2018年12月20日

本の読み方 (本は長すぎるから抜粋して読むー自分の課題を解決するために読む))


本の読み方

(本は長すぎるから抜粋して読むー自分の課題を解決するために読む))


ブログを例に見ていきたいのですが、引用してきた文章がメインで、自分の文章がほとんどないという場合、もはや「引用」とはいえないと評価されてもやむをえないですよね。ちゃんと自分のコンテンツをより分かり易くするためとか、自分の意見を補足するために「引用」は使いましょうということです

これは著作権のルールだけど別に本を読むときもそうなのである
本を読むということは自分の文脈で読む、自分自身のテーマがあり課題がありそのために本を利用するという時本を読んだことになる
相手の心を読むというときもそうである、私は本をずいぶん買って読んだと思っていたがそうではなかった、確かに赤線とかで大事な所に線を引いているのだが読んでいるのだがそれを忘れていた、ええ、こんな文を読んでいたのとなる
本を読んだということは自分なりに解釈して自分なりのテーマがありそれで自分なりの見解を出すために読むのである

そしたて本の問題は長すぎることである、一冊の本でも厚い、内容があると厚くなる
すると全部を把握することはむずかしくなる
厚い本は読みにくいし全体を理解することがむずかしくなる
若い内はただ自分なりに読んでいるのではない、いくら内容があっても読めないのであるだから読んだと思っていても読んでいなかったのである
今なら本の要旨を読むことができる、これはだいたいこういうことを言っているのだとさーと読んでかる、そして重要な部分を抜粋して引用して自分なりの論を展開できるのである

そして本の問題は長いことなのである、長い本は長い本をはよみこなすことが容易ではない、一冊の本を読みこなすことが時間的にも労力的にも負担になるのである
だから本として書くということは容易ではない、まとめることが容易ではない
なぜこんなに自分自身がインタ−ネットとかプログで書けたかというとその日その日のことを書いているからである
今日の分を書くから書ける、でもこれが本にしようとするとめんどうになるのである
インタ−ネットだともともと長い文は嫌われていた
レスポンスが主な会話形式だからそうなった、そしてもともと中味のあることを会話してはいない、パソコン通信の時は相手に通じているかどうかもわからないからまず通じたかどうか確かめることが優先されたからそうなった

でも次にインタ−ネットだといくらでも書ける時代になった、でも長すぎる文は嫌われるそれで意外と学者が出しているpdfの小論文は役にたつ、自分のテーマを追求するとき役に立つ、それはやはり専門家が書いているからである
そしてプログだとそれなりの長さで書けるから内容の濃いものも出せるのである
それも日々書くということでそれも積もり積もって膨大な量となるのである
でもそれを本にしようとするとめんどうになる
ただ本は内容が濃いものが多いから参考になる、でも自ら本にしようとすると長いからめんどうになるのである

そして自分の不利だったのはそもそも自分の追求している本が手に入らなかったことだった、地理と歴史に興味がある時、海と陸をテーマにした本があった、それをテーマにした本が結構でているから有名なの一冊高いけど今回は買った
例えば世界史でもなぜヨ−ロッパが興隆したのか世界の覇権国になったのか?
こういうテーマをもつ、すると古代ではペルシャがギリシャに負けたのは海での戦いで船での戦いで敗れた、ペルシャ帝国は陸の帝国だった
そしてロシアも陸の帝国であり常に海に出る港を求めていた
それが黒海でありそこでクリミヤが大事となり今でもヨ−ロッパ勢と争っている
シリアでもそこが地中海の港であり海に出るところでそこを手放したくないということでシリアの内戦とかisisとの戦いにもかかわってアメリカとも争うとなる

ヨ−ロッパが覇権国になったのはポルトガルでもスペインでもイギリスでも海に出たからである、フランスとドイツは陸の帝国だった、中国も陸の帝国でありだからこそ東シナ海を制覇して港を軍事基地を建設する
それでアメリカと対決するようになる、海を制覇しないと覇権国にはなれないからであるそれは歴史が語っているのである
こういうテーマをもち興味があるからその方面の本を読もうとする
するとその時本を読んだことになるのである                                        

明確な目的意識がありそうなると本は血肉となる、ただなんとなくだらだら読んでいても読んだとはならなかったのである
そして無駄な本を読みすぎたということもある、熱心に読むべき本を読んでいなかった
本というのはいつの時代でも量が多かったのである

いづれにしろ本を整理するだけで多すぎるからめんどうになる、本はがさばるから困る
二階に書斎があり置いたが家が傾くとまでなっていた
本はそれだけ重いのである、書棚から本が落ちて死んだ人も外国でいたとかある
確かに地震で重い本が落ちてあたったらそうなる
本の問題はがさばり重いことなのである、インタ−ネットのように電子化するといくらでも貯蔵できる
ただ本には本の良さがある、読みやすいとか記憶に残るとかはある
インタ−ネットは調べるのにはいいのである

ともかく本だけではない、自分の物を自分のオリジナルをもたないと本をも読めない
それは絵画でもそうである、鑑賞はできるにしても自分で絵を描けるのと描けないのでは雲泥の差が生まれる、それで自分で抽象画をパソコンのソフトで作った時自分で感動したことでもわかる、全く絵を描けないのに描けたという感動である
これが絵と言えるかどうかはわからないにしてもそうだった
それは音楽でも楽器を一つでも演奏できるのとできないのではまた音楽に親しむことで雲泥の差が生まれる、一時電子楽器で試してみてそれも感動したことでもわかる
全く自分は音痴であり音楽に興味があるとしても聞くだけだったからである

だから本でもこれと同じなのである、ただ何か読む方で積極的に働きかけてそこから自分なりの論を展開してゆくために読むとき活きてくるのである
そうてないと何ら読んだことにならなかったのである


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