2018年08月20日

今年の高校野球は面白い (一回勝負だから真剣になる−人生も同じ)


今年の高校野球は面白い

(一回勝負だから真剣になる−人生も同じ)


今年の高校野球は面白い、野球はずっと見ているからわかる、でもサッカーはゴールするとかしかわからない、どういうふうに勝敗が決まるのかわからない
どの人がうまいのかもわからない、ただゴールするところだけがわかる
そしてゴールは一試合で二回が限度だからその間だらだら何をしているのかわからないのである

野球はサッカーとはかなり違ったゲームである
今回わかったことはやはり投手が要であり投手がいいと打者がそれほどでなくても勝ち進むことができると見た
投手が打者をおさえてくれればそれなりに力を発揮できるのが野球だと思った
それで金足農業の投手がプロ級だとか言われるのもわかる
吉田投手を打てない、打たれても大きく崩れない、だから4点とるのが限度とかなる
守りがしっかりしているから見方でも4点以内とれれば勝つということでバントする試合運びができる、それは守りが投手が崩れないから4点以内には収めてくれるからそうなる

ただツーランスクイズとか決まった時は良かったが今日の日大三校でワンアウトで満塁ではスクイズが失敗した、これも同じことをしても必ずしもうまくいかない
その時々で状況が変わったりするからである
ただここで監督の指示が大きな勝敗を分けるものとなると見た
うまくあたればいいが失敗すると負けに通じる
その決断は選手ではなく監督がしていたからである。
そういう点で監督を見ることも必要になるのが野球だと見た
監督の采配によって勝敗が決まることもあるのだと見た

それから高校野球は一回勝負だから面白いともなる、一球入魂のピッチングというとき
一球を油断して打たれて試合が負けになるからだ、油断できないのだ
高校野球は一回失敗したら終わりになる負けになる
そこが高校野球の面白さを作り出している
必死でベースにヘッドスライディングするのもそのためである
それは一回勝負だからそうなっているだ
何か高校野球はトーナメント制でなく総当たり制とかにすると実力がわかるからいいとう意見もある
それはそうだと思うがそうなると高校野球の甲子園の面白さはなくなる
一回勝負ということで選手も一回限りだとして真剣になる
また次があるとしたら適当になるかもしれないからだ

その意味するところは人生でも同じである。人生はチャンスがあるとしても一回限りということがある、若い時は人生は長いのだから何回もチャンスがあると思ってしまう
でも実際は人生のチャンスはまれなのである。
一回で終わってしまうこともある、一回のチャンスを逃すと終わりだとなってしまうことがある
だからチャンスに打てるか、打てないかが野球にありそれが醍醐味だとなる
プロ野球のようにいくらでも次があるとなるととても毎回真剣にはなれないからである

剣術の試合でも一回負ければチャンスを逃し這い上がれないということがある
だからこそ真剣になる、何度もチャンスがあるとなれば真剣にはならないからだ
人生はゲームと違うのは真剣勝負であり本当に一回の勝負で負けたら命をとられるとまでなる、戦国時代ならそうだろう、別に戦国時代でなくても実際の人生でも一回の勝負が人生を左右してしまうのである
それで男はギャンブルをやめられないのである。
一回の勝負に賭ける、それで人生が決まるということがあるからやめられないのである。
今回面白いのは金足農業が全員地元の選手であり私立ではない、他はみんな私立で優秀な選手を集めて構成している、

福島県の聖光学院でも福島県出身者が一人でもいるのか?
みんな全国からの優秀な選手の寄せ集めであり八戸光星でも同じである
だから高校野球が元は全国の地域同士の戦いで盛り上がった、郷土愛が生まれて応援したそういうことがなくなったとき高校野球の意味がなくなった
何か高校野球はプロ化したのである、地元とは関係ないプロ化したチームの戦いになっていたのである、金足農業は最近ではめずらしく全部地元の選手なのである
それが高校野球のあるべき姿だったのである

桐蔭高校はそうした強力なプロ集団ともなっている、でもみんな応援するのは金足農業である、そして判官びいきもある、実際の社会でも強いものばかり勝つのはつまらない
アメリカは戦争でも勝って当然なのである。
でもベトナムに負けたということがどうしてなのかとなった
人間社会では必ずしも強い者が勝つとは限らない、そうだとしたらつまらないとなる
時には何かの調子で弱い者でも強い者でも勝つということで面白い
信長でも桶狭間で絶体絶命で非力でも大軍団に買ったから歴史に残った
桐蔭とかは大軍団なのである。日大三校にしても投手陣が何人もいた、でも負けたからそこで面白いとなった
だから決勝戦はみんな金足農業を応援している、それと東北に初の優勝旗をもって来てほしいとなる

勝負でもゲームでも勝敗を左右するのが何になるのか?
何かいろんな条件がありいくらプロ集団のようなチームでも負けることがある
それは一回限りの勝負だからそうなる、何かの調子でそうなるからである
これが三回勝負だとなるとプロ集団にはとても勝てないからである
だから一回限りということで勝ちが転ぶということありえる、ただそれも実力がないと無理である、金足農業の吉田投手が調子が良ければ守れるからそれがありうるのかと楽しみにはなる、日本全国で桐蔭には勝って欲しくないのである。

ともかく人生でも一回勝負を意識することである、なぜだらだらとして時間を無駄にしているのか?
それは一球入魂がないからである、人生は長いとなりだらだらとしまりなく生きる
人生が今日で終わりだとなると誰でも真剣になり生きようとするだろう
それがないからただだらだらと時間を浪費しているのである
今日が終わったが明日もあるとなる、でももし明日がないとしたらそうはならない
いづれにその日がくる、明日がなくなってくるのだ
老人になればわかる、もう明日はないのである。そして何かをするチャンスは失われたし何もできなくなってしまうからである
そしてみんな後悔しているがそのチャンスは若い時に活かせるが老人になったらできない体力もなくなるしそれだけのエネルギーがなくなっているからだ
あっいうまに青春など過ぎ去る、後は後悔が残るだけだったとなってしまうのである。

posted by 老鶯 at 17:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層
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