2018年11月07日

駅は世代を越えて多様な人が交わる公共的な場所


駅は世代を越えて多様な人が交わる公共的な場所

アイネット

今日駅に来たのは会津に会社があるアイネットである
緊急連絡システムのサービスである
65歳以上だと市の方に相談すると設置できるという
一人暮らし?の老人が増えるからいいとなるのか?
ただ一人暮らしだと何かあった場合、かえって孤独死した方がいいともみた
身寄りがないとか頼る人がないとなるとそのまま死んだ方がいいのである
なぜなら介護状態になったら世話する人がいないのだからかえって苦しむことになるからだ
なんらかもう死ぬ覚悟をしていないとだめだなとはそういう人たちを病院で見てきたから思った、ともかく脳梗塞でも他でも悲惨なのである
一層一挙に死んだ方がいいと思ったからだ


次に来たのは役所の移住推進をする課の若い女性だった
一人は男性はカメラをもって駅舎を写していた
何かここで集まり案内するらしい
鹿島駅は良く鉄道マニアでも写真をとりにくる
明治30年に開業したときと建物自体は変わっていないからである
農家民宿を手伝う女性とかも来ていた、それも若い女性である

移住推進というといつも原町の道の駅にいる
でも何か仕事しているようには見えない、ただいるという感じである
どれだけ移住する人がいるのかわからない
小高では農業する人に13万円を市から支払われている
それでそこで働く人が20人くらいいるとか聞いた
ただその人たちがどういう人なのかはわからない、人数もはっきりしない

いづれにしろ駅は意外といろいろな人がくる、情報が集まる、外部から来る人もいるからだ、広場の役割がある、鹿島では道の駅がないから車で駅に来る人が結構あるのだ
あとはトイレを利用するのである、駅のトイレは市で障害者団体に委託して毎日掃除してもらっているのである

ともかく駅とは公共的な場所だなとつくづく思った
そこはJRの人たち所有するいうものではなく街の人でも外部の人でもみんながかかわる場所だったのである,そして世代的にも子供でも来ることがあるし子守りをするばあちゃんもくるしいろいろな人が来るところだった

今の時代はこうしてあらゆる世代とか男女とか集まる場がない
子供は子供とか子供でも幼稚園とか小学校とか中学校と高校とか世代ごとであり世代を越えて集まる交わることがないのである
老人は老人で隔離されるように施設に入る
それで幼稚園だったとか一緒にしたという施設もあった

かえって昔の村だったら子供老人も若い人も交わる一緒に生活する場だったとなる
現代では人間は世代ごとにとか何か分類されて隔離される感じなのである
多様な人が交わる場所がないのである
駅には確かに広場の役割がある、公共的な場所だったのである

タグ:駅の役割
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