2018年09月02日

日本語の起源 (狩猟民と農耕民の言葉がまじりあったものか?)


日本語の起源

(狩猟民と農耕民の言葉がまじりあったものか?)

日本人起源説として最近バイカル湖畔のブリヤートが顔が似ているのと遺伝子に共通性があるとして注目されている、マンモス追って北海道に渡ってきた人たちだという
それは二万年前だが4万年前に南方から船で渡ってきた人たちの説がある
あとは朝鮮半島経由で渡ってきた人たちである

なぜ日本語の起源が解き明かされないのか?
それは日本語が相当に古いし日本民族の起源もまた何万年かとさかのぼる古い民族だからである、そのために言葉も古いからである

これも仮説だがどうしてもこじつけになるが前にも江(え)の地名の不思議で書いた
なぜか(え)とつく地名が海岸線に多い、この辺の海老はエヒであり海老のことではない蝦夷(えみし)にもエがつく、このエとは何なのだろうとなる

える(得る、獲る)とかあてられる、これは英語のgetと同じように基本となる言葉である、動詞である、える→獲物になる、得たものが獲物なのである
これは狩猟民の言葉なのである。
だから縄文語は狩猟民の言葉でありそこから言葉を考察する

例えば狩り(かり)とは狩りすることだがここから刈るということに変わる
狩浜(かりはま)とかあり魚をとることも狩りだった
もともとはマンモスを狩りしていたとして魚をとるときも狩りすることと同じなので狩浜となったともとれる
つまり狩りというとき魚をとることが先にあるのではなくマンモスがいたとしたらマンモスを狩りすることからその言葉がうまれて次に魚をとることにも利用されたとなる

ただ文法としては英語だったら印欧語だったら最初に主語がきて次に動詞がくる
それは狩猟民とか牧畜民の生活からそうなった、でもアジア系は主語の次に動詞がこない

私は森の中にいる鹿を狩りする   

I hunt a deer in the forest

英語だと動詞が最初にくるが日本語だと風景がきて獲物をとるとなる
それはなぜなのだろうとなる、ここに自然でも外界でも意識する差がある
森とかに囲まれて住んでいれば森というのを最初に意識するからそうなるったのか?
平原のようなところだと最初に動くものが目につくからそれを追いかける
でも森とかが豊かにある世界では最初に目につくのは森だから森がくるのか?

ともかく文法にしても日本語は英語など印欧語と違う、中国語も主語の後に動詞が来る
同じ狩猟民の言葉でも違っているとなる

エの言葉が基本にあるとするときイ−エ(家)はどうしてこうなったのか?
エは獲物(えもの)であり獲物を置いておくところが家(イーエ)となったのかもしれない、ただ南方語ではイは接頭語になる、これは南方特有なものである
日本語には接頭語がついた言葉が多いのである
ということは北方の狩猟民の言葉と南方語が合体したのが日本語なのかとなる
不思議なのは森(もり)ともるとかもりあがるとか朝鮮語らしいとなるときではなぜ森だけが朝鮮語なのか?
朝鮮系統の人たちが入ってきてその言葉が生まれたのかとなる

日本語の成り立ちが相当に古いというときアイヌ語も謎だがアイヌ語よりずっと古いとなる、だからこそアイヌ語は縄文語より新しいから連続性がなく比較的新しい民族だともなる、それは謎にしても今使っている日本語とアイヌ語は違いすぎるからわからない
朝鮮語にしてもそうである、わずかに共通語があるとしてもほとんどないに等しいのである、ではどこの言葉と共通性があるのか明確にならないのである

ただエに注目するとこの辺で江垂(えたり)という地名がある
それは実は津波でわかたっように6号線まで江垂でありそこまで津波が来ていたのであるとすると江垂は江というのは獲物の江であり江というのはただ当て字である
獲物のとれる所に江という地名がついたのかもしれない、なぜなら獲物をとることが人間にとって一番大事な場所であり重要なことだからである
日々獲物をとることで生活しているからである。
つまり江垂とは獲物が足りる場所だったともなる
それを後から地名伝説でこじつけた説明をしたからさ地名伝説はあてにならないのである

不思議なのは植える(うえる)という言葉がありこれはウ−エるでありエにウが接頭語としてついたものなのである。
もともとは狩猟民の獲るが植える(うえる)になったともとれる
これは接頭語ではなく生む(うむ)と得るが合体した言葉ととるのが理屈に合う
生む+得る=うえるとなった
海(うみ)はうむ+み(みず)となる

なんらかで南方系統の言葉と北方系統の狩猟民の言葉が結びついてそうなったのだろうか日本語の謎はこうして合成語のためなのだがまたその基本語となるものが他の言葉にないからである
ただ狩猟民の言葉が基本にありそれに南方からまたは農耕をもたらした人たちが一緒に住んで合体した言葉となった
ただいくらでも言葉でも地名でもこじつけできるから言葉だけからでは証明できない
考古学とか遺伝子とかいろいろな分野の人たちが研究してそれでその謎を解く
ただ日本語はもし二万年であれ4万年前であれ使われていたものが今も使われているとなると他はみんなすたれても継続しているものだから興味をもつのである。


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