冬椿(津波の後の家の跡の祠)
(年末で整理に追われるが整理できない)
冬椿木立囲みて祠かな
冬の森静まり亡き冬の鳥
大石に冬日さし家の落ち着きぬ
年の暮様々な整理に追わるかな
朝静か庭に一二枚木の葉散る石の黙して下の部屋かな
津波跡祠残りて家の跡木立囲みて冬のめぐりぬ
津波跡住む人なしも椿咲く枯野の中の家の跡かな
枯野に木立が残り祠があり椿が咲いていた
ここに家があったということをなお示している
津波も8年になろうとすると何か残っているものも少なくなる
ここだげは依然として残っている
それもなんとかここに家があったということを示している
大石に冬の日がさすとき家も落ち着くとはなる
庭がいい大きな石がある家はやはり落ち着く
石もいつも見ている石とたまにみる石とは違う
石と人間は一体化してくる
家事でもやることが多い、家事に凝ったらそれだけで時間がとられる、特に料理にこったらそれだけで時間がとられる、それも無駄ではないが料理は時間がかかりすぎる
人間はそんなにいろいろなことに頭がまわらない
料理するとなるとその料理の材料をそろえるだけで大変になる
そうすると他のことができなくなるのだ
今は家事は全部自分一人でしている、すると家事だけで時間がかなりとられる
ただ外食はこの辺ではあきる、決まりきっているからあきる
それでテレビで毎日献立の違うカレーをだしているとか料理が毎日違うものを出す
それなら飽きないので繁盛している、でも出す方になるとさらに手間と苦労になる
本の整理にも苦労している、本は読む気力がないとなっていたが何か参考にするためにかえって前より買っている、そしてまた本がたまって困るとなる
本が古本でも安いから買う、高いのほとんど買わない、でも本というのは読んだのだが読んでいない、本を読みこなせていないのである
本を読むということは対話でありあくまでも自分自身のものをもっていてそれで思想なり創作を深めてゆくものだった
ただ一方的に読んでいても何も身についていなかったのである
だから本を読むということは相当な実力がないと読めない
今は本を評価できる、だから評論に向いていると思った
つまり本が何を語るのか作家が何を語りたいのか要旨をつかめるからである
とにかく物をもちすぎるとこれも困る、整理するものが多すぎる
着るものでもそうだし本でもそうだし道具類でもそうだしいろいろありすぎるとどこに何があるかもわからなくなる
そしてインタ−ネットのホームページも整理できない、プログも整理したいのだができない
意外とここがめんどうだと思った、膨大な量になっているから整理自体が大きな仕事になってしまったのである
でも何かインタ−ネットだと何かでウィルスとか何か突然の故障で消えるということで不安になる
だから本にして整理したいのだがこれもまたさらちにむずかしくなっている
本当に死ぬまで整理が仕事にもなる
いろいなことをしていることでそうなる、そもそも家事を一人でするにもそこから整理なのである
まず買うものが多すぎるからだ、生協に入ったらさらに買うものがふえて整理ができなくなる
それであったものを忘れ腐れせることが良くあるのだ
わかったことは冷蔵庫でも食料でも種類が多いから常に見ている必要があるのだ
それができないから忘れて腐らせたり利用しないままになっていたりする
それは他のことでもいつも目をとめて使っているものは忘れない
でも人間一人でやることには限度があるなと思った
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