駅長が草刈していた
(淋しいから一人一人が目立ち記憶される無人駅)
駅長の草刈りするや無人駅秋めく風の吹きて淋しも
原町の駅長が一人草刈り機でホームの草刈りしていた、前は二人で草刈りしていたのを見ている今回は一人で草刈していたのか?
普通駅長が草刈りするだろうか?部下がするものではないか?
あの駅長は前も来ているから知っている、時刻表を自分が置いた時ルールがあるからと断られたのでいい印象がなかった
何かそうであっても言い方があったかもしれないからだ
無人駅は淋しい、それなりに人の出入りがあるのだが一人一人が気になる場所である
それで声をかけて話したりする、駅は意外と話しやすい場所なのである
ちょっとでも話すとそこに何かを記憶する
駅でボランティアして気づいたことは駅は関所でもあり何か記憶する場所なのである
関所にはいいイメージがないが区切りでありそこは記憶する場所となる
関所とか境界がないと人間は記憶できない、関所があることで区切りとなり別の世界の入り口として意識するのである
今になると関所的役割があるのは駅だとなる
なぜなら本当は勝手に出入りできない,改札口があり駅員がいたからである
無人駅は出入り自由だがやはり駅があり改札口があることで外部の人が入る境界になるのである。
だから国境でも今は簡単に通過できるとき国というのも意識できなくなる
ヨ−ロッパではそうなっている、便利なのだが国を意識しにくくなるのである
駅が人が少なく淋しいということでかえって人がそこで一人一人でもそこで意識される空間になっていることに気づいた
まず高速のSAとかなると人を意識できない、群衆が流れてゆくだけだとなる
人が少ないことで人間的になっているのも不思議である
それは何か贅沢なことなのである。
小高の人が厚生病院に母親が入院して通うと聞くと大変だなとみる
なぜなら小高から電車で原町まできてまたのりかえる,原町と小高間は便数が半分くらいになるからだ,そうなると浪江でもそうだけど遠い感じになるのだ
その人は車がないからそうなっている、車がないと電車で来るほかないからである。
車がないと病院に通うとかなると不便なのである。
小高には病院がなくなったことも原因しているのである
ともかく何にもない無人駅だと思っていたがそこには人の営みがある、草刈ることでもそうだからである、誰かが維持するために働いているのである
ロボットがいて自動化してすべてたりるわけではないのである。
駅には鉄道には長い積み重ねられた歴史がある、それで鹿島駅は開通から120年すぎたことで花文字を作ったのである
常磐線でも120年の歴史がある、だから駅で営まれたものは一つの物語りであり歴史がある
昨日聞いた闇米がここから東京へ運ばれた話もそうである
その人は原高に蒸気機機関車で通い見ていたのである
今日は急に涼しくなった、風も秋風になったようである
今は自転車置き場を工事しようとしているから自転車置き場がなくなり無造作に置かれている
駅もこうして常に変化している、毎日一回は寄っている、ただ今は案内でもたいしてすることはない、でも駅は何か人間的な場を演出することを感じたのである。
それは皮肉にも人が少ない淋しいということで人が目立つからそうなる
もし逆ににぎわう駅だったら一人一人のことに関心をもてないのである。
無人駅蕗の葉大きく雨宿り
北海道の無人駅では雨宿りだった、北海道だと無人駅は本当に淋しいとなる
電車が来るのか来ないのかもわからないようになっている
そうなるともう淋しいなどと感傷的になっていられないだろう
いつ廃止になるのかとか深刻な問題となっているからだ
北海道の路線は歯がぬけるように半分は消えたのである。
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