2018年10月03日

沖縄の地政学(原発事故周辺との相関関係)


沖縄の地政学(原発事故周辺との相関関係)
  
「沖縄の貧困」は学歴社会と暴力が生み出した

「松山には離島も含めた沖縄県全体から、学歴が低かったり、シングルマザーだったり、経済的に困る女性が集まっている。いろんな風俗がある東京とは、事情は全然違う。朝まで普通に営業しているし、客引きの規制はないし、店は未成年とか平気で雇用する。違法だらけ

沖縄と原発事故があったこの辺がにているということを書いた
ただ本当に地元の問題は外から見るとわかりにくいのである
沖縄でわかりやすいのは日本で一番所得低い地域なことである
それは原発や発電所銀座とかなった浜通りより極端である
浜通りでも双葉とか大熊とかはもともと相馬藩でも僻地であり磐城との境目でありもともと森とか野になっていたが明治以降開墾された場なのである

沖縄の歴史はNHKで放送していたが一時は中国の明の支配下にあり日本との外交交渉で苦心したことが放送された、明をたてなければならないしまた日本もないがしろにできない、その時秀吉が明を目指して朝鮮征伐に向かった時だったのである
それが沖縄にも影響していたのである
何かそれは日本の国際関係とにていた、最近中国が勃興してアメリカと対立するとその板挟みにあうからである、どちらもたてる外交になるから沖縄とにている
ただそうして悩んでいる時薩摩に征服されてしまった
琉球王国はそれだけの軍事力がなかったのである、城(グスク)とかは薩摩に征服する前からあり高度な技術であり琉球の群雄割拠時代のものだったのである
ただ平和の時代になって戦国時代の日本の薩摩の兵には対抗できなかったのである

沖縄は戦争の時四分の一が死んだというときそのことも日本であって日本を恨むとういことになった、だから中央政府と沖縄の対立は歴史的なものであり複雑である
地政学的には本土とは隔絶して遠いことである、北海道より遠い地域でありさらに辺野古となると那覇から遠い山原の入口であり出口である
要するに辺野古の先は山原(やんばる)でありジャングルが残っているのである
その基地になる所で私は自転車で行きテントを張り一夜過ごしたことがある

そこは那覇からも相当に遠い隔絶された場になっていた
そこでの生活は水道もないとか本当に未だに未開の地域だともなる
そこで基地ができるというとき単に簡単に反対とはならない、それはこの辺で原発が誘致されたのとにている、反対運動している人がほとんど左の外から来た運動家であり
地元ではみんて反対ではないし複雑なのである
外から来た運動家が地元の店で買ってくれないというとき運動家が金がないからだというのもその事情を知らないからそうなる
ただ辺野古はこの辺より未開の地であり極端な僻地なのである
いくら双葉や大熊が僻地だチベットだとかいう人がいたがそこは極端に僻地なのである

辺野古寄り旅人遠く去りにけり山原の森に風の鳴るかな

山原のジャングルの風の音を聞いているような場所なのだ、ただアメリカ軍のヘリコプターの音がしていたから基地になれば騒音で煩い地域になる
ただ基地ができればあのような僻地だから経済的には相当に潤うことになる
この辺では原発ができて原発長者が船主などに生まれたようになる
富岡町長の津波に流された5億円の金庫のようにそういう人が生まれることは確かであるあそこではどんなことしても豊かにはなりえないだろう

原発が建てられる所でも経済的問題でそうなる、核廃棄物の最終処分地の六ヶ所村もそうなる、そこでは経済的には相当に潤っているからである
そこも辺野古と似ている,辺野古はもっと僻地である

越前人のことを若狭の人間は「エッチャモン」というなぜシモなのかというと上方である京都を中心にすると若狭より越前は下方にあるから

背後の山が海に落ち込むような若狭地方には広大な耕地もなく繊維産業や眼鏡産業が発達した越前地方の豊かな経済力には到底太刀打ちできなかったことが原発事誘致の背景としてあった
(季刊東北学−ハナドリとコウナゴダカリ)

外から見るとまず若狭と越前の区別はしにくい、言葉も違っているから土地の人は明らかに区別してわかるのである、そして戦後無理やりにそうした地域の事情を考慮しないで
廃藩置県で県単位にしたからおかしなことになったのである
つまり歴史とが文化を考慮しないで強引に線引きしたからである
それは明治以降はその土地の歴史とか文化を地理を考慮しない県単位の行政になったからである 

沖縄の旅では那覇でも国際通りの近くでもバラックのようなバーがありそこに島の名が記されていた、那覇に歓楽街がありその島々から仕事を求めて女性がくる、そこには芭蕉の木があるのも沖縄らしい、つまり那覇の中心街でもそうした何か鄙びた感じがする所がありその近くの宿に泊まったということも不思議だった

月光り露店を出すや沖縄の国際通りを我も歩みぬ

芭蕉の木路地裏にありや那覇なれど島の名記す小屋の飲み屋

サンシンのいづこに今日もひびくかな月影さしぬ沖縄の家

沖縄と北海道は異国である、時間の感覚は沖縄だと遅れる、サンシンのびびきものどかである、北海道も苫小牧に上陸すると空気まで違っている、そこで心まで解放されて広くなる、日本は縦に長く沖縄は南国であり北海道は北国なるから多様なのである
沖縄は南の島になるし北海道で北方のノルウェーとかとにた厳しい冬の姿を見る
特に沖縄はもともと中国の支配下にあったりして気候も南国そのものなのだから日本は旅するには恵まれた土地だったのである
今何か異質なものを求めるのはむずかしい、どこでも文明化して一様化しているからである

沖縄の魅力は近代化していないということにもある、それは地元に暮らす人にとってはいいものではないかもしれないが何か江戸時代にもどったような感覚になるとすればただ観光するにはいいとなる
時間の感覚がやはり遅くなるということは文明生活に都会の生活に疲れた人にとっては癒しの場になる
それは日本の本土から隔絶していたからそうなったのである,ただそこでも基地の問題とか起きたのは地政学として考察する必要がある、つまり辺野古という地域でもどういう場所か知らないと地理を知らないと実感として知りえないのである
それは政治的問題でもなんでもそうである、地理があらゆることの前提してありそれを知らないと国際問題でも国内問題でもわからないのである。

posted by 老鶯 at 21:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層
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