2018年09月10日

金には責任がつきまとっている (補償金問題でもめた原発事故周辺−権利には責任が課せられていた)


金には責任がつきまとっている

(補償金問題でもめた原発事故周辺−権利には責任が課せられていた)


資本主義とは金の世の中である、金であらゆる価値が決められる、江戸時代だったら身分社会だから金ですべてが決められるのではない
いくら金があっても商人でも侍にはなれないのである
でも幕末になると侍が貧乏になり侍の身分も売られたりしていた
金が実質的に力を持つようになった

金とはなになのか?金にはいろいろなものがまとわりついている
ここでは金とは明らかに責任なのである
江戸時代でも十両盗んだら打ち首にされたとか厳しい
それは金の額で責任を問われていたのである。

時代劇で金をもらったからと殺人をする、金をもらった分を返さなければならないから嫌でもしたというときもそうである
金をもらうことは責任が生じるのである
それが悪い金でもそうである、資本主義社会になったらもう金ですべての価値が計られる金で計られないものは価値がないものとされる
人間でもそうである、いくら地位があっても収入が低ければその人には価値がないのである、江戸時代の身分社会ではないからである

金というのはもらえばいい、高くもらえばそれだけいいと考える
盗むにしても多ければ多いほどいいと考える、でもその額によって責任も本当は違ってくる、でも少額でも高額でも差別がないということがあるが本当はそうではないと思う
金の額によって責任が課せられているのだ

ある人は墓を守ってくれと3百万円を受け取った、跡継ぎがいないからそうなった
でも自分も関係していたが自分は知らなかった
だけど自分も関係した実家の墓だったが今になるとそんなものを引き受けないで良かったとなる、墓を守るということは簡単なようで簡単ではない
そこには死人が埋まっていて簡単に墓を廃棄もできないからだ
その家の持っているカルマすら背負うかもしれないからだ
実家ばどうも何か悪いカルマを背負っている、それを前に書いた
だから前は墓参りしていたしかかわっていたが今は一応兄である死んだ人の墓を自分の墓の脇に作って供養している
金はなんでももらえばいいと思うが何か必ず責任か課せられているのである

この辺で起きた原発事故の補償金でもそうだった
一番もらったのは船主である、漁業組合関係である
この補償は手厚かった、事故前も原発を建てるとき漁業権を東電に売り渡したから
補償金をもらん魚などとれなくても生活できていたのである。
そして原発御殿が建っていたと今では言われる
このことは追求してきたが何が問題だったのか?

そもそも漁業権は海は誰のものなのか?
そのことから問われる問題だったのである。

補償金をもらえばいい、高ければ高いほどいい

こう船主であれ漁業組合関係は思って補償金をもらっていたのである
だけど今になるとなぜ漁業組合は東電に漁業権を売り渡して金をもらっていたのか?
そのことが批判される、それはなぜなのか?

金をもらっていたからだ

そこに責任が課せられていたのである。漁業権の権利はあるが権利にはまた責任が課せられていたのである
そしてその権利をたてに補償金をもらっていたことに大きな責任が生まれていたのである海は誰のものか?漁業組合のものだとなっていたからだ
ではもし漁業権とか海を自治体で協議していたらどうなるのか?
例えば漁業権を東電に売り渡すにしても自治体で議会でも協議して漁業組合に7割とか補償金を配分してあとの3割を自治体でもらうとなっていたらどなっていたのか?
自治体にも責任が生まれ自治体となれば市民全員にも責任があったとなる
でもすべて補償金は漁業組合でもらうことになった
だから原発事故が起きたときその責任が重く問われた

なぜ勝手に漁業権を東電に売り渡したのだ

権利をあるのがわかるがその責任はどうするのだ

だから金には必ず責任が課せられているのである
大工さんに頼んで雨漏りの修理をしてもらったが実際は全く直っていなかった
でも金はあとからあとから足りないととられた
そして結構な金が無駄になった、でも責任は全くとらない
金を損したというだけである

資本主義社会では金の社会である。金をみんなできるだけ欲しい何でも欲しいとなる
でも金の額によって責任が課せられている
金のある人が資本主義社会では責任を課せられている、身分ではない,社会の責任というとき金を持っている人、富裕層になればなるほど責任が課せられているのだ
だから富裕層がタックスヘイブンとか税金逃れしたりすることは許されないのである
金があるからとそれを浪費することも許されない、社会のために使うことを要求される
だからいくら金があっても有効に使えない者は金をもつ資格がないのである
銀行も何かわからなっかったが大金持ちでありその金を今は貸付先もなくうまく使えないつまり銀行は金をもっていてもその金を有効に使えないのだから不要だとなってしまうのである

ともかく原発事故の補償金でもなぜこれほどもめたのか?
双葉とか大熊とかは多額の補償金をもらった、億の補償金をもらった人が多いだろう
その人たちがいわき市に2万人とか移住して家を次々に建てたとき地元の人が不満になった、なんであの人たちは家を建てられるのか?
こっちにはそんな金などないのにうらやましいとなりその不満で事件も起きたのである
つまり双葉でも大熊でも実際は金をもらえるということで積極的に原発を誘致した
そして事故後も補償金をもらい新しい家を次々に建てている
でもいわき市の人は補償金はもらっていないのである
そして双葉とか大熊とかは積極的原発を誘致して金をもらったのではないか?
その責任はあるのではないか?
それは全国的にもそれを言う人たちはいた
事故前も事故後でも原発では勝ち組なんだよとか盛んに言われたのである。

つまり金には何であれ責任がつきまとっている
自分の住む所でも原発の補償金をもらっている、正直一人70万はもらったのである
隣の相馬市は6万くらいしかもらっていない、いわき市でもそうである
だからもし自分の住んでいる所でもっともらっていたらお前も責任があるのにそんなことが言えるのかと責めらても仕方がないのである
金にはこうして常に責任が課せられているのである
ただ原町になると3倍もらっているとか言われる、それは30キロ圏内であり強制避難区域になったからである、だから原町の人は文句を言わないのである。
そして南相馬市は補償金によって分断されたのである


posted by 老鶯 at 10:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連
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