2018年10月05日

オウムは何だったのか? (現代文明から必然的に生まれた−偶像崇拝、科学者の崇拝など)


オウムは何だったのか?

(現代文明から必然的に生まれた−偶像崇拝、科学者の崇拝など)


● 偶像崇拝の危険

●科学技術社会の混乱

●大衆社会の真のエリート不在  


●偶像崇拝の危険

オウムとは何だったのか?これも一つの答えはないだろう
宗教の基本には偶像崇拝の否定がある、これがユダヤ教から発したキリスト教でもイスラム教でも最大の戒めである
偶像崇拝の否定から宗教がはじまった、人間はそれまであらゆるものを万物を神として拝んでいたのである、それは眼に見えるものを拝んでいた
目に見えるものは崇拝の対象になりやすい、すると自然の万物が神になる
木でも石でも山でもあらゆるものが神になる、動物も神になる
それはエジプトであらゆるものが神になったこととにている
それあアジアのアニミズム信仰ともにている、そして人間自体も神となる
エジプトでは神々に満ちていたからである
そういう偶像に満ちた世界からの脱出として出エジプトがあったともなる
出エジプトの前からも聖書では偶像との闘いがっあった
偶像信仰との戦いがそせそも宗教の始まりだったのである
神とは何か?その答えは偶像の否定から起きた、神とは形になるもの目に見えないものとして聖書で偶像の戦いのなかで示したのである

偶像礼拝とは

金の像を拝まないと王から殺される危機だったが守り通した、それだけ偶像の力は今でも強い、信仰するに至っては必ず偶像崇拝に陥る
その偶像を否定しないかぎり信仰には至らない、つまり信仰とは今でも偶像崇拝との戦いなのである、それだけ偶像の力が強大だからである
仏教では仏像から日蓮宗でも真宗でも題目を唱えることになったのは進歩だったのである偶像の否定として仏像を拝むことをしなくなったからである
偶像は依然として強力である、例えば師は本当に偶像になりやすいのである
師は必要でもそれが偶像として崇拝するようになるとき危険なものになる
師の危険性はそこにある、未熟な若者だと余計にそうした師を異常に崇拝するようになるからだ、それを神としてしまうのである

仏に逢うては仏を殺せ。祖に逢うては祖を殺せ。羅漢に逢うては羅漢を殺せ。父母に逢うては父母を殺せ。
親眷に逢うては親眷殺せ。始めて解脱を得ん。

師というのは偶像化されやすいのである、つまり解脱とか悟りでもここまでいかないとない、命がけで偶像を否定しないとないのである
何故なら必ず偶像崇拝になり偶像がたちはだかることになるからだ
オウムの麻原も偶像化されているし創価でも池田大作がそうだしまた幸福の科学の会長もそうだしたいがい新興宗教の教祖は偶像化されているからだ
その偶像に何百万人が礼拝している、とすると偶像を否定することは何百万人の人たちの反感をかい攻撃されることになるのだ、だから宗教は奴隷化されふすいのである

あなたの救の喜びをわたしに返し、
  自由の霊をもって、わたしをささえてください(ダビデ)

あなたがたは再び恐れをいだかせる奴隷の霊を受けたのではなく、子たる身分を授ける霊を受けたのである。その霊によって、わたしたちは「アバ、父よ」と呼ぶのである。
(ローマ人の手紙)

自由の霊というとき集団組織に属しているものは奴隷の霊が与えられている
だからカルト宗教団体となり奴隷の霊を与えられているのである
なぜあれほど会員獲得に励んでいるのか?奴隷の霊を与えるためだとなる
それから地獄の霊を与えるためだともなる、カルト宗教団体では恐れと地獄を説くからである、それで脱会できなくなる、罰があたるとかを本気で信じているからである
それがまさに奴隷の霊を与えられたことでありその呪縛から逃れられないのである
そうしていれば一票を確実に獲得できるから選挙では力を発揮するとなる
つまり集団組織に属している宗教は信者は奴隷なのである
それを否定することはすでに社会から攻撃を受ける、それは社会そのものになってしまうからである、創価などを批判したらマスコミでもしない、権力をもっているからできないのである、そういう人は社会から排斥されることでもわかる

●科学社会の混乱

それから現代を特徴づけているのが科学が宗教となり信仰となっていることである
現代ではもう奇跡はない、奇跡は科学がもたらすし実益をもたらすから科学信仰になる
カルト宗教団体でもそこに医者がいたり科学者がいたりすると信用されるのである
今一番尊敬され崇められているのは医者であるからだ
あそこの団体には医者とか科学者とかがいるとなれば庶民でも一目おくのである
そもそも宗教が一般化したのは病気の治癒のためである
会津であれほど宗教が古代から入ってきたのは病気の治癒のためでありなぜ法印とかが必ず山伏が地域に小さな村でも一人とかいたのか?
それは病気の治癒のためだったのである、またなぜ地蔵が多いのか?
それは様々な病気のとき祈るためである、腰が悪いとか目が悪いとかあらゆる病気がありそれに効く地蔵があり祈っていたのである
そして村の中心には必ず薬師堂があったことでもいかに病気に苦しんでいたかわかる
人間の最大の問題は病気なのである、今でもそれは変わりないから医者が神様になってしまうのである

そして現代は科学の時代であり科学者を無視してありえないのである
科学技術者が神様になる社会である、だからこそオウムが理系の優秀な学生を虜にして間違った道に踏み入ったのである
その原因が偶像崇拝にあった、それと科学が結びついたことになったのは時代を反映していたのである、現代文明はそもそも複雑怪奇でありどうしても迷路の中に入ってゆく
何も指標がなくなった、あるのとはカルト宗教団体くらいしかない、そこでは救済を説くがカルトなのであり道を説くとかは全くない、会員を増やして勢力をましてこの世で力をもつことである、そして外国の勢力が加担して政治的なものとして利用される
キリスト教会でももともと宣教師が入った所はそうである
今では韓国系統の宗教団体は統一教会などがそうである
そういうものを否定したのが内村鑑三の無教会などだった、外国の宣教師などを拒否していたからである
そしてそういう独立系統のキリスト教は日本の伝統を重んじていたのである
内村鑑三は武士道を基にしたキリスト教を唱えたし手島郁郎は良くわからないにしても神道的キリスト教ともなっていた、日本の伝統を重んじたキリスト教となっていた
そこに外国の勢力が加担しないということがあった

●大衆社会の中での真のエリート不在

現代とは何か?江戸時代と比べると江戸時代は侍がいて指導する社会であり庶民は責任はない社会である、庶民はまず政治に口を出せないからだ
その代わり責任もないのである、侍はその代わり大きな責任を課せられていた
それで責任をとるものとして切腹させられたのである
それで庶民は侍になりたくなかったのである、そういうことを見ているからそうなった
責任をとる人は明確だったのである

現代とは民主主義になればみんな責任があり何かあっても誰も責任をとらない時代であるそのことを原発事故の責任で問うものになった
政府でも官僚でも東電でも科学者(御用学者)でもマスコミでも責任があったが責任はとらない、それはなぜなのか?。
原発を作ることは国民の賛成が支持があってしたこととなるからである
原発を作ることは国民に選挙で選ばれた人が政治家が率先してしたから何事民主主義社会では一票をもった人に権利が与えられているのだからその一票を投じた人が選んだ人に責任があるとはならないのである、選んだ人が悪いとなるからだ
だから政治家を批判したとしても選んだ人が悪いとかならずなるからである
ただ一票だとそれほど力にはならない、それで投票でも半分くらいしか行かないのであるそうすると国民が権利を放棄しているのだから民主主義は成り立たないともなる

そして現代で力をもったのもはマスコミのように大衆を操作するものである
娯楽を提供して大衆を操作する、カルト教団のように芸能人を利用して操作する
マスコミ自体がそうして愚かな大衆を操作するものとしてあると自覚している
愚かな大衆はマスコミに操作されるべきものだとして真実は報道されない、ただ大衆は操作されるべきものとしてある
だからこそ原発事故でもマスコミは電事連から莫大な宣伝費をもらっていた
権力と一体化してうまい汁を吸っていたとなるのだ
マスコミが現代のエリートであり指導者となっていたのである
それが大きな現代社会の堕落なのである、そしてテレビだと六局しか報道できなかったことでもそうである、その権利はあくまでも民主主義を促進させる正しい情報を与えるものとして権利が与えられたのだがその責任は果たさなかった
権力と一体化して利益を得ることしかなかったのである

いづれにしろ現代は真のエリートも地の塩もいない、指導する人はいない社会である
その中でアウトサイダーとなるような人がいるがそれは異常なものとして社会の異端となる、社会には受け入れられないのである。
そういう混乱の中で優秀な若者でも迷路の中にまよいこむ、それがオウム事件として現れたとなる
やはり社会には地の塩となるべき指導層が必要なのだが現代では失った
またそうした指導層でも堕落する、ただ利益だけを求めるものとなる
でも民主主義は愚民政治化してしまう、大衆は別に高邁なものは求めないからである

第一宗教でも高邁なものを求めたのだがカルトとなりただ御利益を求めるとてって俗化した、それは資本主義が修道院からはじまり節制とか他者への愛の実践としてはじまったのがただ強欲資本主義になったのとにているのだ
結局世俗化して堕落する、現代文明はそうしていくら科学技術が進歩しても精神的には荒廃して堕落したのである
そして異常に科学者が技術者がもちあげられて神のようになった社会なのである
そこにオウムが生まれ幸福の科学でも生まれる下地があった
科学ぬきではありえない社会だからである
科学が万能であり人間の望みを欲望をかなえてくれるものとしてあるからだ
しかし科学技術が何でもかなえてくれるかとなるとならない、今回のように原発事故となり挫折して終わるのである


posted by 老鶯 at 11:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。
この記事へのトラックバックURL
http://blog.sakura.ne.jp/tb/184599191
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。
※言及リンクのないトラックバックは受信されません。

この記事へのトラックバック