冬の日の新地(俳句10句と写真)
宝暦は古い−新地には文禄の碑もあったから伊達藩に属していて古い碑がある
右近清水の広い溜池
冬の日や社を守る古木かな
農家古り古木にさしぬ冬日かな
駅も古り相馬にとまる冬柳
海の青映えて冬田やゆ新地かな
落葉踏み古き碑たずね沼に鴨
枯菊や喫茶店一つ昼の月
枯菊に二両の電車昼の月
蔵一つ扇の紋や木守柿
冬の蝶二羽や新地の小径かな
冬の日や人影まれに新地駅
新地の地形の特徴は海が迫って見えることである、それで手長明神の伝説が生まれた
手の長い巨人が海から貝をとって食べていた
それは貝塚が高台に発見されたことによっている
つまり海から高台になっていて海が迫って見えるのである
だから新地の地形はより海を感じるのである
平地だと海が遠くに感じるし平地からは見えないのである
それで冬田から青い冬の海が見えたのはいかにも新地らしいとなる
それから新地には林が多くその間を自転車で行くのに向いている
ただ新地までは遠いので今度は折り畳み自転車で回ることにした鹿狼山(がろう)山までは坂があるので行けない、でもタクシーで2000円とか言っていた
だから行はタクシーで帰りは自転車で坂を下ればいいとなる
鹿狼山に上れば丸森の方も行きやすくなるなと思った
駅前にアジュールという喫茶店一つあった、そこから眺めた景色も不思議だった
葱畑(ねぎ)畑があり二両の電車が行く、そこで気づかなかったのが昼の月が出ていたのである、そして向こうに墓地が見えた
新地で漁村は全部消失した、そしてあそこの高台の墓地だけが残った
この辺では海老村とかそうであり高台の墓地だけが残ったのである
こ不思議な風景である、そもそもこんなに風景まで変わることが夢のようだとなる
こんな風景を見ていることが信じられないとなる
ただその喫茶店の人は年配の人だった、若い人がしている感じだったが違っていた
それでその墓地のことを言ったら笑っていた
この昼の月をぼんやり見ていてそして墓地のことを言ったら笑っていたことで
津波も昔となりつつあるのかと思った
平和が再びやってきたのかと思った
数年前でも墓地を見て笑っていられないだろう
今でも原発避難区域は小高から浪江と悲惨である、こんなふうにはありえない
俺たちは苦しんでいるんだ、被害者なんだと、お前ら人が苦しんでいるのに物見遊山に来たのかとか何も言われなくてもとがめられる
実際に自分もプログに書いてお前は人の苦しみを見て楽しいかとか言われたからである
そういうつもりでなくてもそこには観光気分では行けないのである
今でもそうなのである、どうししても心苦しくなる
でも新地は津波の被害が確かに大きかったが原発事故の被害はなかった
その差が大きかったのである、新地駅は前より良くなった、それも小さいのに贅沢だなとつ,くづく思った駅前も開発されるから駅前に人が集まる、温泉も出たということも幸運だったのか?何か原発避難区域との差がありすぎた
鹿島でも前より人が増えたし施設とか食堂とかも増えたし新しいホテルまでできた
だから前より良くなった面があるのだ
ただこう感じたのは実は自分自身の心境もある、家族がみんな死んだのだが介護で約十年苦しみ続けた、それから解放されたということもある
もともと私は30年くらい平穏にのんびりくらしていたのである
まさに昼の月だったのである、そういう恵まれた環境にあった
それは一転して家族の介護とか津波や原発事故になったのである
自分自身も病気になり介護しなければならなかった、それでどうしても余裕がなくなったのである
そのことから解放されて前のようにのんびりと昼の月を見るような心境になったともいえる
その喫茶店に一時間くらいじっとしていて何か十年前の気分になった
そして一時間がいた結果、あそこに墓地があるなとか昼の月が出ているときづいたのである、やはり何かその土地のことはやはり過ぎ去るだけではわからない
一か所に定点観測するとその土地のことが記憶される
遠くになると早く早く過ぎ去るから記憶に残らないし見るべきものを見ないのである
新地は散歩するのに自転車で回るのにいい場所である、地形そうさせているのである
今回は俳句にしたがこれを連続すると詩になっていた
俳句とか短歌から詩にすることができる、次はそれを出して見よう
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