ場がなくなるから淋しいとなる
どうしてもバスとか車とかにはそういうものを感じないからである

今日も保線の人たちがきていた、毎日のように見かける、それが仕事なのである
駅にかかわったというのも何か不思議である
それはただ無人駅になったから偶然にそうなったのである
そして毎日寄るにしても30分いればいい方である
だから後は自分の創作とかプログとか本を読むとかできるのである
もう一時間だと長くなる
なぜなら家事に時間をとられるからである、全部自分一人でしているからである
だから暇なく何かをしているのが強いられているのが自分である
これだけの仕事をこなすのは大変なのことである
それも介護をしなくていいからやれたとなる


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