2018年08月05日

小高復興の一試案 (牧場などを作り車の通行禁止で江戸時代にもどる)


小高復興の一試案

(牧場などを作り車の通行禁止で江戸時代にもどる)

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小高に三年ぶりで行った不思議を書いた,前よりは人は帰っているけどやはり通る人が少ない、通りに歩く人も見えない、ただ前からは通りはどこでも歩く人がまれである
車時代になってからそうである
ただ小高で感じたことは車が通らないから江戸時代にもどったような気分になった
やはり車というのがいかに社会に影響しているか実感した
一時大きな街で歩行者天国を作り車をしめだした
小高では別にしめださなくても車が通らない、6号線は通っても通らない所が多い
車が通らないとどうなるのか?江戸時代にというか車ない社会にもどったようになる
それは戦前でも戦後十数年でもそうだった
車が普及したのは高度成長時代になってからである

輸送の手段は遠距離になると蒸気機関車時代があり貨物輸送の貨物列車の時代があった
近間では馬車の時代がありリヤカーがあった、それで梨を売るために相馬市まで鹿島から運んだというのもそのためである、でも今からすると距離があるから苦労だった
ただあまり遠くまでは行かない、近間で用をたしていた
馬頭観世音がこれほどなぜ多いのか?それは馬で荷物を運んでいた輸送の主役だったからである、だから江戸時代の馬頭観世音はまれであり明治時代以降のが多いのである
馬が人間を助けてくれたから供養のために馬頭観世音をいたるところに作ったのである
まず馬車だったら遠くに荷物を運ぶのは無理である。
それで鹿島の右田の農家では肥料となる草を橲原(じさばら)から運んでいたという話を聞いた、橲原に入会権の山を所有していたのである
つまりその頃は近間でなんでもまかなっていたのである
なにか小高ではそういう時代にもどっいたという感覚にったのも不思議である

自分は江戸時代に関心をもつようになった、それは江戸時代には今の時代に失ったものがあるからだ、だから時代劇を良くみている、その風景がなつかしいとなる
江戸でも舟が縦横に行くのはベネチアのようでありその風景にひかれるのである
それはただ過去を美化しているということもあるが江戸時代には旅人でも歩いていた
それがみんな絵になっている、この歩くことを感心してみているのも時代である
今は旅人はいない、歩いて旅している人がいることはいるが車の騒音の中に消されてしまうのである、浮世絵のような絵にはならないのである
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小高の復興というときそれをどうするのか?
これはあくまでも自分の試案でありアイデアでありそんなことできるのかともなる
何か空想的になってしまうのが自分だからである
関わる人、交流する人を増やしその中から住民と「外の人」が精神的な豊かさを分かち合う

ここでどうして「外の人」と精神的な豊かさを分かちあうのか?

夕張で炭鉱がありそれを活かす取り組みをした、その例に習えば小高では野馬掛けの野馬追いの原型の行事があり牧場に向いているともなる
もう田畑は草に埋もれて草原化した、もうそこを田畑にすることは無理だと感じたからである、ではどうするのか?
牧場化して馬を放牧するのがいいのではないか?そして乗馬などをさせるのである
そして回りは車も通らないから車をしめだすから江戸時代にもどるともなる
ただ車で来る人が多いからそうもならないかもしれない、ただ車をしめだして江戸時代にもどる体験をする、車が通らない地域を作るのである
車を通るとしても制限するのである

これはあくまで試案であってそんなことできないということはある
一番の問題は田畑というのがみんなここに所有者がいて牧場にするからと勝手にできないこの辺でも畑の半分が未だに荒地化している、でも所有者がいるから勝手にできない
無料でも貸すと所有者は言っても誰も畑で野菜作りなどしない
その手間と労力が大変であり金もかかる、自分が支援したが一年で10万はかかる
その収穫はこの前太いキュウリをもらったがあとはなかった
田畑を活かすことは楽ではないから前々から高齢化などで受け継ぐ人がいなくなっていたのである。

明治後で失敗したのは私有権を過度に認めたことである
山でも平地でも海でもそうだったのだ、だから土地が細分化されて利用しにくくなったのである。漁業権のことを書いたが補償金を得るために自分の家の前の海にも権利があるとして交渉していたのである
それほど私有権が強固なものとして権利を与えた結果何か公共的な用として利用しにくくなったのである。
江戸時代までは入会権とかあり山でも共有であり村を単位にして土地は共有していたのである
だから荒地があると村では困るので村全体でその荒地をみんなで元の田畑にもどした
草が生えてきて隣り合う畑をもっていると困るからである
田んぼでもそうである、水の共同利用とかありそれは個々人が私的に利用できるものではなかったのである。農業は自然が相手だから土地は共有になっていた

現実に飯館村で補償金をもらって土地を売った方がいいというときそこが放射性物質の廃棄物になっては困るのである。なぜなら土地はつながっていてその放射性物質が現実に保管されないで流れ出したからである、それは南相馬市の方に流れてくるからである
だから過度な私有権を認めたことは失敗だった
現実に荒地化している土地をもっている人はそこは自分の土地だから売らないとなれば貸さないとなれば何もできなくなる
牧場とか大きな土地利用をするにしても一人の地主が反対すればできないのである
ただこの辺ではそうして荒地のままに草ぼうぼうにしていいのかということが切実な問題となっているのだ
だからこれをなんとかしようとするときいい知恵はないかのかとなる
何かそういう知恵を出し合うことも必要なのである
おそらくいくら土地をもっていても無駄でも何か金になると土地をもっている人はかがえているのかもしれない、例えば放射性廃棄物の処理場とかになり金になると考えているのかもしれない、それは私有権があるから自分だけの利益しか考えないからそうなる、後はソーラーパネルが一番有力なのかもしれない、あれだけの土地が空いているとそうしやすいからだ
そのために土地を保有しているかともなる、そうなったら景観は乱されるから江戸時代の街作り構想は消える
ただ土地を有効に生かす方法がないとそうなる可能性が強いとなる
それをするとするとしたら海側であり山側はしないということもある

何かこの辺で問われているのはそうしした共同性の回復だったということもある
それが失われたからそういうことが望まれる、それは江戸時代の村への回帰でもある
そんなも古いものはあてにならないというのもある
でも明治以降の私有権の強固な権利とか共同性の喪失とかが問われている
一方であまりにも大企業の力が強くなりそれが市町村でも自治体でも今回のように東電によって破壊されてしまうことをまざまざと見たのである
江戸時代の村は別に理想的なものではないにしろ自然と共生した共同体だった
でもそれも巨大な大企業によって破壊された、またグロ−バル化社会の影響もありもうそうした世界の中で経済が動くようになった
その時肝心なものが見失われたということ喪失したことがある
結果的に自然は放射能物質で汚染されてとりかえしがつかなくなり家族はばらばらになり共同体は失われてしまった、原発事故前からもそういう状態はあったがここでは拍車がかけられて田畑は草ぼうぼうになり人が住まなくなったのである。

ただ江戸時代にもどれと言っても電気がない世界に住めるのかとなる
エネルギーは炭になるのかとかなる、囲炉裏が復活するのかとかなる
そんなことができるのかとかなる、それは無理だとなる
でも何かそういうことを志向するのも今回の原発事故でありうることなのかとも思った
江戸時代だと夜は真っ暗な世界である
小高などは街まで真っ暗だった、そこにイルミネーションをして電気を使うより提灯でも使えば江戸時代にもどることができる
街全体が江戸時代にするとそこで江戸時代の気分が味わえる
ただこれは他で江戸時代を再現して観光している場はある
ここが違うのが現実に江戸時代にもどったような場なのである
特別な場所が江戸時代になっているのではない、街全体が回りがそうなっているからだ
それがテーマパ-クなどとは違っている、そこに現実に人が生活しているからだ





posted by 老鶯 at 12:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連
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