2018年10月30日

我が父の残せしもの (家や土地には歴史が必ずある−老人は語り部になる)


我が父の残せしもの
(家や土地には歴史が必ずある−老人は語り部になる)

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昭和35年となるけどこれを書いてすぐに死んだのである
何か残したいから書いたとなる

我が父の残せしもの

我が父の葛尾村から出て
双葉の新山の酒屋に
丁稚奉公する
その後暖簾分けしてここに住む
良く縁側で煙管を吸いくつろぐ
楽しみは味噌を焼いたもので
酒の肴にして飲む
高度成長時代の贅沢を知らずして死ぬ
最後に言いしことは
サシミを食えるようになったのに食いたくねえ
病気になりで伏してそういい死ぬ
姉のバナナを仙台に行き買うも
物なき時にあえなく死にぬ
我が跡を継ぎてその苦労を偲ぶ
この土地は街にて悪しき土地なりしも
父の苦労して買いしもの
そこに我は住みえしなり
父死して半世紀ははや過ぎぬ
しかし今になりて父を思いぬ
我がここに住めるは父ありし故なりと・・・・

人間の一生をふりかえればどんな一庶民でも何かを残している
それは自分のことだけではない、必ず親がいるから親の一生も受け継いでいるのである
父のことはあまりにも前のことだから思うことがなかった
ただ自分の家族が全部死んだとき意識するようになったのも不思議である
何か人間はかならず老人になると死ぬ頃になるとこうして自分のことならず家のことでも昔をふりかえるものだと思った
もし家族がもっと早く死んで後継いでいたらもっと早く思っていたかもしれない

自分の家の歴史をふりかえると父が買った土地は低い場所にあり悪い土地だった
低いから洪水が二回あり浸水した、それも床上浸水であり小学校の時の台風では屋根の下まで水につかり家が流されたと思った
その後も堤防の決壊があり床上浸水があった
その後河川改修して川が広くなって水害はなくなったのである
その土地にも歴史がありそこがどういう場所か知るべきだとなる

どうもふりかえると父がなぜ字を覚えたのか?
それは酒屋の丁稚奉公して覚えたのかもしれない、丁稚で帳簿など扱うから教えられたとなる、そういう教育機関としても丁稚があったからだ
どうしても葛尾村のような山で明治になってから教える所があったとは思えないからだ
明治生まれとなると字が書けない人がまだいたのである
母は尋常小学校をでて字は書けていた、つまり大正生まれになるとたいがい尋常小学校をでているから字を読めたし書けた、明治生まれだと字を読めないとか書けないとかの人がいた、大正生まれでもまともに学校に行かない人もいた
子守りして小説を読んで覚えたとうか言う人もいる
日本では江戸時代になると寺小屋でみんな字を習ったり覚えたと限らない、そういう人は恵まれていた人なのである

こうして二代くらいでも家には歴史がある、するとその歴史を偲ぶことにより今生きることがどういうことなのかその意味を知る
この辺でも原発事故で避難した人が多いし若い世代は流出して帰らない
それはまだ家でも歴史がありそれがどういうものか認識しないからかもしれない
第一何代も江戸時代からつづく家系がこの辺には普通にある
先祖の土地は売らないというのはその土地の価値を知っているからである
私自身も今住んでいる土地がどうして得られたのか?
そのことをふりかえって父が苦労して買って手に入れたものだということを今になって意識したのである
それは結局家族が全部死んだからそう意識するようになったのである

先祖代々の田を売るなととなり田分け(たわけ)という言葉が生まれた、それは農業が主なときは土地が一番大事だからである、だから田を売るものは田分け(たわけ)となったのである、ともかくこうして歴史は個々人の家にもありそれを知ることでも歴史の重みを知ることになる、人間は歴史的存在なのである
人間はとても何でも一代では作れないようになっている
代々作られてきたものが歴史なのである
先祖を無視して歴史を無視して今の人間もあり得ないという自覚をもつべきなのである
でもこの辺ではそういうことが土地でも放射能に汚染されて捨てられたのである
そのことの意味は後でふりかえり失敗したとかなるかもしれない、その価値あるものを捨てたことを後悔するかもしれない、歴史がそこでは断たれたということが実は大きな損失だったとか自覚させられるかもしれない、何か歴史というのは時間がかなりたたないと認識できない、50年以上とか過ぎて父のことを回顧しているのもそうである
人間は何が大事なのものかその時々懸命に生きていてもわからないのである
ただふりかえると明瞭に見えてくるものがあるのだ、それは時間がたつことによって見えやすくなるのである、一生でもふりかえればあの時はこうだったのかとかわかりやすくなる、あんなことをしなければよかったとかあうすれば良かったとかみんな後悔しているはそのためなのであ

ともかく現実に今は私の家族で残っているのは自分一人なのである
だから自分一人が墓守りになっているのである
あとは誰も守る者がいないのである
そして過去を語り歴史を語るのが自分の勤めでありみんな老人になると語り部になるのである、つまり郷土史とは一人一人の家でもそうだが先祖や自分の一生を語ることなのである
歴史的価値というとき金で計れないものがある、自分の家はもう金銭的には何の価値もない、他でも空き家が膨大に増える
するとそれも金銭的には価値がない、でもそこに思い出とか歴史がありその価値は子供が受け継げば活きてくる
それを自覚するのはその家の子孫だとなるからだ、子孫がいなくなればその歴史の価値をなくなる
だから歴史的価値は必ずしも金銭的なものに換算されたりできない、でも価値あるものだとなる
つまり精神的価値あるものとしての歴史がある、ただ金銭的に換算されるものだけを見るが精神的価値を受け継ぐことも歴史である
だから遺産相続でもめるのはただ金銭的価値だけを見るからである
でも本当の継承者は精神的価値を受け継ぐ人だともなる、それが見逃されているのである
先祖でもその精神的価値が伝えられるなら喜ぶとなるが金銭的なものだけに換算されると生きている時から嫌だとなる
一方でもし残したものが金銭的なものとして換算されるものだけだったらまたそれは金銭に換算されて終わりだとなる
子孫に美田を残さずというとき精神的価値なら残してもいいとはなる
でもそれが半世紀以上過ぎて私が自覚したようになかなか自覚しにくいのである
そこに歴史の価値を知るむずかしさがあったのである

とにかく人が死ぬとどうなるのか?
これにはいろいろ言うけど死んだら灰になるし骨も残らない、すると人間が死ぬと何なるのか何が残るのか?
それは骨でも灰でもない、その人の物語だとなってしまう、だからこそhistory-storyなのである
人間は死ねば個々人であれ家であれ国でも物語として残されるのが歴史である
死んでも歴史の中で人は生きてゆく、だから歴史上の人物になれば死んでも歴史の中で生きてゆく
大方はただ孫くらいまでは語られるがもうわからなくなる
名前くらいは何とか系譜の中に残ったりするがその人となりも不明となる
ただ郷土史というとき明らかに個々人でもそうだが一軒一軒が歴史である
何かかにその家に伝えるものがある、それが郷土史の基本にある
だから一つの家の歴史が失われることは損失ともなる、それが原発事故の避難区域で起きたのである
歴史の継続が断たれる、限界集落などでも廃墟と化した村がある
そこにはお参りもしない社が残されているのである

墓守りや烏とまりて木守神

墓という物体に本当は故人があるわけではない、実際は故人は物語として残る
なぜなら墓だって永遠ではない、もう跡継ぎがいないとか維持できない
そしたらその物体を守り維持できないのである、残るのはその人の物語であり歴史として残るとなる
posted by 天華 at 20:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史(相馬郷土史など)
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