2018年09月30日

日本の地方の自治体の依存体質(原発事故の原因) (日本では自治体は市民共同体という意識が育っていない)

日本の地方の自治体の依存体質(原発事故の原因)

(日本では自治体は市民共同体という意識が育っていない)


ほとんどの先進諸国には、交付金制度に類似した財源調整制度があります。皮肉なことに、アメリカにはありません。そこでデトロイト市の破産が起こるわけです。

ただしアメリカの自治体は、警察、消防、都市計画などが主な仕事で、日本のように市民生活全体をカバーしているわけではありません。だから破産しても、パトカーが減ったり、街灯が点灯しない程度で済むわけです。

地方に原発を作ってしまえば、その地方は原発の補助金べったりになりますから、補助金を切られるとボス猿以下、生活が困窮してしまうので、何が何でも「お上」の言う事を聞かないといけない。例えその近隣地域の市民、市長が原発が危ないから止めてくれと言っても、

「いやいや、我々は補助金がないと生きていけないから、原発が危険だろうが何だろうが原発を維持します」


社会というのはどこの国でも歴史的に形成されている
だから社会をみるとき同じ民主主義国だから同じだとはならない
アメリカでも歴史的に形成された過程を見ないとわからない
ヨ−ロッパでは都市が形成された歴史には都市が一つの国家となっていた経過がある
だから城壁をめぐらして他の都市から攻められるの防いでいた
そこに市民共同体というのが生まれた歴史的経過がある

日本にはそもそもそうした歴史はない、パスポートにcitizenという欄がありそこに所属する市を書かされる
これはやはり日本の感覚ではわからない、ヨ−ロッパの歴史から生まれたことなのである
つまり社会で歴史的に形成されているからそうなる
日本なら行政単位が村であり村が自治体の機能としてあった
治めるのは侍だけど村にはそれなりに自治体としての機能があった、ただそれは市民共同体とかとは違って小規模であり大きな政治機能は藩がになっていた
その藩とはお上のことでありそれに従うということで成り立っていた、そこでお上に従属するという態度が自ずと生まれた

アメリカや外国では政府のことを信用していないという
だから個人情報でもうるさい、政府に知られたくないとなる
日本はお上を信じて従う性質がある
そもそもアメリカでは西部劇でもそうだがインディアンが住んでいて無法地帯に牧場とか作る
でも守る者はいないから銃をもって自ら守る他ない
だからこそ銃社会になっている、そういう歴史があるからそうなったのである、日本では戦国時代が終わると刀狩りが行われて
治安が保たれたのである

アメリカの自治体は民間でするものが多いというときそもそもお上に頼ってやっけいけない歴史的なものとしてあるからだ
治安でも自分のことは自分で守らねば生きていけなかったからである、だからアメリカは個々人が自立していなければ生きていけない厳しい社会だったとなる

明治以降外国の制度とか思想を受け入れたとしても日本の歴史がありそれを変えることはむずかしかった
歴史的に形成されたものとしてあるものを簡単には変えられないからである、だから未だに日本社会はそういう体質なのである
日本は市民という感覚ももてない、自立して市民として社会を積極的に作ってゆくという感覚がともしい
そういう歴史的経過を経ていないからである
お上の力が強すぎるのもそうである
そうして原発でも安全神話が今のお上によって形成された
政府と官僚と大企業とマスコミとかが一体となり原発神話が形成されたのである
そして住民は補助金頼りになったのである

ただ不思議なのはでは過去の日本の村では自立心がなかったのか?
それがあったともなる、なぜなら村単位で自給自足の生活をしていたから東京からとか中央政府から地方交付税とかもらっていない、それぞれが地域で貧しくても自給自足の生活していたから
経済的にも自立していたから中央にも政府にも頼っていないから精神的にも自立していたというのも意外だとなる

富めりとも翁の身には知らざらん木の間のけむり絶えずのぼりて
(大和田建樹)

この短歌は富む人があっても翁の自分には関係ないことだ
自分はただ年老いても炭焼きして生活している、都会の人には頼らないという意味である
こういう自負があったことも不思議である
人間は貧しくても自立心というのをもてることがある
貧乏だと依存するとばかりみるがそうでもない
かえって豊かな生活をするために依存して自立心がなくなる
それが原発事故で判明した
豊かな生活をするために依存体質が自治体でも生まれていた
地方が補助金頼りだという時それはどこでも地方交付税の割合が大きくそれがないと運営できないからである
そこで自立心が失われお上の言いなりになるだけだとなる
経済的自立というのが大事だとなる
ただそうなると貧しくなるから誰も同意しないのである

現代はあまりにも贅沢な暮らしになれてしまったからである
その贅沢の味を覚えると減らすことができないのである
一旦うまいものの味を覚えるとまた食べたくなる
これは猫でも同じだった、魚を与えるとまたせびるからである
その味を覚えているからである
ただ自立というとき貧しくても自立することはできるということは知るべきである
かえって豊かになると贅沢すると自立心がなくなる
これを国家にすればもう石油がなければどうにもならない、死ぬほかない、戦争する他ないとしきりにいうときもそうである
でもぎりぎりになったら炭でも生活できるしそうしてきたのである、電気はここ50年くらいしか十分に使っていないのだ
戦後10年は裸電球一つしか家になく電気製品もゼロだったからである、戦前も同じような生活だったからである

今回の原発事故では地方自治体も問われた
富岡町長の5億円入っている金庫が津波で流されて探してくれと頼まれたとかも噂でもそうである
原発にはそれだけの金が流れる、その後の除染作業とかでもそうである、何兆円のも金が湯水のように使われたからだ
地方公務員も批判の対象となる
地方公務員は優遇されすぎているのは本当だからである

普段まともに仕事もせず、市内のサービス残業やブラック企業は何ら知らぬ存ぜぬで通しているにも関わらず、税金だけは必死で集めようとする

こうなるのはわかる、自分たちの生活を優先するからそうなる
これは具体的でわかりやすい、江戸時代だった年貢を納めさせなければ侍の生活が成り立たないからそうなる
そういう体質は公務員に受け継がれているのである
公務員は何かと得するようにできているからである
国家レベルでも財政難を言って消費税を税金をあげようとするのもそうである
官僚とかは国民から税金をとり生活している、だから税金をとることには熱心になるからだ
だから今のような貧乏化する社会では公務員への反感が強くなるのである、官僚となると東電に天下りしたのが多いからである

自治体とは自ら治めるということてのだが実際はそうなっていない,中央に依存したり大企業に東電に依存したりと自主的な自立したものではなくなった
飯館村などはまでいな生活とかで炭焼きで自立していた村と多少はにていたが原発事故で破壊されて補償金をどれだけもらうかだけが関心の的ととなってしまった
飯館村は別に原発とはほとんど関係していなかったからだ
ただ原発は金になるから東電に働きに行っていた人はいたのである、そさだけ原発は事故前でも経済的影響が大きかったのである




posted by 老鶯 at 09:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連
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