2018年08月03日

階級社会と格差社会の相違 (社会をいかに構成するのか?)


階級社会と格差社会の相違

(社会をいかに構成するのか?)

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階級社会とは歴史を見れば常にあった、それは歴史的に経験済みでありヨ−ロッパなどでは継続している、貴族と労働者は英語でも違った使い方をする
英語といってもいろいろある、クイーンズイングリッシュとアメリカの英語は違うというときそうなのである、同じ英語でも違うのである
歴史的伝統的に作られてきたものがありその中で言葉も洗練されて使われる
アメリカ英語が平民的だというとき平等の言葉だというとき王様もいないし貴族もいないからである、そういう歴史もない国では平民的な対等な言葉になる
上の人にへつらう言葉は生まれない、敬語もあってもないとなる

京言葉があんなにやんわりしているのは上の人にへつらうご機嫌をとるためだだんという東北弁になるとぶっきらぼうになる、おめえとか・・・だべえとか敬語を使わないのである。人との関係でもそうなっていたのである
確かに侍という支配階級が生まれて侍言葉が生まれた、平和な江戸時代に階級が作られたからである。
階級社会というとき不平等な社会であり理不尽な社会だと今ならみるがその時代にはその時代の生き方がありそれに適合するからすべてが悪いとはならないのである。
階級社会があって身分制があって社会のモラルとか秩序が形成されていたからである。
日本だと侍で贅沢していたのは極一部でありその他の侍は他の身分の人ととさして変わらなかったのである。極端な格差はなかったのである。

今になると時代劇でもどうして身分の上の人に奴隷のように忠勤する人がいたのか?
時代劇では仕える家と一体化して犠牲になる人すらいた
それは家族のようになっていたのである。でも身分社会で今なら差別されていたとかなる経済的にそう強いられていたのだとかなる
でもその時代にはその時代のモラルがありそれで社会が成り立っていた
だから階級社会の負の面をみればもう暗黒社会だとなるのである。

不思議なのは戦前とかはまだ新しい時代である、その時なぜ女中がいて家で働いていたのか?それも特別金持ちではなくても中流階級でも二人も女中を雇っていたという
自分の母親も東京で女中していた、その頃女性の働く場所が女中とか紡績工場しかなかった、絹織物を生産してアメリカに売り外貨を稼いでいたのである。
紡績は富国強兵の政府の政策で奨励されていたのである。
それで母が言うには紡績工場で働いていても現金をもらったから良かったと言っていた
それは女性が働いて現金になる場が限られていたからである。

そしてなぜ女中という仕事がそれほど求められていたのか?
家事には大きな労力が必要でありそのために人力でするほかないからそうなった
電化製品がゼロというとき洗濯板でごしごし洗っていたらその労働は並大抵のものではないからだ、それは世界で共通していてあのパリのセーヌ川で女性たちが洗濯していたことでもわかる、世界的には洗濯は川でしていたのである。
自分の家では裏に堀があってその流れる水で洗濯していたのである
ご飯をたくのにも竈の時があり手間がかかりすぎていた、ボタン一つで米はたけないのである。すると家事の労働を頼まないと仕事もできないということになっていた

自分も介護から家事労働をしているが電化されていても労力がいる、手間がかかる
だから料理はしていない、買うだけである、最近オカズを得るために生協に入った
簡単にオカズになるものを用意しておくと便利なのである
冷凍とか冷蔵であり長持ちするから一人暮らしには便利なのである。
一人暮らしだと使わないで腐らすものなどが多くなるからだ
戦前辺りだと人間の労働は女性ならほとんど家事に費やされていたのである。
それも妻一人ではできないから女中を頼んでなんとか家を維持していたのである
そういう時代は別に女中になることはさげすむことでもない
女中は女性の仕事として認められていたしそのモラルも要求されていたのである。

もし今のように女中が差別語として使われなくなったように女中という仕事はあってもお手伝いさんとかなる、職業としては家政婦とかなる
しかし女中という仕事はないのである、職業もない、女中という仕事が成り立ったのは戦前までであり後はないのである
その時代は女中は普通の家庭でも中流家庭でも雇えるものだったのである。
その時代の要請で女中がいてそれは普通のことだったのである

今はなぜ女中がいらないのか?それは家事が電化されたりオカズでも買う時代になったからである、ともかく買う種類が多いのに驚く、料理を作ることではない、何を買うかが家事なのである、家事のために便利な道具を買うことなのである。
家事も機械化されやがてはAI化されるてさらに手間が省かれる
そもそも今は誰も女中とかにならない、お手伝いさんにもならない、何か会社で掃除するとき掃除を一時間とかするときそれは会社員であり女中でもお手伝いさんでもない
その人は会社員なのである。

そして昔の女中は家政婦になるがこの家政婦は気軽に雇えるものではない、もう極一部の恵まれた社長とかしかない、給料だって相当に高くなるからもう雇えないのである
ただ家事は機械頼みだということをしてわかった
機械化してなるべく手間をはぶくことなのである。やがてAIで機械化して自動的に料理ができることなのである。それをみんな願っている
なぜなら家事の手間は今でも時間をとるからである
そして今は女性でも外で働いているから家事に時間をかけられないからである。

もともと家事をとりしきる女性は重要な役割を家でもっていた
母刀自というとき墓に刀自と記されてもいるから家事をとりしきったものとしての誇りを記していたのである。 

 真木柱(まけばしら)、ほめて造れる、殿(との)のごと、いませ母刀自(ははとじ)、面(おめ)変(か)はりせず

 大黒柱というけど女性こそ大黒柱という矜持をもっていたのである。

今は家事は女性でも第二級の低いものとして見られる、価値観は時代によって変わる
時代のモラルも変わるのである。
今はお手伝いさんでも家政婦でもなりたくない、母親が娘を医者にしたくて娘が母を殺したという事件があった、母はどうしても娘を医者にしたかったのである。
看護師にはなったがその後も医者の試験を娘は受けていたのである。
それは母が医者にしたかったからである。女性でも男性のように医者にしたいとなる
その時代の価値観の差は大きい、戦前だったら別に女中になってもはずかしいことではない、そこが働く場所として必要だったし社会が要請されていたからさげすまれるということもない、普通に働く場所だったのである。

いづれにしろ人を雇うこと働いてもらうことにはコストがかかりすぎる
ロボットだったらA地点からB地点に物を運ぶならそれだけ忠実にして文句言わないのである
人間だったらそうはいかない、怪我したときのために保険をかけたり家族がいてそれも考慮しなければならい、そして仕事はA地点からB地点に物を運ぶだけでも人間はそれだけではすまない、なにかやと要求がある、それに答える方が嫌になるのでできないのでAI化であり機械化しようとする、人間が一番効率的ではないのである。
その効率的でないことがまた人間だとなる
でも資本主義社会では効率化が要求される競争に勝たねばならい、そこでジレンマに陥るのである

人間と機械の間では情は生まれない、でも人間と人間の間では情が生まれる
その情を重んじれば効率的でとなくなるのである
そのこと故に人間でありうる、資本家とか経営者からすれば人間は大きなコストになる
だから極力省く方向になる、AIとか機械は文句を言わないからである。
機械にはプライドもないから文句は言わない、うらやましがったりもしないからである
資本主義社会を追求してゆくと非情になる、すでになっている、金だけがすべてになる
何でもあれなんの能力もないものでも何もできないものでも人格的に悪辣だなんだといっても金のある人間は資本主義社会では勝ち組なのである。

だから格差社会と階級社会が違うというとき階級社会とは何か?
それは人間の歴史で階級社会の方が長いのである。格差社会と階級社会は違う
階級社会は簡単に作れない、貴族社会は長い時間の中で作られてきたからである。
その階級を否定するとしても貴族社会には階級社会にはそれなりの価値観とモラルがあり社会を維持してきた、江戸時代がそうである
それがすべて悪いものだった、格差社会であり奴隷社会だったともみる
でも江戸時代全体を見たとき階級社会でも庶民は外人が明治に日本に来たとき幸福そうな顔をしていたというとき今見るものとは違っていたのである。

階級社会より格差社会が悪いというとき階級社会は江戸時代のように侍が支配して身分社会だった、その人たちは階級として共同体を形成してモラルを形成した、武士道でもそうである、そして責任が重かったから責任をとるとき切腹したのである
そういうことを庶民は見ているから侍にはなりたくないと言っていたのである。
今ならそういう責任がないから庶民から見て金持ちはただ楽しているだけだと見るから
階級社会ではなく格差社会なのである。
格差社会はただ収入の金があるかないかだけで判断している社会である
階級社会はヨ−ロッパでも長い歴史の中で生まれたものであり日本の侍でもそうである
今は格差社会であり階級社会ではない、階級社会は簡単に作れない、長い時間の中でしか歴史のなかでしか作れないからである
格差社会より階級社会の方がいいというときその階級社会は歴史の中で長い時間の中で作られたものだから作りようがないのである。江戸時代でも300年ありヨ−ロッパだってそうである

階級社会というとき侍を庶民は認めていた,それは金があるからでなはい、経済的に豊かだからではない、社会の中で重い責任を果たすものとして見ていた
だからこそ侍として庶民は認めて従っていたのである。
今は金持ちを誰も認めていない、あいつらむしろ不正しているからあこぎなやつだから金に汚い奴らだから金持ちになっている
そういうやつは許してはならない、資産でももっと税金をかけるべきだ
むしろ金を奪うべきだともなっている、格差社会ではいづれそうした不満が爆発する
金持ちをそもそも認めていないのだから金持ちは暴動が起こり襲われる
格差社会はこうして深刻な対立を生み国は分断されるのである。
格差社会は金持ちにとっても危険なのであり常におびえていなければならない社会である枕を高くして寝ていられない社会なのである。
そういう社会では金持ちもいいものではないとなる


posted by 老鶯 at 09:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題
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