2018年12月01日

みちのくの北風と荒野(詩) (みちのくの場の働きは何なのか?)


みちのくの北風と荒野(詩)

(みちのくの場の働きは何なのか?)


ごうごうと北風がまた唸り吹く
木の葉が舞い散る
それは荒野の声だ
みちのくに北風がまた唸り吹く
ごうごうと唸り吹く
その時森の樹々は強く結び合う
巌はさらに威厳まして主となり
みちのくは遠く閉ざされる
みちのくにはなお荒野がある
ごうごう北風がまた唸る
乱雑と騒擾の世に疲れし者よ
都塵を離れて荒野の声を聞け!
聖なる者がここに住む
荒野にこそ神が棲むものなれば・・・・

急にごうごうと朝から北風が唸り吹いた、それはいつも聞いているものだが年年に違って聞こえるのも不思議である
何か見るにしても同じものを見ていても違って見える
年齢によって心境が変わるからだともなる
私の場合は家族がみんな死んで無常をひしひしと感じたこともあり北風は一段とすさまじいものに聞こえた

風土という時、風と土なのである
風の感じ方はその土地土地によって違う、これはなかなか旅してもわからないのだ
まず現代の旅だと車とか電車でも風は感じないからである
風がどういうふうに吹いてくるのか感じることがむずかしいのだ
ここでは海から吹いてくる東風と山から吹いてくる西風と北風に分かれる、でも会津のような山に囲まれたところではどういう風が吹くのかわからないのである

例えばみちのくというとき一つの大きな地域であり今でもそうである、ここには荒野がまだある、みちのくとは日本では辺境であったから荒野がある
ただ仙台辺りになると繁華になるから荒野を感じなくなる
荒野とか自然がないところに宗教もなかった
だから東京とには宗教はありえない、カルト宗教とかなるとそれは宗教ではない、労働組合と経済活動団体である、宗教の神秘性とか聖なるものとか皆無である
どろどろとした人間の欲望がそこに噴き出している

宗教がどうして生まれたのか?
釈迦は洞窟にこもり一神教は砂漠で生まれたことを見ればかる
荒野から生まれたのである、モーゼはシナイ山に上り神の啓示を聞いた、山伏とかの山岳宗教だってそうである
何かいかがわしいように見えても自然の中で六根清浄を求めたのである
今の宗教には全くそういうものがない、ただ組合活動であり経済活動であり世俗の欲を増大させている場だから変なのである

みちのくはまだ荒野があり何か日本でも異質な場になっていた
つまり権力闘争とあまり関係しなかった
だからみちのくは常に敗者が逃れて敗者の場所にもなっていた
強力な権力を持ちえなかったのである
だがみちのくという場は荒野がありそこで西では確かに繁栄したが堕落した
宗教の場も金儲けの場になった、観光の場とか堕落した場なのである

日本をみるとやはりみちのくと北海道は異質だと思う
沖縄も外国になるがみちのくと北海道は感覚的に何か自然でも違っている
北海道は空気まで違うと感じる、原自然がある場なのである
だからみちのくと北海道は原生の心を養成する場なのである
ただ経済的には苦しいということがありそこが問題であり原発事故が起きた

それは間違っていた、みちのくという場はそうした場ではない
原発などは誘致すべきではなかった、本来の場は自然の中で荒野の中で野生の声を神の声を聞く場所だったのである
もちろんあまりにも戦前のように貧乏だと精神も醸成されない
ほどほどのところで質素に荒野の声を聞く場所としてあるべきだったのである

結局なぜこれほど人は働かねばならないのか?
それは余分なもの余計なものを作りすぎているのである
そのために人手不足となる、別に食堂とかで働く人がいないとしたら食堂でもあればいいがそんなになくても間に合うということもある
余計なものがありすぎるとそれだけ労働力が必要になる
オリンピックなどでも本来はするべきではない
なぜならそのためにまた人手が必要であり人手不足になるからだ
なんでも経済成長が果たしていいのかどうか?
それも見直される時が来たのである
それは多数の声とはならないからどうにもならないとはなる

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