冬の鳩に紅葉、木守柿(平和を感じるこの冬)
我に街に平和もどるや冬の鳩
苦労せし地元の女(ひと)や冬紅葉
老人と駅に語るや冬紅葉
金屏風紅葉の映えて古き壺
赤と黄の紅葉交じりつ映えにしも今日が見ればはや庭に散る
駅前の仕事いそしむ自転車屋今日も見につつ冬に入るかな
鳩というとき平和の象徴である、何か平和がもどった感じになる
それは自分自身も介護とか病気とか惨憺たるものだった
ただ毎日四苦八苦していた、だから余裕がなかった
でもすでに十年が過ぎて何か元の平和がもどったのか?
もう確かに家族は帰ってこない、でもまた自分自身にもここでは我が街でも平和が戻ったのかとなる、ここは避難地区ではなかったからかえって他からの人が増えた
それで駅で良く会うのは外部から来た人たちなのである
それは話しているとすぐわかるからである
それだけ外部からの人が実際は相当増えたということなのだ
原町でも同じである、新地辺りでも増えているのだ
それだけの人が移動して家を建てたりして住んでいるとなる
そして避難区域になった所には帰らないともなっているのである
だからそこには未だに平和ないのである
冬の鳩が駅の上を群れ飛んだ、何かそれが平和を象徴していた
ここでは平和な日がもどったとなる
何か自分自身でも周りでもまるで戦争のような状態だったともなるからだ
家族を失ったことはショックだし色椅子ショックがつづいたが何か平和がもどったという幸福な感じをもった
それは戦争のように焼野原から復興したとき人々も感じた
平和がやってくるんだなとそういう中で感じていたのかもしれない
平和もまたそうして苦しんできたあと一層感じるということがある
ただこの辺は本当に平和が来るのは相当に先の長いものとなる
避難区域はほとんど復興していないからである