2018年09月29日

東と西の方角感覚 (大阪人と関東(東京人)の対立)


東と西の方角感覚

(大阪人と関東(東京人)の対立)

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SAPIO−9−10月号

秋の陽は湖西に没りて淋しかな東(あづま)の方に陽は昇るかも

東の野に炎の立つ見えて
     かへり見すれば月かたぶきぬ  柿本人麿

旅をして一番不思議なのは方角がわからなくなることである
それは会津のことでも書いた、東西南北がありそれが山が多くて方角がわからなくなる、ただ西会津となると何か辺鄙な感覚になるし実際にそうである
ただ方角という時東と西が基本にある
それはなぜなのか?
世界的にみても陽が昇る方角と沈む方角が基本になるからだ

オリエント【Orient】

 ラテン語オリエンスoriens(〈日出ずるところ〉〈東方〉の意)に由来し,同じくラテン語オクキデンスoccidens(〈日没するところ〉〈西方〉の意)から来るオクシデントOccidentに対する語。本来,ローマ帝国内外の東部を指したが,帝国の東西分裂以降,西ヨーロッパが独自の歴史的世界を形成していくに従って,自らとは異質なビザンティンおよびイスラム世界,さらにはインド,中国,日本などもを意味するようになる

世界史的にはオリエントが古い、ヨ−ロッパは西であり西欧文明であり新しいとなる、イスラムの方が文明的に先進国だった
ともかく方向感覚として陽が昇る方向と陽が沈む方向を意識する
エジプトのピラミッドがあるカイロでもナイル河の向こう岸に太陽が輝き沈むときその方角はエジプト人にとって死者の国になる
黄泉の国になる、それは太陽が沈むということでそういう感覚になるのは世界で共通しているのである
西というと西方浄土であり西行とかもいて仏教でもその思想があり共通している

ただ人間が方角を意識するときグローバルに意識することはむずかしい、だから東とか西とか意識するにしてもローマ帝国内で意識したとか柿本人麿の歌は山の原での歌だとすると狭い範囲なのである、人間は地理的に世界を意識することは容易ではない
ただ日本でも
「日出づる処の天子、書を日没する処の天子に致す」という日本史の資料などにおいて出てくる聖徳太子の言葉がある
まず日本でも中国でも方角を意識していた
それは陽が昇る方角と陽が沈む方角なのである
韓国では日本海は東海(トンヘ)なのである
だから韓国から日本海を望んだ時不思議な感覚になる
日本海は陽が沈む所として意識しているが韓国から見ると陽が昇る国なのである
そういう感覚は旅すると常にある
アメリカでもカリフォルニアは西部であり西海岸であり陽が沈む海になる
これも方角として日本から来てみると不思議な感覚になるのだ

私の短歌を例にすると湖西という地域があり琵琶湖の西なのである、湖西線が通っていて何か淋しい地域に感じた
西には何か淋しい感覚になるのは陽が沈む方角にあるからだ
でも湖西から見て東の方は関ケ原になる
その感覚がなじめなかった、日本でも東と西に分かれる
地理的にもそうであり歴史的にもそうなのである
当然大阪とか京都とか奈良は古いから西が中心だという意識を今でも持つのは理解できる、関東とか東京は江戸時代までしかさかのぼれない、鎌倉があるとしても狭い地域であり西の京都の方がその時も中心であり天皇がいて室町時代になったことでもわかる
天皇がいるところが日本では中心であり京都が千年天皇がいたから中心だった

東京が中心になったのは江戸時代であり明治以降である
だから東京には愛郷心がないというのもわかる
地方からの寄せ集めでできた都市だからである
東北でも良く墓を見てきて紹介したが相馬藩では元禄となると相当に古いしめったにない、一番古くて慶長時代の墓が相馬藩の殿様の兄弟の墓があった
まず室町時代とかにはとてもさかのぼれないのである
奈良や京都や大阪になると江戸時代前まで普通にさかのぼれる
そこに歴史の厚みが不足しているとなる

ただ東と西の栄枯盛衰はある、それは世界規模でもある
西欧文明が世界を支配したという時そうである
でももともとはオリエントが起源だというときオリエントが東が古い文明の源である
インドでも中国でもイスラムでもヨ−ロッパより西欧より古い文明なのである、日本文明も謎にしても古いのである
東と西の栄枯盛衰は柿本人麿のひんがしから陽が昇り西に月が傾くということで象徴的に歌われている
でもこれは世界的に言えるのである、東西文明は栄枯盛衰を繰り返してきたからである、それは千年とか二千年とかの時間でみるときそうなる

ともかく大阪人が関東に東京に対抗意識があり大阪京都が中心だという意識は歴史的に形成された
だから大阪人はどこでも大阪弁を使って話してくる
その大阪弁が親しみ安いのである、だから私は大阪人には好感を持っている、京都弁になると何かよそよそしい、公家言葉になる
一見やさしいようで冷たいとなる、それが言葉にあらわれている
公家の文化がありそこから言葉が出てくるからだ

東北弁はズーズー弁であり何か言葉としては洗練されていないのである、でも縄文時代以来の言葉であってそこに正直さみたいなのものがある、それは洗練されていないが原始的な言葉だともなる
言葉は古語にその民族の精華となるものがあり古語を知るべきだとされる、ヨ−ロッパではラテン語を知らないと本質的に文化人にはなれないというのもわかる
ラテン語はヨ−ロッパの共通語となっていたからである
ヨ−ロッパでは言葉で明確に歴史的に合体したことがわかる
日本語は漢字を利用しても古い日本語との共通性はない孤立語なのであり謎なのである

そして関ケ原を越えて名古屋になるが名古屋は東と西の交わる場所であり歴史的にも信長が天下を統一した地の利があった
武田氏には地の利がなかったのである、中心の京都に進出しやすい場所にあったからだ

名古屋人の気風について

「名古屋の男女の風俗はもっぱら大阪になまぶなり、えひしりあけ(男の髪型)、おぼこづと(女子の髪型)などがあり人気の闊達は江戸にならうなり、吝嗇は京にまなぶなり、ゆえに江戸の戯作狂文は名古屋まで良く通じるなり」
名古屋の女子顔色美なるも、腰大いに太し、一人として細腰なるはなし」

滝沢馬琴の見た名古屋人である、京都大阪と近いし江戸とも通じている地理にあるからこうなった
そして腰が太しというとき農民的な体形気質もあったのかともなる、名古屋は京都とか大阪の影響を受けるがまだ未開的なものも残していたのかともなる
名古屋弁とかでもそれは大阪弁とか京都弁とかの影響を受けている場所である
名古屋の人にあったが東北人からみると闊達な人が多いともなる
つまり名古屋には大阪の商人的気質とか京都の公家的気質とか関東の武の気質とかが混交した場にもなる
それはヨ−ロッパでもそうでありそうした地域には天才が生まれやすいという分析がある
東西の文化の交わる場所とかはそうなりやすいのである、そういう刺激を受けるからである

いづれにしろこうして人間は地理によって文化でも文明でも作られるのである、だから地理を知らずして世界でも日本でもさらに地域でもわからないのである
私の場合は日本は隈なく旅行したからだいたいその土地が地理がわかるから話を合わせられる
ネパールでも一回行ったからここに住んでいる人がいて4000メートルの所に住んでいたというときでもイメージできる
ただあそこでは卵すらなくインドから買っているとかまず何を食べているのか?そんなところで住めるのかという地域である
そんなところにも人が住んでいるから驚くのである
だから奥さんを呼んで日本人になり暮らしたいという気持ちがわかるとなる







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