2008年08月28日

若者がモノを買わなくなったのはなぜ? (老人がモノを買わない、金を使わないのはなぜ)

 

若者がモノを買わなくなったのはなぜ?
(老人がモノを買わない、金を使わないのはなぜ)


●高度成長時代はモノへの欲望の時代
 
戦後何もない焼け野原からはじまった日本は物質的欲望が強かった。食うことさえままならない時代だったからだ。戦前もまともに食える時代ではなかった。庶民がまともに食える時代は戦後の高度成長時代だけだったのだ。江戸時代に何回も飢饉があったのもそのためである。中国でも飢饉がありそれで王朝が交代した。今でも世界ではまともに食える国は少ないのだ。つまり世界規模で見ればいつも飢えているのが人間の社会だった。戦後は子供を育てるにもミルクさえまともにない、普通の家族だったら飯台一つくらいしか家にはない、「大鵬、巨人、玉子焼き」というとき玉子焼きが食べられるようになった喜びを表現していた。卵を食うことは戦前でも戦後まもなくでも贅沢なことだった。もちろんバナナなどは高級品で庶民は食べていないし田舎ではそもそもバナナ自体を売っていなかったのだ。流通していなかったのである。そういう時代に育った団塊の世代などは物に対する渇望が強かった。それでテレビだ、洗濯機だ、冷蔵庫だ、車だ、次々に電化製品が出回った時、それを買うことが生きがいとなったのだ。マイホ−ムもそうだった。物を手に入れることが働く動機だったしまた月給も毎年うなぎのぼりにあがったからこれらのものを次々に買うことができた。それが高度成長時代だった。
 
●情報化時代の欲望とは
 
今なぜ物を買わないのか、単純に若者に金がないというのも第一にある。インタ−ネットに消費されている。娯楽もインタ−ネットになり旅行に行かないとかなるのもそうだという。消費の分野として最初に映画があり次にテレビがあり次にインタ−ネットがでてきた。それと同時にテレビ番組を記録するレコダ−が売れた。これらは情報を得る道具である。テレビにはじまり情報を得るための道具が変わったのである。映画でニュ−スを見ていた時代もあったのだ。動画でニュ−スを見るのは最初映画館だったのである。なぜ若者がインタ−ネットに時間をさくのか、それはインタ−ネットには活字の情報から巷の噂話から低俗なものから高級な文化的なものでも動画でもエロでも写真でもあらゆるものが網羅されているからインタ−ネットに時間をさくようになった。人間の特性として個々が情報の媒体でありインタ−ネットはまさにそうなった。プログのように膨大な情報が個々人から発信されているのだ。人間は情報を狩りする、インタ−ネットはまさに情報を狩りして歩く時代である。情報を狩りするというとき受動的ではない、積極的に情報を求めて狩りしてゆく、キ-ワ-ド検索はまさに情報を狩りするために不可欠なのである。キ-ワ-ド検索はただ一方的にマスメデアに与えられるだけの情報ではない、自分に合った情報を探索する狩りすることなのである。そこがインタ−ネット時代の情報探索の特徴である。みんなが情報の狩人はになっているのだ。情報化時代は何か物がほしいというのではない、情報がほしいのである。情報は今までも新聞であれ本であれテレビであれ提供されてきた。インタ−ネットの情報化時代の特徴は個々人が欲している情報を狩りする時代なのである。また様々な分野の膨大な情報のデ−タ−ベ−ス化が計られる時代である。そのデ−タ−ベ−ス化はインタ−ネットで全国レベルでも一地域でもできる。郷土史関係で私も地域のデ−タ−ベ−ス化を計っているようにインタ−ネットはデ−タ−ベ−ス化に向いているのだ。
 
●モノよりも人間的サ−ビスに価値が出る時代

 

ホント金使わねーから、札束がただの紙切れに見えて困る。
金で買えるモノに欲しいモノって無いよね 
 
老人は金があっても消費しないとか良くいわれる、もっと金を使いという、実際そうである。では老人がほしいものは何なのか?これは今やモノではないのだ。老人が欲しいのは人間的サ−ビスなのだ。老人は単にモノを買うというだけではない、心温まる人間的サ−ビスが欲しいのである。何か買いに言って「おばあちゃん 体の調子どう」「足が弱くなったけどなんとかまだ歩けるからいいわ」とか近くの店屋に買いに来たらこんな気遣いを店屋の人がしてくれたらうれしいだろう。そういう近くの店屋はほとんど消えた。代わってス−パ−になったのだがこれは老人にとって遠いのである。自転車にものれない老人が多いのだ。ス−パ−では老人の健康を気づかってくれる店員はいない、ただ商品を買う場でしかない、そこに人間的なサ−ビスがないのだ。その分安ければいいということしかないのだ。でも高齢化社会はそれだけではモノは売れないかもしれない、モノだけを求めるだけではない、老人は人間的サ−ビスを求めているからだ。こういうことは金にならないし注目されていなかった。モノを作りモノを売ればいいというのことしかなかった。モノが不足しているときモノへの欲望が強いときはそれで良かったのである。ところがモノから人間的サ−ビスの時代になるとモノへの価値より人間的なサ−ビスの価値が高まる。ただこれは簡単に市場的に価格が決められないのだ。そして簡単に買うことも売ることもできないめんどうなものだった。
 
●人間的サ−ビスは簡単に売り買いできないのが問題
 
自分自身介護で困って手伝ってもらういた金は払うからと思ってもそれは簡単にモノのように買うことはできない、何かモノの部品のように買うことはできない、家庭で何かしてもらうとなるとサ−ビスを受けるとなるといかにむずかしいか、ホ−ムヘルパ−が家庭に入りうまくいかなのはそのためである。台所用品を買うようにはいかない、金だけ払っても家庭で手伝ってもらうとなるとそれだけでもうまくいかない、日ごろから親密な関係であればいいがそれもないとするとモノのように買うことができないのが介護のサ−ビス問題だったのである。でも今老人に需要があるのはモノだけではない、それにともなう人間的サ−ビスなのである。それはなかなか金に換算できない性質のものであるから売るにも買うにもうまくいかない、だから介護の時代、介護士などは人間的サ−ビスが売りなのだからもっと報酬が高くてもいいはずである。認知症で困っている人は認知症の介護をしてくれる人は絶対的に不足しているとか医者は問診もできないとか不満を言っている。認知症の介護のプロなら高給取りになれるというのが今の時代のサ−ビスであり金が払われる場なのだがそうなっていない、その過渡期でそうなっているのか、金の使われる払われる価値が変わったのだから変わるべきなのに需要に答えていないから金が使われないということもあるのだ。看護師の待遇だけは良くなり病院で奪い合い高給取りになることが時代として見えてきたが他はまだ人間的サ−ビスへの需要があっても答えられていないから金が使われていないと見えるのだ。


愛するもの失う悲しみの大きさ(人間はモノで代替できない)
http://musubu.sblo.jp/article/20792247.html

 

文明は人間を幸福にしなかった(増えるばかりの労働量で酷使される人間)
NHKの「冬 小さな旅」新年をよぶ 恵みのとちもち〜山形県・鶴岡市行沢〜」を見て


http://musubu.sblo.jp/article/18497902.html

posted by 老鶯 at 21:30| Comment(2) | TrackBack(0) | 時事問題の深層
この記事へのコメント
初めまして「言葉の寄木細工」の祐山と言います。
当地の北陸地方も、少子高齢化が進み、昔の商店街がここ十数年の間に、空き家と空き地ばかりになりました。このままでは我が故郷の町並みも、消滅してしまいそうです。
若者にもっと夢と希望を与えて、活気ある日本にしなければ、国家が崩壊しかねません。
若者に、もっと経済力と、元気を与えてください。・
Posted by 祐山 at 2008年08月31日 16:13
本当に街並みの崩壊は深刻です
老人になると近くが頼りになります
何か方法があるのかとも思いますが
車で近くの漁港から魚売りに来るのは便利です
高いのですが新鮮ですし他にもオカズになるものを売りに来るから便利です
何かそうした新しい商売の知恵が必要になっているのでしょう
高齢化には高齢化社会に適した商売が生れますからそこに商店街の活性化のヒントもあり
実際に実行している街もあるようです
Posted by 老鴬 at 2008年10月19日 17:00
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