2018年08月26日

平均的人間はいらなくなる? (国を豊かにするにはイノベーションが欠かせない)


平均的人間はいらなくなる?

(国を豊かにするにはイノベーションが欠かせない)


「今はアリのように働いても豊かにならない」
今までは勤勉が国を豊かにする、勤勉さが価値だった
勤勉なこととは何か創造的なことをすることではない
与えられた仕事を毎日同じようにしてこなすことである
そこで何か工夫したり何か発明したりすることではない
明治以降の教育はそうした大量生産の規格品を作ることだった
それが学校もそうした大量生産の規格品を作るために作られた

一人一人の非効率的な作業でなく集団で作業する必要が大きくなってきた世の中です。雨が降ったら仕事をしないとか、時間が適当とかそういったことは許されません。決まった時間に集まり作業する必要が出てきますが、そのためには、訓練する場所が必要です。少し考えてみてください、朝起きて、ご飯を食べて、時間通りにその場所に行くというのが、国民として義務づけられるのはいつからでしょう?そうです小学校からです。

学校はあくまでも平均的な人間を大量生産して社会に出たら大量規格製品を作ることだった、だから創造的作業より暗記とかが大事になる
人間をロボットのようにすることが学校の目的だったのである。
でもなぜ今はそうして勤勉と平均的な人間育成を否定的にとらえるようになったのか?

最近盛んにAIになると決まりきった仕事をする職はなくなるとかサラリーマンがなくなるとか言われる、そしてベーシックインカムが現実化するということを言う
これも団塊の世代などからすると何なのだろうとなる
企業戦士として会社に命まで献げることが要求されたしその通りにして生きてきたからである
それがおおぴっらに言われることが解せないのである
時代が変わるとそうなるのか?アリのように働くことが日本人として勤勉でありすすめられていたからだ

ところが資本効率からすると機械で生産の効率をあげるのと機械を使って資本効率をあげるのでは機械の方が有利になった、すると会社では機械を使った方がコストがかからないのである。その仕事はロボットの方が効率的で金がかからないからである
それで中国では麦刈りは人海戦術でしていた、でもコンバインだと千倍の収穫を機械一台でししてしまう、その差はあうまりにも大きく出稼ぎ労働者は必要なくなったのである

社会は今は蟻のように働くものは機械が代わってする、家事でも戦前では中産階級でも二人の女中を雇っていた、そうしないと家事ができない,洗濯でも機械がなければ手で洗濯板でごしごし洗っていたらその手間と労力は大変なものになるからだ
今は洗濯機にほうりこむだけだとなる、だから自分でも家事のために女性を雇うとしても三日に一回皿二三枚洗うだけだから必要はないのである。
でもその女性は畑をもっていて農業のことをいろいろ教えてくれるからその代金として払っているともなる
自分は農業に興味はあっても実地にしていないし知らないからである
そして体力的にも時間的にも自分ではできないからである

するともう家事のために雇っているのではない、農業の話を聞くために雇っているとなるそれで太いキュウリがもらったが一本一万以上したと書いた
肥料代から種代からいろいろ金を払ったからである
つまり農業はそこで金を得るものではない,自分としては別にスーパーから買っているからである
そして農業というのは今や必ずしもその生産したものだけを見ているが値段を見ているがその価値は環境保全だとか美観のためとか景観のために必要だともなる
今この辺は放射能問題で荒地になっているのがまだ多い
するとその荒地を畑にしたりその畑で花を栽培したりすると景観的にもいいとなる
つまり農業の価値は今や生産物を売るだけではない
農業高校に女性が多くなったというとき花栽培とかもあり農業は意外と創造的な側面があるからだ
女性に向いたものがあるからだ

社会の価値観が変わる、今は女中とかは極端に減った、それより老人は話し合いてを求めているとかなる、でも女中のような掃除洗濯とかはあまり求めていない
ではそうした話し相手になれるのか?
これは知的なものとかいろいろあるから簡単にはいかないだろう
その趣味でも合わないと話し相手にはなりにくい、そんな人がいるのかとなればいないとなる
要するに女性でも家事から解放されたら外でみんな働くようになったけど蟻のようにただ機械的に働くことが求められる時代ではないとなる

そして国を豊かにするのにはどうするのかというと今は必ずしも勤勉ではないのである。いくら勤勉に働いても豊かになれないのである。
要するにグロ−バル社会になると同じような規格品を作っていても競争になり安くなり売れない、大量生産して売れた時代は終わっている
日本が豊かになったのは品質のいいものを家電製品を売ったからである
でもそれは今では中国でも韓国でもどこでも作れて売れるとなれば売れなくなり日本は衰退国になったとされる

そして日本はITでおくれをとったからだと言われる、コンピュターでもソフトウェアでも通信機器でもスマホなどでも中国に先を越されたとなり貧乏国に転落したと言われる
ではコンピュターとかITとかの先進国になったのはリードしたのはアメリカであった
そのアメリカのビルゲイツとかジョブスとかがパソコンを発明したからだとなる
アメリカはエジソンなどのように発明の国である
勤勉より発明をイノベーションを重んじる国である
だからそうした発明することによって巨額の富をもたらす、ビルゲイツの収入はけた外れになる、でもその人は天才であり国に富をもたらした人だから批判をされないのである

つまり現代ではいくら人々が勤勉に働いても国にも富はもたらされないのである。
ただこうして数人であれ天才的な人がいて発明すると巨額の富をもたらされるのである
他にも医療の分野でももしアルツハイマーの有効な薬を発明すればその国に莫大な富がもたらされる、でも勤勉にいくら働いても富はもたらされこないのである。

でもそんな天才を作り出せるかとなると簡単にできない、勤勉な平均的なロボットのような労働者はいくらでもいるがそんな天才は簡単に生まれないのである
ただなぜヨ−ロッパにいろいろな分野で天才をその延長のアメリカで輩出したかを知るべきである
なぜヨ−ロッパが世界をリードするようになったのか?
それは機械であれいろいろな発明があり今でもアメリカが世界をリードしているのはIT分野だということでわかる

創造的能力は別に普通の人でも開発できる、創造的訓練が必要なのである。
ただ受験の暗記のためではない、創造的訓練をすることなのである
そんなものがあるのかとなるとある、科学になると様々な実験をしているがそれも創造的訓練なのである。
子供の時は自由に遊びを工夫していたが学校ではそういうことはなく暗記だけだから創造的なものは養われないのである。
学問でも芸術でも一見生まれつきの才能とされる、それはあるにしても自分は俳句を作りだしたのは20代だけど全くいいものは作れなかったからこの人は才能はないと見られた実際その時はそうだった、今になるとそれなりにいいものを作っていると自分では思っている、短歌でもそうである
才能といっても日ごろの訓練の積み重ねが必要なのである。
創作する訓練が必要なのである。でもそういうことは普通はできない、同じことをただ蟻のように勤勉にしているだけでは創造力はつかないからである

もちろん天才など自分とは関係ないということはある
でも国を豊かにするには平均的な人間をいくら作り出しても豊かにはなれない
クリエーションを求められるというときそれも日ごろからの訓練が必要になるのである
訓練など天才には必要ないというがエジソンでも「天才とは1%のひらめきと99%の努力である」というときやはり努力が必要になる
その努力はなにか型にはまった努力ではなく創造的な努力が必要となる
エジソンもいろいろと実験を重ねたということが創造的努力だったのである。

日本は平均的に勤勉に努力する人間を作ることでは成功して豊かになったが
今はそういうことでは豊かになれない、それをみんなが自覚する必要がある
ではもともと平均的な人間が圧倒的に多いのだからそんなごくわずかの天才など関係ないとも言える
でも平均的な多数でも国を豊かにするときそういう人たちが必要なのだということを自覚しないと豊かになれないのである。
要するに勤勉な蟻として国民全部がグロ−バル社会では貧乏になるということである
ただ日本は平均的な人間を大量生産することは得意でも何か突出した天才的な人を作るのは苦手である、そういう人は嫌われるしそういう人は村という社会では受け入れられないしかしそのこで日本は衰退してゆく、貧乏国になることを知るべきだとなる


posted by 老鶯 at 16:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題
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