2018年08月10日

蝉の声、カンナ(小高の街にひびく蝉の声の不思議)


蝉の声、カンナ(小高の街にひびく蝉の声の不思議)

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雨しとと勤めの人や蝉の鳴く

蝉の鳴く定時に来る電車かな

農家の庭の広しも芙蓉かな

街中の古木聞き入る蝉の声

真昼間や高鳴りひびく蝉の声

入り混じり遠く近くや蝉の声

明るしや畑に人なしカンナかな

客よれや6号線にカンナかな

鷺一羽水辺の深く影写す


避難区の街に残りぬ古き木の根を張り聞きぬ蝉の声かな

誰をかに向かいて蝉のひたすらに鳴きにし声聞くべかりけり

人なしに空家にひびく蝉の声聞く人なしも帰らざるかな   

蜘蛛の糸一本なれど揚羽蝶とらえ離さじ巧みなるかな


小高で不思議だったのは街の通りに人はなく蝉の声だけがひびいていたことである
小高の街の通りは歩道もあり駅前から長いから鹿島よりずっと良かった
鹿島の通りは歩道がないしほとんど人が歩いていない
人が減ったのではない、前からそうだったのである
駅前通りも死んでいる感じになる

蝉の声というときこれも誰も住んでいない街に鳴いていたらその声は誰が聞くのだろうとなる
小高の街で目についたのは古い木だったのである
そして帰ったのも老人が多いのである、老人は古木とにている
その古い木が蝉の声を聞いていたのである
ともかく依然として帰った人は増えたが空き家の街である 

知っている人がしている畑があるけどそこに今日は人はなくカンナだけが明るく咲いていた
何か畑でも肥料だ、種だ、農薬だと金がかかりそれで金を要求される
そしてキジに食われた、盗まれた、モグラに食われた、ネズミがでる・・・
こういうことを常に聞かされるので嫌になる
これまでは自分はそういうことにかかわらなかった、でも何か現実の生活にかかわらざるをえなくなったのだ
現実の生活は花ばかりきれいだと見ていられないのである
そこには嫌なことがあり人間関係でも嫌になるのが田舎なのである。
ある人は知っている人と会いたくないからこの道を通っているというとき田舎では常時監視状態にあるからそうなる
四六時中監視されているのである
だからカンナだけ明るく咲いているのが気持ちいいとなる

飯館村などは時々行ったとしてもそこの人間とはかかわらなかった、だからよかったともなる
人間と実際にかかわれば嫌なことが必ずあるからだ
ただ花だけを見て帰るなら嫌なことはないのである。

今日は蒸し暑かった、でも夕方は涼しかった、この辺の暑さは峠を越えたように思う
それでも夏バテになりぐったりしたのである
西のように暑かったら地獄である、住むのも嫌になるだろう
避暑に行きたくなるだろう、35度が連日つづくとしたらもう住む環境でとなくなる
なぜこんなに暑いのか?偶然なのか?地球温暖化でないとしたら何なのだろうとなる
40度近くになるともう住む環境でなくなるからだ
ここは気候だけは暑からず寒からずだから過ごしやすいから助かったとなる

蜘蛛の巣に揚羽が一羽とらえられてばたばたしていた、農家の広い庭である
その蜘蛛の巣は大きいものだった、でも巣の真ん中にひっかかったのではない
はずれた端の方の一本の糸にひっかかっていた
蜘蛛の巣でも何本もの蜘蛛の巣にひっかかるならわかる
一本くらいで動けなくなるのか?
芥川龍之介の蜘蛛の糸という小説があったがそれは一本の蜘蛛の糸をたらしてそこに人間がはいのぼってくる光景だった
つまり蜘蛛の糸は一本でそれだけ強いものがあるということになる
一本の蜘蛛の糸にとらちえられた揚羽はそうだったのかもしれない、それで蜘蛛の巣をとりはらい揚羽を逃がしてやった
これは自然の一つのドラマだったとなる

鷺が水辺に映っていた、増水したから水辺が深くなっていたのである。
自然というのは同じところにいてもつくづく変化する、その変化することで飽きないとなる
同じ所に住んでいると見るものも同じだから飽きる、でも変化するから飽きないとなる    


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震災より7年過ぎた小高の不思議(短歌十首)
(故郷は古里で古きを守る場なのか?)




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