2018年07月30日

外国人旅行者の増加も日本のカルマ (日本人が日本の旅行を楽しめなくなっていいのか?)


外国人旅行者の増加も日本のカルマ

(日本人が日本の旅行を楽しめなくなっていいのか?)

人口激減時代。短期的に労働者不足、中期的に消費者減少、長期的に日本民族日本人は少数派に転落する

─観光立国。訪日外国人観光客の迷惑行為に耐える日本。中国人観光客の非常識にしてモラル無きマナー違反。


これもひどい、もうこうなると観光公害であり京都ではもう限界になっている
もう外国人は来てくれるなともなる、制限も必要になる
日本人が日本をゆっくり旅行できない、外国人がおしよせてホテルもとれない
中国人が大声をだして情緒も壊される、こうなると京都に行っても京都を楽しめないとなる

でもこれもカルマである、日本人は円高のとき一ドル80円とかのときがあり中国でも東南アジアでも同じようなことをしていたのである。
ヨ−ロッパでもどこでも日本人がおしよせていたのである。
その時日本人は顰蹙(ひんしゅく)をかったのである。
そして女性でも信じられない値段で買って遊んでいたのである。
日本人はその時金にものいわせてしたいことをしていたのである

それが今度は逆に外国人に同じことをされている、特に最近東南アジア関係が裕福になっている、タイなどは物価も日本並みに高く物価が日本が安いとして遊びに来ている
中国では上海でも北京でも日本より物価が高いのである
それだけいつのまにか様変わりしたのである
10年一昔というけどグロ−バル社会は世界的な変化が激しい、そして世界中がその変化にさらされる、つまり為替の変動でも日本が物価が安いとなれば観光客が押し寄せるのである
日本人が一時一ドル80円の時代があったき海外旅行ブームになったからである

グロ−バル化とは人も移動しやすいから世界中で観光でも移動する、アジアは近いから余計に移動しやすい、日本人は円高のとき高度成長がまだつづき経済大国のとき金にものいわせて海外に団体でもおしよせていたのである
グロ−バル社会とはこうして世界中で株のように変動するのである
日本人が外国を観光している時、日本人が金持ちだとうらやましがられていたのである。その逆の現象がカルマとして起きているのである。

要するに日本人が電気製品を売ったりして稼げなくなった、貧乏国になると観光で稼ぐほかないとかなる、カジノでもそうである
日本で売るものがなくなるときグロ−バル社会で生き抜くために観光立国になる
それはギリシャがそうだしエジプトでもそうだしネパ―ルがそうだしそこで外貨は観光で稼ぐほかないのである、何も売るものがないからである。
グロ−バル社会では何か売るものがないときたちまち貧乏国になり観光立国とかいうようになる、日本がグロ−バル社会の競争で遅れをとりそうなったのである。

カルマと個人単位でも国単位でもめぐってくる、日本人が外国でどういうことをしていたかのか?今の中国人であれ同じようなことをしていたともなる
爆買いだってしていた、だからカルマとなって返ってくる
日本人が東南アジアの貧乏国で何をしていたか?女性を安く買って遊んだりしていた
それと同じことが今大阪の一地域で行われている
日本人がサービスを提供しているのである
観光立国とは日本人が貧乏化したことでありグロ−バル競争に遅れをとり負けた結果なのである
カジノを誘致するのもとても日本が品位ある国として経済的に保てなくなっているからである、それで恥も外聞もなくなり外国の奴隷にもすすんでなる
観光立国というと何かきれいごととに見えるが実際は外国人にサービスする召使になるとういことにもなる 

確かに世界との交流が生まれて国際化して理解を深め合うということはある
でもそれも限度がある、どこに行っても外国人だらけでありサービスは外国人が優先であり日本人は金がないから後回しだとなるのも本末転倒なのである
それもこれも日本人のカルマだとつくづく思う
東南アジアで日本人の観光客がいかにのさばっていたか?金にものいわせていたか?
それがカルマとなり逆の現象が起きているのだ
日本人は金でさんざん俺たちの国で威張り遊んでいたな、今度はサービスしけもらうぜ、せいぜい頭を下げてサービスしろよ、貧乏になればそうなるんだともなる

別に外国人が来ることはいい面はある、フランス人の小学校の先生は日本の文化に興味がありきている、日本の文化を学びたいのである。
そういう人もいるしみんなが悪いとはならない、中国人は評判が悪いのはその数が多いからである。
要するに日本人が除外されて外国人優先になるのはグロ−バル化社会では観光でも起きてくる、観光で生活している地域ではどうしても外国人頼りになる
日本人が貧乏になれば金を使う外国人の方がいいとなるのがグロ−バル社会なのである

旅に費やした自分だが旅と観光は違ってる、旅は道をどこまでも気ままに行く、コースが定まっていない、そして旅は豪華なホテルでグルメするとか保養するのとは違う
かえって木賃宿とかにとまっても風情がある、ホテルには風情を感じない
団体客用でありそれは社員旅行とか受け入れて増えたのである
今の時代旅人は存在しない、ただ車であれバイクであれホテルでグルメだとか保養することが目的であり旅人はいないい、わずかに歩く人とか自転車で旅する人は旅人らしいとなるでも本物の旅人はいないし現代では存在しにくいのである

交通があまりにも便利なったせいもある、歩いて旅していても電車を利用したりして旅のまねごとをしているという感じになるのである
だから旅というのは旅人になれないし何か浅薄なものとしてしてしか旅ができない
だから逆に交通が発達して便利になりすぎて本当の旅ができなくなったというのも逆説だなと思う、旅人になるには必ずしも金があるなしではなく貧乏でも旅ができる
かえって貧乏の方が旅らしい旅だともなるからすべては金で得られないのである 

いづれにしろ田舎の方にも外国人が増える、すでに観光地では増えている
ただ外国人慣れしていない人も多いのが田舎である
言葉の問題がありそうなる、だから国際化は悪いことではないのだが限度がある
限度を越えたとき観光公害になり日本文化の破壊までなる
それは移民問題とも通じているのである。

破壊される京都−観光立国、インバウンド、民泊、土地買収[桜H30/7/20]




posted by 老鶯 at 22:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層
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