2018年12月13日

明治維新で日本だけが工業化できた謎 (識字率の高さとか教育の結果なのか?)


明治維新で日本だけが工業化できた謎

(識字率の高さとか教育の結果なのか?)

明治当初の就学率は男子43%、女子10%と推計するデータもある。さらに、開国以降、日本の輸出を担ったのは生糸であるが、その生産は慶長元和(1596年〜1623年)から正徳享保(1711年〜1740年)のころまでの約100年の間に生産量が4倍増となるなど、問屋制家内工業を主体として定着しており、明治以降、基幹産業として発展する素地ができていた
改正小学校令(1907年)で6年と定められ、そのころまでに小学校への就学率はほぼ100%近くにまで高まった


1902年明治35年116歳
1912年明治45年
1912    大正元年106歳

まず工業化という前に識字率が上がらないことにはどうにもならない、工業化の前提として読み書きができなければできない
その読み書きが江戸時代にすでに寺子屋などがありできる人が多かったという
でも現実は読み書きは侍階級ではできていたが庶民は別である
農民で読み書きできる人は少なかったのではないか?
識字率が高い、読み書きできる、文字があることが文明を作る、だから楔形文字とかエジプトのヒエログリフなどで文字が神聖化されたし中国では漢字が発明されたときも神聖なものにされた、日本が奈良時代に中国から漢字を取り入れたとき唐の文明文化を取り入れて国家を形成した、だから読み書きができることが文明化できる基本になる

明治維新でもそうだった、外国語を訳すとき大和言葉だけでは訳せないのである
新しく入って来た概念を現す言葉を作れないのである
それで漢字で造語したのである、それが中国にも逆輸出されたとなる
つまり漢字にはそれだけ造語能力があるということなのだ
大和言葉にはないのである、新しい概念はカタカナにするほかないからである
それも明治維新に成功した理由だとなる

言葉がなぜ基本になるのかというと技術的なことでも言葉を通じて取り入れることが最初にあるからである、物だけではな言葉を通じて新しいものが入ってくるからである
それで翻訳するのでも日本人は苦労した、杉田玄白らの(解体新書)などがそうである
それはあらゆるものでそうだった、つまり明治維新という時、侍の吉田松陰とか西郷隆盛とかの英雄が話題になるがその底辺でも何か明治維新を成功させるものが働いた
上を改革しても庶民レベルでも何かそれだけの改革をさせるものがなければできないと思うからだ、そういう下地がないとできないからだ

だから何かがその下地としてあったからできたとなる、ただ工業化というとき籠で人を運んでいるようなのを見ていると急速に鉄道になったということの変化は大きかった
最初鉄道が使われたのは人を運ぶというより物資を運ぶことだった、常磐炭田ができて石炭を東京に運ぶために常磐線ができたともなる、それはどこでもそうだった
その後に人を運ぶことが主となったのである
イギリスで産業革命が成功したのはエネルギー源として石炭が豊富にあったからだとされる、そこに技術改革があり成功した、何か下地となるものがあって成功する
何もない所から何も生まれないともなるからだ

だから確かに日本の教育が読み書きができる人が多かったからそれが下地となり明治維新が工業化をいち早くできたというのは大きな原因だということが言える
でも最近わかったことは私の父親が葛尾村から酒屋に丁稚奉公に出て双葉の前の長塚村の新山で働いていたということを書いた
私の父親は良く筆で字を書いていたのである、明治生まれでありどこで字を覚えたのか?どうも学校ではない、それがなぞのだが字を覚える場所はまた寺子屋だけではない、葛尾村に寺子屋があったとは思えないのである

それで最近読んだ本の中に丁稚奉公で字を学んだことが書いてあったので納得した

「相模屋の丁稚たちは店の営業を終えた後、番頭の忠兵衛が師匠役でいわゆる読み書き算盤を教わっているというのです、しかし下女の自分は教えてもらえない、丁稚たちが字を教えてもらっているのをみるとうらやましくてしかたがないとそれを聞いてほろりとしましたね」〈不便でステキな江戸の町ー永井義男)

下女は字を教えてもらえなっかた、丁稚は仕事上字を読み書きできないと仕事にならないから覚えさせられた、私の家には父の通い帳が残っていた
とにかくよく筆で字を書いていたのである、そして死ぬときも最後に記念として将棋盤に私の名前を書いてくれたのである
人間にとってやはり基本は読み書き算盤なのである、それが高等になって算盤が数学とかになってゆく、算盤ができて工業化しえたともなるのだ

この本では当時子守りが普通にいてみんな年長の女性は子守りしていた
それで子守りのために学校に行けないという人を知っている
それで何かその女性は小説を読んで字を覚えたとか言っていた
その女性はまともに学校には行っていないのである
それから明治生まれの人で字を読み書きできない人がいた、その人は人に頼むのだがそれで引け目を感じていた
私の母は生まれだったけど字は書けていたのである
尋常小学校出であったが読み書きソロバンはできていたのである

とにかく日本人は教育熱心だったということは確かだろう、それが工業化に成功した要因だったということもわかる
ただ明治になっても大正になってもみんなが読み書きできていたわけではなかったのである

いづれにしろ明治維新というとき英雄が出たからといってそれだけではとても成しえない社会全般の根本的な改革だからそうなった、それができたことの大きな要因に日本人が読み書きソロバンができたことにあったともなる
そして漢字の役割も大きかった、それは奈良時代と同じである
ただ英語にしても江戸時代にすでにオランダ語ができる人がいたし医学の面でも西洋医学に触れていたから明治維新後も取り入れやすかったということはある、下地があったからである、おそらく江戸時代は何か遅れた社会のように見えてもそうでもなかった
ただどうしても駕籠のようなもので人を運んでいたとかそんなに技術が遅れている国で近代化工業化できたことが不思議に見えるのである
時代劇はリアリティがないということは確かである
子守りの女性が映らないのはありえない、そこらじゅう子守りしていた
それはその役をする女性がやはり子供だからできないとしている
小学生の女の子に赤ん坊をおんぶさせることができないからだという。
時代劇は本当の江戸時代のリアリティを映していないのである

江戸時代を知ることはやはりこれも積み重ねなのである、でもそうした経験がないものは本を読んでもピンとこないのである
私の世代は団塊の世代は子供の時

江戸時代を経験している        

水道もない、井戸水を街内ではもらって生活していたとか、電気は裸電球一つだったとか電気製品は他に一つもないとか燃料は炭だったとか本当に江戸時代だったのである
だからその時の経験は貴重だったなと今では思う
どうしてもあまりにも今は便利すぎてそういう生活がイメージできなくなったからである炭だと暖房しても相当に寒い、エアコンとか電気炬燵とも違うからである
人間は人の話を聞いても戦争のことなど経験した人しかわからない
いくら話を聞いてもその悲惨さを理解できないのである
それはリアルな体験がないからそうなる、江戸時代をイメージするとき一応親とかから昔のことを聞いているからまだ団塊の世代くらいは理解できるのである

oshinnnn111.jpg
子守りしながら学校に行く
ただこの時は教室に入っていない
みんなが学校に行けたわけではなかった

oshinnnn11122.jpg

posted by 老鶯 at 08:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史(相馬郷土史など)
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。
この記事へのトラックバックURL
http://blog.sakura.ne.jp/tb/185189581
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。
※言及リンクのないトラックバックは受信されません。

この記事へのトラックバック